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2015年10月4日 - 2015年10月10日

2015年10月10日 (土)

ノーベル平和賞と南京事件の世界記憶遺産登録

 ノーベル平和賞に日本の憲法9条がノミネートされていたが、今回はチュニジアの「国民対話カルテット」が受賞した。チュニジアの「国民対話カルテット」はいわゆる「アラブの春」 運動の一環として起きた、チュニジアのベンアリ独裁政権打倒の政変でイスラム系政党ナハダと「世俗派」の対立から生まれた危機を、労働組合、産業商業手工業組合、人権擁護連盟、全国弁護士会の4つのグループが結成した枠組みが救ったからだ。「アラブの春」では、多くの独裁政権が打倒され、当時の新聞では「市民的民主革命の勝利」を賞賛した。ある文化人はこれを「インターネット時代の祝祭的デモ」と評し、新時代の革命のスタイルだと賞賛した。

 しかし、その後、そのほとんどが、独裁政権打倒後の政治的混乱にどうじて入り込んだ「イスラム過激派」の拠点化を防ぐことができず、混乱と内戦の状態に発展してしまった。シリアでは生き残った独裁政権を巡って欧米側が支援する反体制派とロシア・イランなどが支援するアサッド独裁政権とISとの三つ巴の戦争が続き、荒廃したシリアやイラクから多くの難民がヨーロッパに押し寄せるという悲惨な事態が起きている。またエジプトでは、ムバラク独裁政権打倒の後、いったんイスラム政党が民主的選挙で政権を取ったにもかかわらず、軍部がクーデターを起こし、この政変を覆し軍政を敷いた。その背後にはアメリカとイスラエルの影があると思われる。
 こうした中で、チュニジアでは唯一、民主的政権が誕生し、それが何とか軌道に乗っている。その要因として考えられるのは、やはり、単なる「市民運動」としての革命を脱し、社会の中枢を握る労働組合などの組織が革命をリードできたという事実であろう。
 日本でも安保法制反対を巡ってSEALsなどの市民運動が台頭したことにマスコミで文化人たちは「フランス革命のようだ」と賞賛した。しかし、案の定、安倍政権側の勝利に終わった。やはりバラバラな個人の寄せ集め的運動でなく、もっと戦略的で組織的な運動を生み出さねば、いまの保守勢力には絶対勝てないだろう。その意味で、憲法9条を金科玉条とするよりも、むしろこのチュニジア革命での例こそ、見習うべき何かがあるのではないか?
 さてもうひとつ、ユネスコの世界記憶遺産に中国から申請された旧日本軍による南京虐殺などを含む南京事件が、登録されたことだ。これに対して、日本政府は事実と反することが含まれているという理由で ただちに中国政府に抗議を申し入れている。
しかし、たとえ習近平政権がこれを政治的に利用しようとしたにせよ、そうした事件があったことを認め、それを二度と繰り返さないと誓うことは、必要であろう。だが、あの戦争での大陸での「加害者」としての事実を「自虐的歴史観」としかとらえることができないのが安倍政権の特徴だ。
 そんな安倍政権が目指す「一億総活躍社会」とは、かつての「一億総火の玉」を叫んで、すべての国民を戦争遂行のために「活躍」させようとした時代と何が違うのであろうか? かつては戦争であったがいまは経済成長だ、とでも言いたいのであろう。
 しかし、トップダウンで資本家達のための経済成長を叫び、そこにすべての働く人々の人生を結集させ、資本のために奉仕させることが何を意味し、どんな社会を生み出すのか、そろそろわれわれも気がつくべきではなかろうか。
  あの戦後の経済成長がその後、何を生み出したのか、かつての経済成長のために人生を企業に奉仕してきた人々はいま、少ない年金生活での孤独な老後を送り、就職戦線で勝ち抜くために受験勉強に命をかける若者達は、その先にグローバルな資本家同士の戦いに明け暮れる企業戦士としての人生があり、ますますひどくなる格差の中で貧困のため親からも捨てられ、学校にも行けなくなった子供達が増え、そして世界全体では資本家同士での安い労働力の争奪戦と格差の増大がもたらす民族や国家の対立、それにもかかわらず市場での過当競争で生み出された過剰な生産と消費がもたらす膨大な廃棄物と資源枯渇からくるその争奪戦、それらの結果としての地球規模での気候変動など枚挙のいとまがない。
 こんな世界にしてしまったことへの反省が何一つないのが、かつての戦争への反省が何一つないのと同様、 安倍政権の本質でもある。
 これに対抗するには、バラバラな個人としての市民運動だけに希望を繋ぐのではなく、組織的戦略的運動を起こすことこそいま必要なことなのではないだろうか?
われわれが過去の歴史的事実をいかに反省し、教訓化し、将来どのような社会をつくろうとしているのか、それを実現させるにはどうすればいいのか、そして自らの意識変革(小市民意識からの脱却)をその中で考え実践して行く必要があるのではないだろうか?

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