« 資本主義社会とは何なのか?<3ー「市場原理」による労働力の社会的配置> | トップページ | 閑話休題:アメリカ大統領選に見る商品化社会の運命 »

2016年2月 6日 (土)

資本主義社会とは何なのか?<4ー商品化される労働者の生活と人生>

(2016.05.12一部修正)

資本主義社会でも他のあらゆる歴史上登場した社会と同様、日々そこに生活している人たちが必要なモノがつくられ、消費されていることはいうまでもないことであるが、ここではそれが資本の拡大再生産のために行われ、社会が必要とするモノはそのための手段としてつくられ、消費されている。だから労働形態を含め生産と消費の仕組みや構造は資本の拡大再生産にもっとも都合が良く分割再構成(資本主義的分業形態として)されており、消費の形もこの社会特有の形(資本主義的生活様式)になっている。そしてこれらの生産と消費の仕組みを動かすための政治もまた同様である。

  こうしたすべて資本主義社会特有の形態であるものが、ここでは普遍的な形態であるかのように扱われ、学校でもそう教育されている。こうした思想的状況をわれわれは「資本主義的イデオロギー」と呼ぶ。

 「資本主義的イデオロギー」では、この(資本主義)社会は、自由で平等な個人の集合体によってできているとされているが、そこでは社会を支えるために働く人々が、そうした人々を働かすことによって資本を増殖させている人々、つまり資本の運動が人格化された人々「資本家」によって運用される企業に雇用されており、本来は諸個人の人格を社会的に表現するはずの労働内容や労働力は、資本家に売り渡されることによって彼らの価値増殖の手段として行使されている。資本家階級は自らの所有する生産手段をもって労働者を働かせることによって労働力の再生産に必要な価値(労働賃金として表現される)以上の価値(剰余価値)を手に入れ、これを含む生産物を商品として市場で売ることで利潤を得る。本来この剰余価値部分は社会的に共通に必要なファンドととして労働者階級全体に還元されるはずのものであるが、資本家はこれを私的に所有し、これを再び資本の増殖のために用いる。この間、資本は資本家の貨幣として生産手段や労働力を買うために用いられ、それによって生み出される商品という形をとり、再び市場で増加した貨幣として資本家の手に環流する。
 資本のもとでモノはこうして作られ、流通し、消費されるが、労働者に与えられる賃金は生活資料の購入に当てられ、食料や衣類という消耗品はもちろん、耐久消費財や家、土地などという労働者の生活にとっては生きるために必須の要素をも生涯かけて獲得しなければならない。土地は本来自然そのものであり、人間のつくったものではないから価値はない。しかし資本主義社会では私有を前提とした資本家階級によってこれが財産として扱われ、需要と供給の関係だけでまったくとほうもない価格がついて売りに出される。だから労働者にとっては生涯働いて稼ぐ賃金すべてを前取りされて(ローンなどという形で)それを「住むための場所」として獲得しなければならなくなる。
  こういう生活資料を獲得する行為が労働者の人生そのものとなる。それはまた労働力商品同士の競争という形で展開され、生きるための闘いでもある。受験戦争や就職戦線という形で展開される労働力商品同士の戦いは若い労働者予備軍にとっての生涯を左右する闘いとなる。本来互いに連帯し団結し合わねばならないはずの労働者たちは、個々バラバラに切り離され互いに対立・競争しあう個々の労働力商品という形にされている。これが労働者階級の「自由で平等な」生活の実態である。
 一方資本家は、自ら得た利潤のうち資本増殖に必要な部分を除いた余りは自分の個人的所得として生活資料の購入や余暇や趣味に当てる。だからそうした資本家や富裕層の贅沢な趣味や遊びのために奉仕してそのおこぼれを頂戴しながら生きる人々もまた労働者の中には存在する(近年はそうした人々が増加している)。そして資本家は土地や家などは財産の一部として運用する。彼らにとっては金儲けが生き甲斐であり、人生の意味であり、儲けたカネはどう使おうと勝手である。ときには貧困な人々への寄付などして社会から感謝されたくもなる。だがなぜ彼らが貧困を強いられているのかなどまったく知らぬふりをして。
 こうして本来労働者階級にとりもどされるべき社会的富の大半は個々の資本家によって互いの競争に打ち勝つために投資され、のこりは「法人税」などとして資本家たちが共通に必要な社会的経費として蓄積され用いられる。社会的共通経費として労働者階級から税金という形で賃金の一部から吸い上げられる莫大なカネは、労働者階級にとってみれば本来資本家がその全所得から支払うべきものである。いわく福利厚生費、社会的教育費、医療保険費、行政費、警察公安費、 防衛軍事費etc.etc,,,である。形の上では対等な個人として資本家も労働者も税金を払わねばならないという形であるが、資本家は本来社会共通ファンドとなるべき部分のほとんどを、自らの経営努力の成果という名目で私的な財産の増殖に用いている。
  他方、労働者階級は、生涯資本家の富の増殖のために働いて獲得できるのは労働者として生きるために必要なモノであって、全人生を通じて得られる財産といえるモノはせいぜい持ち家くらいであり、これは自分の子供など次世代の労働者のために引き継がれるが、これも相続税の対象とされ、不動産資本家によって商品として利潤の対象にされる。ほとんどの場合、次世代の労働者は親から財産を引き継ぎ蓄積することができないで、再びゼロリセットの人生を送らざるを得なくなる。そしてその生活は誕生から死に至るまでのすべての出来事が資本家的ビジネスのターゲットとなるのである。
 これが「自由で平等な」な資本主義社会の労働者たちの真実である。
  資本家達は市場での互いの競争に勝つために熾烈な価格競争を展開し、そのために生産性がどんどん高められ(効率よくモノがつくられるようになり)、商品として生み出されるモノはもはや過剰になった生産力がもたらす過剰資本(そのままでは利潤に結びつかない資本)の圧迫を排除し、再びそれを利益に変えるための手段として絶えず必要もない需要を生み出させ、そこで消費させる商品をどんどんつくる。労働者は「消費者」として次から次へと新しいモノをどんどん買い、どんどん捨て、また買うことを繰り返すのが彼の存在意義であるかのように思わされている。そのために必要なカネを資本家から「賃金」として貸与される。
いまの資本主義社会は、こうした自転車操業を維持させる経済システムによって辛くも崩壊を免れているのである。それは一方でつねに大量のエネルギー消費と廃棄物の山を築くことで地球環境を破壊し、他方ではアジア。アフリカや中南米などの「開発途上国」で低賃金労働の搾取を拡大させ、モノはこういう人たちによってつくられ、「先進資本主義国」の労働者達によって惜しげもなく使い捨てされ、それによってグローバル資本家はどんどん肥えて行く。
そしていま、「先進」資本主義諸国の「中間層」労働者も格差拡大といわれるような形で崩壊しつつあり、グローバル資本家階級が「開発途上国」の膨大な数の労働者達への労働搾取から得る莫大な富の「おこぼれ」によって潤う時代は終わりを告げつつある。いまは経済的に余裕のある家の子供だけがエリート教育を受けることができ、 大多数の家庭では子供の学費を稼ぐために母親もパートタイマーとして働かねばならなくなったり、授業料を払えない家庭の子供達は学校に行けなくなり、ドロップアウトした若者達は「開発途上国」の労働者と同水準の労働賃金でしか働けなくなり、希望のない日々を過酷な労働によって維持しなければならなくなっている。

「豊かなモノに溢れた生活」も、一方ではいわゆる「ブランド商品」などのように恣意的な供給抑制により、実際の価値から遙かにかけ離れた市場価格で売られる「付加価値商品」が富裕層のために存在し、他方、貧困化する労働者たちの生活では、どこかの国で低賃金でつくられた100均商品が大半を占めるようになり、自身の少ない賃金もスマホの高額な通信料であっというまに消えていく。

これが「腐朽化した資本主義社会」の姿である。 いったい何のため、誰のためのモノづくりなのか、何のため、誰のための新製品開発、デザイン開発なのか?よく考えて現実を見よう。

|

« 資本主義社会とは何なのか?<3ー「市場原理」による労働力の社会的配置> | トップページ | 閑話休題:アメリカ大統領選に見る商品化社会の運命 »

哲学・思想および経済・社会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/63138984

この記事へのトラックバック一覧です: 資本主義社会とは何なのか?<4ー商品化される労働者の生活と人生>:

« 資本主義社会とは何なのか?<3ー「市場原理」による労働力の社会的配置> | トップページ | 閑話休題:アメリカ大統領選に見る商品化社会の運命 »