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2015年11月 2日 (月)

資本主義社会崩壊後の社会建設に関する重要な論議(その5)

(前回よりの続き)

 資本主義社会以後の社会での分配の問題を考えるため、ここでもう一度再生産表式に戻って考えてみよう。
 すべての労働生産物はそのさまざまな使用価値を持っていると同時に、そこに対象化されている抽象的な社会的労働の成果として(c+v+m)という価値構成を持っていると考えられる。ここで"c"は資本主義社会で言う不変資本部分(機械などのような労働手段と鉄鋼などのような原料を含む生産手段から移転した価値部分)に当たり、"v"は可変資本部分(生きた労働がそれ自身の生活のために必要な分として生み出した価値部分)、"m"は生きた労働が"v"に相当する価値を超えて生み出した剰余価値にあたる価値部分)を示す。
 いま社会が一定期間(例えば1年)に生み出す総生産物を考えると、その生産物の使用価値の種類から分けて大きく、生産手段部門(I部門)に属する生産物と、労働者の生活資料部門(II部門)に属する生産物がある。(いわゆる奢侈品や遊びのための道具などはどう扱うのかについては別途考えることにする)
これらは価値構成としてはそれぞれ、I(c+v+m)、II(c+v+m) と表記できる。
ここで、毎年同じように社会が再生産を繰り返していくためには次のような条件が必要である。
I(v+m)=IIc
つまり使用価値としては生産手段である生産物を生産する I部門での、価値としては可変資本部分と剰余価値部分(つまり新たに労働によって生み出される価値に相当する価値部分)が、使用価値としては労働者の生活資料となる生産物を生産する II部門での、価値としては不変資本部分の価値に相当する価値と「等価交換」される必要がある。I部門とII部門がお互いに生産物の使用価値をそれらを必要とする部門に提供し合う必要があるからである。
 残りのIcとII(v+m)はそれぞれI部門内で生産手段として、II部門内で生活資料に当たる価値部分に充てられる。
 そして労働者が、資本家への隷属と労働の成果の搾取から解放された社会主義社会では、生活資料としての生産物は、原則としてそれぞれの労働者が社会的に必要な分担労働のために費やした労働時間が生み出す価値に相当する分量を分配されることになるだろう。
 ここで I部門と II部門は実際にはそれぞれ、さまざまな種類の生産物を生み出すさまざまな生産単位(企業)に分かれており、生み出される生産物もそのさまざまな使用価値に応じたさまざまな種類が生み出される。
生活資料に関しては労働者が直接生活に必要な物をその目的に応じて、すでに個人的消費のために分配された価値の中から、入手したい生産物の価値と等量の価値部分を「支払って」入手し、それを生活において消費するが、そこでは何らかの形での労働時間証明(資本主義時代の貨幣と実質的には異なるが形式的には似たもの)が交換の媒介手段として用いられることになるだろう。
生産手段に関しては、次の様に考えられる。生産手段は資本主義時代のように資本家の私有物としてではなく、全体としては社会的共有の形になるが、具体的には、I、II部門とも、さまざまな生産物を生産する生産単位があり、各生産単位を管理運営する労働者がその生産単位が必要とする生産手段を必要に応じて入手しなければならないだろう。その場合、それぞれの生産単位がその年に生み出した生産物量に応じて、それによって消費された生産手段の補填分の価値があらかじめ必要となるが、これは社会的総生産物の価値構成としては"c"の部分に当たると考えてよいだろう。すでに I(v+m)=IIcとしてI部門からII部門に提供された部分と、Icとして生産部門に投入されるc部分はどのように各生産単位に分配されるのかが問題になるだろう。
I、II両部門ともそれぞれさまざまな生産単位が存在し、それらの生産単位が必要とするだけの生産手段が分配されなければならないが、この場合は直接に使用価値としての生産手段が分配されるわけであるから、各生産単位がその年に生み出した生産物の量に応じて消費した生産手段の価値量に相当する分の生産手段がそのまま供給されることになる。しかし実際には社会機関からの直接的現物支給という形ではなく、あらかじめ社会的総生産物のIc+IIcの価値量に当たる分だけ社会機関が留保した価値分から各生産単位の必要とする生産手段の価値に等しい「証明書」が発行され、これとの交換で各生産単位の運営者が必要な生産手段を必要な生産単位から入手することになるのではないだろうか。
 いずれにしても、生産手段も生活手段も直接に現物として分配されるわけではなく何らかの価値表象(労働証書に該当する)を媒介として交換されることになるだろう。つまり、社会主義社会においても価値はこうした分配のための基準として用いられることになるだろうと考えられる。
(続く)

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