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2015年10月22日 (木)

資本主義社会崩壊後の社会建設に関する重要な論議(その1)

 先日、あるセミナーで、マルクス経済学が想定している、資本主義社会以後に実現されるべき社会主義社会での分配問題が議論され、その中で有名な再生産表式にも出てくる「価値の移転」問題が俎上に上がった。それはあらゆる社会で行われる生産的労働において用いられる、生産手段と生産物の関係において、生産手段に現れている過去の労働の成果が、現在の「生きた労働」によって加えられるあらたな労働の成果とともに生産物に移転される、というマルクスの考え方を巡る議論である。

再生産表式とは社会が年々あらたに生活に必要な生産物の生産を繰り返して行くために必要な条件としてマルクスが見いだしたひとつの「法則」なのであるが、その考え方で社会主義社会での分配がどのようなものになるかという問題に関わってくるのである。
 ここでひとつ前提となることは、かつてソ連やいまの中国で行われている「社会経済体制」は決してマルクスが目指した本来の社会主義社会ではないということである。
一党独裁による党官僚と国家機構がすべての経済計画を握り、そのノルマにしたがって労働力が社会的に配分され、「個人の自由」は制限される、といった旧ソ連型「社会主義」への直接的な反感による、偏見に充ちた「社会主義」のイメージがいまの社会には広く流布している。しかし同時にまた、そうした「社会主義」イメージへの反感に対する「社会主義国」側の「反省」として打ち出された「社会主義体制への市場経済の導入」といういまの中国などに見られるような形もまた間違っているといわざるを得ない。
 「社会主義国での分配は市場経済に任せるべきだ」といういまの中国に代表される考え方は、マルクスが徹底的に批判した資本主義社会の本質的矛盾を決して克服するものになりえない。確かに、かつての旧ソ連時代の国家統制経済に比べれば、「自由市場」に基づいて社会での生産と消費が回る方が自然に見えるかもしれない。しかし、そこで重要な問題は、すべての生産物が「売って利益を得るためにつくられる」という資本主義社会特有の市場経済は、個人が個人であるための基礎である「労働力」までもが商品として扱われなければ成り立たないという事実である。
生産手段を私的に所有する資本家企業に、労働力しか持たない労働者がそれを労働市場に売りに出し、雇用関係を結ばなければ生活することができない、という社会が資本主義社会である。この社会では、労働者は雇用者である資本家的企業から受け取った賃金によって生活に必要な商品を買う(正確には買い戻す)ことによって生活を営む。国家統制経済のように自分の労働力が国家の意志によって必要な労働部門に配属され働くという状態に比べれば「自由」であるかのように見えるが、決してそうではない。やはり自分が自分であることを示す労働力の発揮は自分の意志通りには行えず、雇用者である企業の意図のもとで「売るためのモノやコトを生み出す労働」としてしか実現できないのである。
  雇用者である資本家は「自由に」売って儲かりさえすれば必要もないものをどんどん作り販売する。そうした行為を束縛されないための「自由と平等」を主張する。こうして市場経済は、まさにアンコントローラブルな我欲の表現としての「自由」こそが本質なのである。
 その結果、いまではその我欲の競争に打ち勝ってそれによって儲かった一握りの人々が「自由な富裕層」となっているが、それは自分の望む形ではない資本家の意図にもとづく労働において、自己実現できなかった大多数の労働者の犠牲の上に初めて可能な「自由」なのである。 こうした事情は中国でも同じである。
 そうして、莫大な借金をしても、要らないモノやコトをどんどん生み出すことが「経済成長」であるという支配層の誤った意識のもとで、過剰な生産によって資源はどんどん枯渇に向かい、国家間の資源獲得競争は軍事的緊張を生み出し、他方で大量に放出される廃棄物で地球環境はどんどん悪化していっている。原発や水素自動車など「エコ製品」でそれを救えるという幻想も、それらエコ製品をどんどん生み出すにはエネルギーと資源が必要であり、廃棄物もまた増加せざるを得ないという事実を少しも見ようとしない。市場の回転が加速し続けなければ「経済成長」は破綻するからだ。
 その一方で資本家企業は安い労働力を求めて国境を越えて労働市場の獲得競争に奔走する。労働者たちは資本家企業経営者に「自由に」使い回され、働けなくなれば「ポイ捨て」され、たちまち貧困層に落ちていく。そして「経済成長」が止まれば、たちまち膨大な借金の圧力で国家財政は破綻し、失業者が氾濫する。 だからますますこの「使い捨て社会」の浪費は加速されざるを得ない。かくして早晩、いまのグローバル資本主義社会は大崩壊することは目に見えている。
 だからこそ、崩壊とそれによる混乱がもたらすであろう悲惨な状態を最小限に抑えるためにも、いま再び、資本主義社会の本質的矛盾を明らかにしたマルクスの考え方が必要になっているのである。もちろんマルクスは決して絶対ではない。しかしマルクスの理論をきちんと理解し、資本主義の本質的矛盾とは何かを理解し得ない限り、資本主義以後の次の社会をどう築くべきかは決して見えてこないだろうことは確かである。上述した価値移転問題とそれの関わる社会主義社会での分配問題はこういう意味で重要な課題なのである。
(次に続く)
 

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