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2015年7月26日 - 2015年8月1日

2015年8月 1日 (土)

朝日新聞 耕論「消費しない日本人」を読んで

 今朝の朝日新聞の「耕論」欄に「消費しない日本人」というテーマで3人の識者が意見を書いていた。いずれも、いまのアベノミクス景気の中で消費を控える人々について、「リスクをとらない人」「お金を使って楽しむことをしない人」「先行きが心配で節約に走る人」よいった意見がほとんどであり、日本人はもっと消費をするべきだという論調であった。しかし、私はこの論調に異を唱えたい。

 アベノミクスで景気指数が良いのは、誰でも知っているように、日銀がお金をジャブジャブばらまいて、お金の価値が下がって円安となり、為替レートの差益で輸出企業が大儲けをしていることが要因であって、円安によって海外からの観光客が激増して「爆買い」や観光地の儲けが増加していることもそのひとつだろう。
 その裏側では、輸入に頼る中小企業や生活消費財販売業などは値上げを余儀なくされて窮状にある。、もっとも重要なのは雇用が増大したにも拘わらず、多くの若年中年層の実質賃金は増えておらず、一部の新富裕層にのし上がった人たちだけがその恩恵に与っている。だから平均賃金が上がったように見えるのだ。
  そしてジャブジャブお金をまき散らすアベノミクスは莫大な借金で支えられている。これはきわめて危うい橋を渡っているのであって、虚妄の「経済成長」であることの何よりもの証左であろう。人々はうすうすこの「危うい橋」に気がついている。だから、節約し、危機に備えようとするのである。当然のことだ。
 そしてもうひとつもっとも重要なことは、「お金を使って楽しむことこそ人生」という「哲学?」はまったく間違っているということだ。これは、片方で地球全体の自然が破壊され、気候変動で世界中が熱波や豪雨に見舞われ、海水面が上がり、やがて世界中の第一次生産物が危機に瀕し、人口が急増するのに反比例して地球環境がどんどん人類の生活に適さなくなりつつあるという状態にあって、持続可能な社会が謳われているにも拘わらず、他方では自然をどんどん破壊する過剰消費を推進させ、それがなければ経済が成り立たないという絶対的矛盾にぶち当たっているのが現実なのだ。
 もともと人類は「消費を楽しむ」などという性向はなかった。自然界が与えてくれるものを大切に使い、それが永久に恵みを与えてくれることを期待して自分たちの生活の営みを行ってきた。その中で、自然の反面であるその猛威から身を守り、制約の中で工夫したりやりくりしたりして、必要なモノを努力して作り上げるよろこびが人々の生き甲斐になってきたと考えられる。
 つまりもともと人類は「消費するよろこび」ではなく「生み出すよろこび」をその本質としてもっていたと考えるべきであろう。それが「買い物をしたり、消費したりすること」が生きる意味のようになってしまったのは、ほんのここ100年足らずのことなのである。その経済学的解析は私がこのブログで何度も行ってきたが、ひとことでいえば、過剰資本の処理形態としての過剰消費なのである。
世の中に必要なモノを生み出している労働者たちが、その生産現場で「生み出すよろこび」を感じることができず、それを賃金によって別な形で「商品として買い戻す」ことによってしかよろこびを感じることができないという資本主義社会の基本的構造の中で、一部の「中間層」(相対的に賃金の高い労働者などを指す)といわれる人々に奢侈品的要素を加えたいわゆる付加価値商品(例えば高額家電製品、自動車、高級趣味用品、レジャー、そして家など)の購入に賃金を使わせる構造が出来上がり、そこに、蓄積して身動きならなくなった過剰資本のはけ口を見いだしているのが現代の資本主義経済体制なのである。
 この地球・自然環境の危機と「経済成長」の絶対的矛盾がもたらすであろう重大な危機のことをまじめに考えなければ「もっと消費すれば景気はもっとよくなる」などと呑気なことは言っていられないことが分かるだろう。
朝日新聞の立ち位置がいかにいいかげんな「リベラル」であるかがこの記事の扱いを見てもよく分かる。

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