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2015年10月25日 (日)

資本主義社会崩壊後の社会建設に関する重要な論議(その3)

(前回からの続き)

 社会主義社会においても、生活手段として必要なモノの獲得はもちろん、生産手段として用いられるモノの獲得も、工場などを運営する労働者がそれを労働時間との「等価交換」によって獲得しなければならない。こうした交換はもちろん現物支給や物々交換などではなく、いわば「擬制的貨幣」とでもいうべき「労働証紙(労働時間証明書)」を媒介として支払われ交換されるはずである。その場合、モノには価格ではなく価値そのものが表示され、それはその生産に費やされた過去の労働の時間量がそのまま示される。

すべての人々は何らかの形で社会的に必要な労働をそれぞれ分担して行っているわけであるから、社会的に必要な生産物の種類に応じた生産単位(資本主義社会における企業に相当する)での労働に従事しており、 生活資料は、その生産単位での労働時間に応じて受け取る「労働証紙」によって「買い」、消費することになる。

一方生産手段の方は、個々の「生産単位」そのものが社会的共有であるため、社会的・計画的に配置された人数のもとに生産単位を運営する労働者たちがその生産単位からどれだけの生産物を生み出すかによって決まる、労働時間の総計に相応しい「労働時間証明書」を社会機関から支給され、それをもって生産手段をそのそれぞれの製造元から「買う」ことになるだろう。あるいは直接社会機関が生産手段の製造元から「買った」生産手段をそれらの生産単位(企業)に分配することになるかもしれない。

 結局、社会全体として見れば、社会的な総生産物を大きく生産手段(I 部門)と生活手段(II部門)とに分けたとき、マルクスの再生産表式で示されるような形で社会的総生産が維持されることになる。つまり単純再生産であれば、I 部門の使用価値としては生産手段である生産物における「新たに追加された労働による価値部分(v+m)とII 部門の使用価値としては生活手段である生産物における「過去の労働が対象化された価値部分」(c)がI(v+m)=IIc として「等価交換」されることにより互いに需要するものを供給し合うことになる。もちろんI部門に必要な生産手段 Ic はそのままそこで用いられ、II部門の労働者に必要な生活資料 II(v+m) はそのままそこの労働者に分配される。透明になった剰余価値部分mは拡大再生産する社会においては、再生産に必要な部分を超えて得られる部分はそのまま社会共通ファンドとして蓄積され、社会全体で共通に必要な「支出」(例えば社会インフラの整備や何らかの障害で働きたくとも働けない人々などのための生活資料や病気や事故に対する社会的保障なども含まれる)として用いられる。

ここには何ら、商品や貨幣としての物神性は現れないし、「売って儲けるためにつくる」という動機も現れ得ないはずだ。つくられた生産物は使用価値であると同時に価値であり、それに相応しくそれらを生み出した労働者に配分される。だからここでは莫大で無意味な過剰消費と過剰生産などなく、「必要なモノを必要なだけつくって消費する」本来の意味での経済的社会体制となるだろう。

このように考えるのは間違いであろうか?

ここで、これまでの論議には出てこなかったが、「自治と自由」という重要な問題がある。それは、社会的な計画を立案する人々と、労働現場で働く人々との区別における同一性をどう確保するかという問題、そして労働者自身がやりたいと思う仕事に就ける自由と社会的に必要な労働とのマッチングをどうとるかという問題である。前者は、かつてのいわゆる「社会主義国家」が独裁的な党官僚支配となり、労働者の主体的自治が完全に失われていたことに関わる問題であり、後者はそこでいわゆるノルマ労働が強制され労働者の自由が奪われていたという事実に関わる問題である。

これらの問題は、上述した本来の社会主義社会での経済的基礎の上に、どのような社会を生み出そうとしているかに関わる問題である。

これについては別の機会に書くことにしよう。

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