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2015年10月20日 (火)

T先生との再会

 昨日、私の古い中国人の友人であるT先生と約20年ぶりに再会した。T先生は中国江蘇省の大学で長年デザイン教育に携わってきた人で、数々の出版物への受賞や研究教育業績への受賞があり、いまや中国のデザイン界の成功者である。

しかし、最初にT先生と出会ったとき、それは1982年頃であったと思うが、私の在籍していたC大学の工業デザイン系の学科に研究者として派遣されてきたときである。その頃私は40歳台でまだ助手だったし、結婚が遅かったので子供達も幼少で生活は大変だった。しかし、私はT先生を自宅に招いて食事をしながらいろいろな話をした。当時私は11年ものブランクを克服すべく、自分の専門領域を建てるために懸命にがんばっていたときだったため、T先生の驚くべき集中力とパワーに支えられたたゆまぬ努力には本当に敬服していたのである。 T先生は、実に精力的に日本のデザイン教育に関する資料や、企業のカタログなどによる製品のデザイン資料をおどろくほど沢山収集していた。その頃、中国ではまだデザイン教育も西欧諸国や日本に比べて遅れており、製品のデザインも立ち後れていた。T先生はその中国デザイン界の遅れを取り戻そうと本当に必死になって頑張っていたのである。
 そしてその後、中国は「世界の工場」と呼ばれるような国に成長し、経済的にも高度成長を遂げ、日本は逆に下り坂をどんどん下り出すことになった。いまの中国をいろいろな面から批判することはできるが、しかし、その成長の背景には低賃金の労働で懸命に働く中国人労働者の血のにじむような努力があり、またエンジニアや知識労働者のたゆみない努力があったのだ。 そして中国ではデザイン系の大学も雨後の竹の子の様に増え、おそらくデザイナーの数もいまでは日本よりはるかに多いのではないかとさえ思われる。
 久しぶりに我が家を訪れてくれたT先生は、8年前に大腸癌を患い、以前に比べるとその眼光の鋭さがなくなったような気がした。丸くなったのである。しかし気力は相変わらずであった。あまり時間はなかったが、我が家で昼食を摂り、歓談ののち、あまり遠くない場所にある郭沫若氏の記念館に寄ってから東京での別の友人との待ち合わせ場所に向かった。途中、私が「いま両国の政府間は関係が悪くて、残念ですね」と言うと、T先生は、「私たちにはまったく関係ない。心配要りません」と断言した。私は嬉しかった。これが「民間外交」というものであろう。「中国は世界一の経済大国だ」「いや日本の科学技術は世界一だ」などと狭量なナショナリズムで肩肘突き合わせて虚勢を張る必要など何もない。上層部での政治的いがみ合いや軍事的緊張など関係なく、 中国の人民と日本のフツ—の人々とは、供にいまの世界を支え合って生きる生活者なのである。
 もうこれが最後かとも思いつつ、秋葉原駅でT先生と別れた。

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