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2015年7月5日 - 2015年7月11日

2015年7月 8日 (水)

洗脳技術の浸透に気づけ

 最近思うことは、世の中で知らない間に洗脳技術が飛躍的に拡大浸透していることだ。

例えば、イスラム「過激派」といわれているISへの勧誘もそれだ。西欧の若者達がブログやSSNを駆使した勧誘で誘い出され、洗脳され、自爆テロを行う気にさせられてしまう。
  もちろん、その背景には、西欧社会での労働者階級や学生などの、宗教・人種の差別という外観を持った根深い階級対立があり、それへの反抗があることは忘れてはいけないし、それに呼応するかのように「反西欧社会」の急先鋒としてISなどの活動が急拡大しているという事実があるのだが、それにしても自爆というかたちで命を捨ててしまうことにはそれほど簡単には同意できないはずだ。そこには最新の応用心理学的手法を駆使した洗脳技術があることはたしかであろう。そしてこの同じ手法が、いまの資本主義社会で惨めな被搾取者の立場に置かれている若い労働者たちやその予備軍としての学生たちにも適用されているといえる。
 例えば、「愛社精神」とか「家族的結びつきによる結束」という形で、企業への帰属意識や忠誠意識を高めることはかなり一般的に行われている。「愛社精神」とか「家族的結びつきによる結束」が悪であるというわけではないが、それによって、すでに過去において労働者たちによって生み出された膨大な価値の蓄積が、その疎外態である資本の力として、労働者自身の上に労働の搾取という形でのしかかっているという事実、そしてそれが幾重にも支配の構造をつくっている資本家たちの企業ピラミッドにおいて、下層にに位置する中小企業では、親会社からの不当なコストダウンへの要求や、労働の合理化(つまり労働者の首切り)あるいは、競合他社との熾烈な競争に勝つという圧力として労働者に過酷な労働を強いているという事実を覆い隠してしまうのだ。
その結果、まじめな労働者ほど会社の仕事のためつまりは資本の競争と増殖に貢献するために自分の生活や人生のすべてを、時には「よろこんで」犠牲にしてしまうことになるのだ。
 学生においても卒業間近となり就職期に入ると、「就活」(つまり労働市場への労働力商品の売り込み)が始まり、学校側もその指導と称して、面接や入社試験に通るための技術を教える。学生達は、こうして本当の自分ではない「あるべき自分」をいかにうまく演じるかに苦慮する。
 こうして「めでたく」就職できたとしても労働のリアルな現場は厳しいものである。本当の自分をさらけ出すこともできず、日々つらい仕事の中で自分自身をもだましながら生活しなければならない。そこでは疎外された労働をなんとか「やる気」を出して乗り切ろうと苦慮する自分と、それを雇用者側の立場から利用しようとする場が生まれる。こうした中で、企業側では、従業員の「やる気」を出させるために前述した「愛社精神」や「家族的結束」をもたらすべく、研修や社員教育という形で、さまざまな「洗脳」を行うのである。禅寺に合宿して座禅を行うなどもそのひとつである。しかし、それにも拘わらず やがてそのストレスが蓄積し病気を引き起こすことにもなり、それが原因で退職する者も出てくる。さらにはその蓄積したストレスが一気に爆発して自殺や殺傷行為へと悲惨な結果を生むことさえある。
  そして大学の研究者や教育者は応用心理学、脳科学、経営学などという領域でそうした「洗脳技術」の研究を行っている。そういう研究者の中からマスコミでもてはやされる「有名人」も登場したりする。
 また労働力(人間の能力)という商品ではなく、モノとしての商品の宣伝という分野においても、いかに購買者の意識を「買う気」にさせるかという形で 「洗脳技術」は駆使されている。商品の正確な内容よりも架空のイメージをそこから引き出して「その気」にさせようと努力するのである。要するに資本主義社会がそれによって立つ、全面化した商品経済社会での商品市場とは実際の価値よりもいかに高い価格で売れるかがすべてなのである。いうなれば「だましの社会」なのである。こうした社会では、つねに人間の在り方そのものがきわめて歪んだものにならざるを得ない。
 しかし洗脳技術の研究は、元を正せば軍隊の中でもっとも古くから盛んに行われてきたのである。軍という組織ではいかに個人としての個性や特性を抑え込み、組織に奉仕できる人間を育てるかが至上命令である。そして戦争ともなると、「国家」の名の下にその国に住む人々すべてに対して同様な「洗脳」がマスコミや世論の操作を通じて行われ「国家への忠誠心」を煽るのである。
百田尚樹氏が好んで描く特攻隊員の心も世界も、こうしてあるがままの自分と「あるべき自分」として押しつけられたイメージの間での深刻な葛藤の段階を経て、最後に本当の自分を否定して、「お国のために命を捧げることが自分の存在意義なのだ」というところに追い込まれた結果といえるだろう。これこそ国家権力によって生み出された「非常時」という状況のもとで、国家という幻想共同体に自分の実存の意味を見いださせるおそるべき洗脳の結果であるといえるだろう。
 そしてそれを推進した国家の権力者たちとその犠牲者たちが同じ神社に「英霊」として祀られるという悲劇もまた現実なのである。
 だまされてはいけない! あの戦争の悲劇を繰り返すことのないよう、無防備に洗脳されることなく、 目の前で起きつつある現実の真実の姿を見いだすことがいまもっとも必要なことではないか?

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