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2015年4月20日 (月)

資本について考える(その13 : 資本主義以後の社会について−7

 資本主義以後にわれわれが目指すべき社会の在り方として、前回書いた、「必要なものを必要なだけつくることで成り立つ本来の意味での経済社会」ということについてもう少し書いておこうと思う。

 「必要なモノを必要なだけつくる」などというと、何かあまり面白くない貧しい生活をイメージする人もいるかもしれないが、それは現在の社会のようなモノやコトに溢れている社会を背景とした感性からきているイメージだと思う。次から次へと新製品が売り出され、新しいイベントや宣伝が溢れ、モノを買うことや遊びや観光にお金をつぎ込むことが人生の楽しみであるという考え方が一般的になっているが、実はこうした考え方そのものが、無駄な消費の拡大によって成り立っている経済社会によって生み出された支配的イデオロギーの一環なのである。
 無駄な消費を人生の楽しみとする人生観は本質的に資本家的人生観であるといえる。資本家は自分にとっての富を獲得するための方法では実に合理的で無駄のない方法を採る。例えば、自分が雇用する労働者は出来るだけ安い賃金で多くの労働をさせようとするし、コスト競争に勝つために「合理化」と称して自動機械を導入して労働者を放出する。しかし、それによって獲得した莫大な富は、富を獲得し増やすというそのこと自体を自己目的化していると同時に、その獲得した富を自分の私的楽しみのために消費することを無上の喜びとしている。例えば、無人島を買い取りそこに自分専用のビーチや施設を巨額のお金を使ってつくるなど、ここでは彼は思いきり非合理的なお金の使い方をするのである。
 そしてかつてマルクスがいた当時のような、労働者階級が物質的に貧困化していく時代と違って、いまの資本主義社会はいわゆる先進的資本主義国で、いわゆる「中間層」が増加し、そうした人々がこの支配的イデオロギーにどっぷり浸かっている状態が生じているのである。それは資本がすでに過剰な生産力をその体制の中で有効に用いることができなくなり、それが原因で起きた深刻な恐慌を乗り切るため、不生産的な過剰資本を労働者階級の生活資料商品の生産と消費によって処理することで、それが資本家に利益をもたらす仕組みを取り入れたからなのである。この仕組みはまた資本家階級にとって、労働者階級の階級的意識を崩壊させ、小市民的意識を醸成させるにはもってこいであった。
 こうして20世紀後半からいわゆる先進資本主義国での労働者階級の小市民化が進み、そうした人々がいわゆる「中間層」を形成していったと考えられる。
 だから労働者階級の代表組織は資本家階級との対峙の場において単に賃上げと待遇改善しか要求しなくなってしまったのである。そして労働者たちは出来るだけよい賃金をもらってどんどん売り出される「おもしろい」新製品や刺激的ゲームやエンタテイメントやレジャー観光でその給料を支出することが人生の楽しみになってしまったのだと思う。資本家階級の支配的イデオロギーに見事に組み込まれてしまったのである。こうして見かけ上増えた賃金はほとんどすべてまた資本家の手に還元されて彼らの富を増やしていくことになったのである。そしてこのような無駄な消費の拡大によってしか維持できなくなった資本主義経済体制は、一方で限られた資源を無駄に使いまくり、他方で修復不可能なまでに自然界を破壊し、温暖化による気象変動や農業水産資源の枯渇を招いているのである。そして無駄な消費に必要な大量のエネルギー源として石油などの外国資源に依存する状態を「改善」するためとして原発の必須化を説得して回っているのである。
 この見せかけの繁栄がバブル崩壊を境にもろくも崩れ去ったいま、安倍政権はこれを、実質的に価値のない貨幣を大増刷させ、それによってインフレを引き起こし、株を押し上げ、資本家達に莫大な利益をもたらすことによって復活させようとしている。しかしそれによって事態はさらに悪い方向に行くことは確実である。一方これに対する「リベラル派」は「ぶあつい中間層の再興」というスローガンでこれに対抗しているが、これはすでに述べたとおり、最初から相手の土俵の中でしか「闘って」いないのである。
 「必要なモノを必要なだけつくることで成り立つ社会経済体制」はもはや資本主義経済体制では不可能である。そしてそこに生み出されようとしている新しい社会経済体制においては、「つくる人」と「使用・消費する人」が同じ人々によって行われる社会が求められることになるのは当然であろう。そこでは、「買うこと」や「消費すること」を楽しむための人生ではなく、「つくること」「生み出すこと」に楽しみを見いだす新しい人生観が生まれるに違いない。何が本当に必要なのかが本来の目的意識によって求められ、社会にとって無駄なものはつくる必要がなくなる。「売るためにつくる」のではなく「使うためにつくる」ことが当たり前になるからである。
 こうして資本主義社会が生み出した巨大な生産力は、資本家達の馬鹿げた利益追究競争によって暴走させられることを止め、社会にとってあるべき方向にコントロールされるようになり、そこで生み出される生産物は、すべての働く人々の生活を保障し、それらの人々にとって生きる喜びを与えうるように配分されることになるだろう。

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