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2015年12月24日 (木)

「アトミックガール・原爆を作った女達」を観て

 NHK-BSTVで表記の番組を放映していた。第二次世界大戦中、テネシー州オークリッジの原爆用ウラン濃縮工場で働いていた数千人もの女性労働者の生き残りの人の証言を交えて、そこで働いた人たちの実情とその後の心情を描いたものであった。

 彼女たちは当時アメリカの男性の多くが戦争に駆り出され、労働力不足が深刻だったため、平均の3倍もの給料で軍から呼び掛かられ、それに応募してオークリッジで働いていたが、軍の厳しい機密管理のもとに置かれ、何を作っているのかは一切明かされなかったらしい。そして広島に原爆が投下されたとき、そのニュースを聞かされ、初めて自分たちが原爆を作っていたことを知らされた。
 彼女たちは、戦後、原爆が戦争を終わらせるために貢献した「英雄」として扱われ、そのことに誇りを抱いたようだが、中には、この番組の登場者の様に、複雑な気持ちを抱き、原爆で多数の民間人が殺されたことへの罪の意識を感じ続けていた人も居たようである。そしてほとんど誰にも語ることのなかった自分の戦争中の仕事について、それを知る人が居なくなりつつあることに危機感を感じ、最近は「語り部」の役を果たすようになったそうである。
 私は以前、戦争末期に、日本で作られた特攻機「桜花」の設計者について書いたことがあるが、原爆の場合はマンハッタン計画と呼ばれる計画・設計段階で加わった著名科学者や技術者たちの行為についてはその後彼らの反省を含めて多く語られてきたのに対し、彼らの指導の下で実際に原爆や特攻機を製造していた多くの労働者たちについてはこれまであまり多く語られてこなかった様に思う。
 すべての交戦国で国全体がある種の軍隊組織となってしまう戦時下で大量動員された労働者たち(その多くは女性)は、上司の命令に何の疑問や不満をも持つことなく、ただ国を護るため、戦争に勝つため、という至上命題のもとで、何も考えることなくひたすら殺戮の兵器を作らされたのであろう。
 彼ら・彼女らのほとんどが心底では戦争を肯定してはいなかっただろうし、実際に殺される生身の人々には直接何の恨みも殺す理由もなかったであろう。 しかし、結果として生み出された労働生産物である兵器が、これも国家によって駆り出された労働者や農民による兵士たちと一体となって軍の指揮下で互いに戦争での大量殺戮を現出させたのだ。勝った国では「戦争を終わらせるため」と賛美され、負けた国では、「お国を護るために死んだ英霊」と賛美される。なんという悲劇であろうか! 一体誰がこの無垢の人々を大量殺戮に追い込んだのか?それは敗戦国の指導者だけではないだろうし、単に「戦争はいやだ!」と叫ぶだけでは戦争をなくすことは決してできないだろう。
 そして、現代の労働者もまた、いわゆる「企業戦士」も、設計技術者など頭脳労働者も製造現場の労働者も含め、一体何のため、誰のためにモノを作り、売り、そして消費を生み出しているのか、それは本当に必要なのか、その結果、われわれの世界が少しでもよい方向に向かっているのか? よく考えねばならないのではないだろうか?

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