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2016年1月 6日 (水)

資本主義社会とは何なのか?<1ーいまわれわれの置かれた位置>

(2016.05.12一部修正)

 グローバル資本が世界を支配するようになったいま、「資本主義」というコトバが一種の流行りになっているが、その本質についての論議はほとんど見当たらない。いわゆるリベラル派の論客は、一方で資本主義社会での「強欲な資本家」の振る舞いを批判し、他方では、旧社会主義圏の国々の様な社会の仕組みを「個人の自由を奪う仕組み」と忌み嫌い、「自由と平等」を旗印にしたがる。しかし資本主義社会の仕組みそのものは否定しないという人が多い。そういう立場の人たちはマルクスをご都合主義的に解釈することが多いようだ。

  しかしマルクスの思想は旧社会主義にも「強欲資本家」を否定した「自由で平等な資本主義」にも当てはまらない。資本主義社会とは社会を成り立たせるために行われる人間労働の成果が資本という形で物化し、生きた人間の在り方や労働そのものを支配している社会である。そして他人の労働の成果を無償で(何故「無償」といえるのかは資本論の第一巻前半部分を読むだけで明らかになる)資本として私的に所有し、これをもって自分の「自由」を謳歌する資本家たちの階級が、社会のために働く人々の生活すべてを支配しているのだ。この社会での「自由と平等」とは支配階級である資本家の自由と平等をいうのであって、それに支配され日々自由を奪われ続ける労働者たちにとっての自由と平等では決してない。資本家達の「自由」はお金を使って豪勢な遊びを買ったり、政治をお金でコントロールしたり、気まぐれに貧困国への莫大な寄付をして善人ぶったりする「自由」である。しかし彼らの「自由」を保障するのは「お金」であり、そのお金はすべて世界中で労働を搾取(「搾取」とは感情的なカテゴリーに属する言葉ではなくマルクスによって完全に論理的に証明されているカテゴリーである)される労働者達の労働の成果である。本来ならばそれはすべて労働者自身に取り戻されるべきものである。これが違法でなく合法化されのはこの社会での法律そのものが支配的イデオロギーのもとで生まれた法律だからである。

 そしていわゆるプチ・ブルジョアと呼ばれる人々は、資本の支配のもとでその機能を分担して執行する人々や下請け企業を営む経営者や、大資本家のために奢侈品をつくったり、サービスしたりして、そのおこぼれを収入として生活する人々などであり、この階層が20世紀後半の「先進」資本主義国ではいわゆる「中間層」として社会の大半を占めるようになった。そして「リベラル派」の思想はこういう「中間層」の人たちが好む思想である。この階層は基本的には資本家階級に依存(寄生)しており、資本主義社会の中でしか生きられないという事実を忘れてはならない。 そしてトマ・ピケティ(彼は資本論を読んでいないか理解していないと思われる)も指摘するように、この中間層の増大という現象は、戦争によって、世界恐慌を引き起こした過剰資本が処理され、疲弊した国々への復興に対する労働力不足などが相まって生じた一時的現象であって、現に、冷戦終息後の世界で本来の資本主義の状態に戻ったため、この中間層の崩壊と両極分解が起き始め、いまや「格差」増大は「先進資本主義国」で深刻な問題となっている。
 そして肝心の労働者階級であるが、残念ながら資本家的に分割・再構成された資本主義的労働形態において、支配的イデオロギーのもとで個々バラバラにされて社会のために働く労働者達は、資本家的な「自由」への幻想を抱かされ、だれでも才能と努力さえあれば資本家的自由を手にすることができるという幻想(例えば「アメリカン・ドリーム」など)をニンジンの様に鼻先にぶら下げられ、その幻想に向かって競馬馬の様に日々過酷でストレスフルな労働に従事させられる。資本家にとっては労働者の労働力は単に資本のために価値を生み出す商品でしかないから、労働者が疲れ果てて不満を漏らしても「努力が足らん」とか「いやならやめろいくらでも代わりは雇える」と陰に陽に圧力を掛けられるのが関の山である。そして「自由に好きな仕事に変われる仕組み」などと呈の良いことを言われて非正規雇用がまかり通ることになり、労働者をいつでも使い捨てできるようになった。労働者はいったん失業すればより困難で不利な労働に就くか、希望のない貧困の中に放り出されるのである。
 いくら「個人の自由と生きる権利を!」と叫んでみても、資本家と一対一の「市民」では絶対に労働者は勝てない。それが階級社会というものだ。 支配階級である資本家に対峙するためには「個人としての市民意識」から脱却し、同じ立場(階級)の労働者達どうしが団結し組織的な活動で対抗しなければならない。
 そしてかつて20世紀の初め、マルクスの思想を歴史的必然として実現しようと頑張った(歴史的必然は何もしないでいては実現できないから)人たちがいた。それはロシアで革命を成功させ、やがて世界中の労働者が団結して資本家階級の支配を打ち破ろうとする運動がさまざまな困難の中、試行錯誤しながら世界中に拡がっていった。しかし残念ながらスターリンらによって後戻りのできない過ちの道を歩むことになり、マルクスの描いた労働者の社会とは真逆の硬直した「社会主義国」を生み出し、その一方で、戦争によって過剰資本を処理したことで「経済成長」基調に乗った資本主義社会は世界経済を席巻し「社会主義圏」も結局これに呑み込まれて行くことになってしまった。
  だからいま、労働者階級は、こうした運動がなぜ、どこで間違ってしまったのかを真摯に反省し、バラバラな個人に分解させられて支配的イデオロギーに取りこまれている労働者の悲惨な現状を克服していくべきときなのだと思う。歴史は資本家たちがつくるのではなく、労働の現場で社会のために働く一人一人の労働者の手によってつくられていくべきなのだ。その考え方が世界中の労働者の共感と団結意識を生み出すことによって本来の意味での反戦にもつながるのだ。ブルジョア法である憲法の枠内で戦争が抑止できるという幻想ではなく、世界中の労働者が人種やコトバが違っても本質的に同じ立場にあることに気づき、互いに国境を越えて団結することこそ真の意味での反戦につながるのだと思う。

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