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2016年1月21日 (木)

資本主義社会とは何なのか?<3ー「市場原理」による労働力の社会的配置>

 (2016.05.12一部修正)

どのような社会であっても、さまざまな人々によるさまざまな形の社会的に必要な労働の分担(社会的分業)によって社会全体が維持されるが、そのためには社会全体としてどのような労働部門にどれだけの労働力が必要であるかつねにが問題となる。前近代的階級社会では、支配者(王など)とその下部組織が一方的トップダウンでこれを行ったが、当然それはつねに実情との食い違いが生じ、一方で有閑的労働部門があるのに他方では過酷労働で次々と労働者が死んでいく労働部門があるということもあったようだ。

しかし近代資本主義社会では、商品市場がこれを実現させている。社会的に必要なモノを生み出すある労働部門で、そこから供給される商品の需要が増え、商品が市場で足りなくなれば、その商品の価格が上昇し、生産を増やす必要が出てくるので労働力が足りなくなる。そうすると今度は労働力商品市場での当該労働部門労働力が値上がりし、労働者はその部門に高い賃金で雇用されるようになる。そうなると労働者がその部門に殺到し、やがてその部門で必要とする労働力は満たされる。一方、生み出される商品が市場でダブついてきた労働部門では、労働力が余り、賃金は低下し、それでも余る場合は労働者は解雇される(資本家はこれを「人員整理」という)。再び労働市場に放出された労働者は、賃金の低い部門でも甘んじて職を求めなければならなくなり、結局再び労働力市場では労働力が平均的価格にもどる。

たしかに、このような資本家的市場を通じた労働力の社会的配置の調整は、支配者のトップダウンでなく「市場原理」にもとづくものであるのだが、つねに「市場で売れる」ということが社会的労働部門全体の目標となっており、この暗黙の力が各労働部門を経営する資本家達のドライビングフォースとなっているため、労働者はそのための手段に過ぎない。このため資本主義社会では社会的労働は資本家的な分断によるこの社会特有の分業形態を取っており、労働者の巧みな職人ワザやその養成にかかる時間は資本家にとってはカネと時間を無駄にし、そこから生み出されるモノの価格を高くする労働形態なのである。だから労働はつねに細分化され単純化され、やがて機械に代行させてしまう方向に向かう。これは一方で商品市場での価格競争に勝つための相対的剰余価値の増大(資本家的「生産合理化」) をめざす行為でもあり、生産性はこれによってどんどん高められていく。他方では単純化された労働は容易に「入れ替え可能」な労働となり、労働力市場での労働力商品の価格を低くできるとともに、容易に異なる労働部門への融通が可能になる。

 こうしてある部門で労働力が不足しても、その部門の資本家にとって労働力市場から容易に安い労働力が得られるようになるのである。
 こうして資本主義社会では「市場の法則」を通じて労働力商品という形で労働力の社会的配置も行われている。しかし資本家の利潤獲得競争だけに任せておくと、市場での競争に勝つためのいわゆる生産性向上とともに上昇する生産力が商品市場での過剰を生みだし、生産と消費のバランスが急激に崩れることになる。そのため社会全体が経済恐慌などに陥ることがあるため、いわば総資本の立場でこれを全体として調整していく必要が出てくる。そこに資本主義社会での国家とその政府の役割がある。「中立」を装う政府や役人達の本質は「総資本代表政府」なのである。しかし資本主義イデオロギーではこれが「公(おおやけ)」の立場とされる。
 
 こうして資本主義社会の労働者にとっては労働内容そのものはほとんど選択の余地もなく、何はともあれ資本家に雇用され、労働賃金によって生活を維持することが第一の目的とならざるを得ない。彼の労働は彼自身の主体的意志によるものではなく、資本家の意志を実現させる行為にすぎないからだ。
そこで資本主義社会での労働形態の実態を見てみよう。
  資本主義的分業の進展によってモノづくりはその設計や販売などのような頭脳労働を主とする部門と、製造・建設のような身体的労働を主とする部門に分かれ、前者はその能力の養成に高度な教育が必要であることから労働賃金が相対的に高く、後者は単純労働であるため賃金が低く抑えられている。労働内容も前者の頭脳労働者は資本家の意図や戦略を代行する立場にあり、後者はそれにしたがって具体的なモノを生み出すという意味でより「下位」に見られる位置に置かれている。
  しかしやがて資本家的教育産業は、この頭脳労働者への需要に応じた「人材」を大量に排出するようになり、逆に身体的労働者の供給が減り、賃金も高騰した。そこで資本家達は競争に勝つために身体的労働が必要な部門を競って賃金の安い国へと移していったり(生産拠点の国外流出)、低賃金労働に応じれくれる移民労働者に依存することになった。そして国内の身体的労働者達は「整理」されるか、いわゆる第3次産業や非正規雇用へと追いやられたのである。
 やがて、世界はインターネットとという情報通信網に絡め取られ、すべてがこれを前提に動き出すことになったため多くの頭脳労働者がここに吸収された。しかし社会的必要労働は情報のやりとりだけでは決して済むものではない。情報はモノの別の側面に過ぎず、それは必ずモノの生産と消費およびそれを結びつける物流を必要とするのであって、結局情報産業が増大すればそれに応じたハードの生産や物流も増大する。そしてそれは物流関連産業での過酷な労働を生みだし、同時に頭脳労働者と身体労働者の世界は国境を越えて世界中を資本による巨大なネットワークとして結びつけていった。
 いま世界全体のモノの生産と消費はこの情報網と物流網を支配する一握りの「グローバル資本」によって支配されていると言ってもよいだろう。そしてそれらのもとで雇用され働く世界中の労働者達はみな個々バラバラな立場であちこち職場を変わり、ほとんどが非正規雇用というかたちで自分の人生の将来も見えない不安定な希望のない生活を強いられている。彼らは皆ともに同じ立場に立たされているにも拘わらず、それぞれ「国家」の境界線内に閉じ込められ、互いに労働市場での競争相手としてしか見ることができなくさせられている。
 こうしていまや労働の社会的配置問題は、一国内の問題ではなく世界スケールでの問題なのである。そして社会に必要なモノづくりは一国単位では不可能になっている。われわれが日々商品市場で目にする生活資料はどれを取ってみても世界中の労働者階級による産物なのである。なのに、それは一握りのグローバル資本の巨大な富を増やすためにつくられたモノであり、われわれはそれを消費することで彼らに奉仕しているのである。この現実を知れば、われわれの生活が決して「豊か」などではなく、惨めな賃金奴隷状態であることが分かると思う。

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