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2015年1月18日 - 2015年1月24日

2015年1月22日 (木)

「イスラム国」とオウム真理教団を結びつけるもの

 日本人2人が人質に捕られ、「イスラム国」は日本政府に2億ドルの身代金を要求している。その要求が受け入れられなければおそらく人質は残忍なインターネット公開処刑をされるだろう。まったく不条理なしかもゾッとするような冷酷さである。

 人命第一と公式見解を述べている安倍首相が「自己責任論」やアメリカの圧力によって身代金を払わない可能性が大きいが、そこには、その結果がもたらす日本人の「イスラム国」への憎悪の拡大とそしてその延長上に集団自衛権の行使への「理解」がコンセンサス化されることへの目算があるかもしれない。やがて自衛隊はイラクやシリアに派遣されることになるかもしれないと危惧するのは杞憂であろうか?
 ところで今年はオウム真理教団によるサリン事件から20年目の年でもある。オウム真理教団は、日本国内に「もう一つの宗教国家」をつくり、教祖のもとで、組織的なテロ行為による民衆へのショックをテコとして反体制勢力拡大を行おうとした。「イスラム国」もイラクとシリアの混乱に乗じて「もうひとつの宗教国家」をつくりテロ行為によって西欧社会に刃を突きつけることでその存在を誇示し、勢力を拡大しようとしている。この二つはその意味ではよく似ていると思う。
 この二つの社会現象は現代社会の深部にある大きな問題を露わにするものではないだろうか?それは現代社会の矛盾があらゆる場面で吹き出してきているいまの社会で、しかし大多数の人々はその社会を支配している「社会常識」という既存のイデオロギーに支配されていてそれを深刻な矛盾として受け止めていない。その状態に対してすでにその矛盾に気付いているひとびとの持つ苛立ちと現社会への反発が出口を見失っているのではないか?
 かつては国際的な社会主義運動がその出口を示してくれていたが、それが道を誤って崩壊してしまった今では、狂信的宗教やテロ行為がその「出口」であるかのように思われてしまっているようだ。
 テロや狂信的宗教が世界中で受け入れられることなどあり得ないであろう。そこに注がれている人々のエネルギーは、足下しか見ない狭い視野から解放され、より歴史的な意味で普遍的な形へと顔を向け直し互いに連帯して統合されないかぎり、本当の意味での「反体制」にはなり得ないであろう。ただいたずらにナショナリズムや軍事行為のエスカレートによって「解決」しようとすることは危険であるし、それは結局、基本的に同じ立場にある人々を敵対関係に持ち込み、互いに殺し合わせることになるのだ。

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