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2016年4月 3日 (日)

モノづくりの革命から始まる社会変革(1)

 海文堂から2014年末に発刊した「モノづくりの創造性--持続可能なコンパクト社会の実現に向けて」という本が、あまり売れていないので、ここで主著者である私からここに込められた思想についてコメントしようと思う。

 いま私たちが生きている21世紀前半の時代は、世界中が資本主義経済体制のもとに置かれ、あたかもそれが人類社会の至るべくして到達した姿として人々の目に映っているようだ。そこでは「自由な市民」が自分たちの選んだ政治家が行う政治によって統治される社会があり、自由意志によって起業した企業家が自らの所有する財産(資本)で買い入れた生産手段によってモノをつくり、それを商品として自由に売って、そこから得られる利潤で自分たちの事業を継続発展させていく。そこには自由な競争が前提されていて、それによって市場での「原理」(いわゆる需要供給のバランス)で商品の価格が適正に決まり、それを買う側の利も維持される。
 しかし、この図式の中でその企業家のもとで働き実際にモノをつくるために働く人々は主人公ではない。その働き手は資本主義社会の原型である産業革命当時の社会と比べればおどろくほど多様な分業に分割され、頭脳労働を主とする商品管理や人事管理のための事務労働および商品そのものの設計や生産工程管理などを行う技術者、それに従って身体的労働を行い直接モノをつくる工場労働者や建設現場労働者、生産された商品を市場に運ぶ運輸労働者などなどである。
 こうしたさまざまな分業形態の労働者は、決してモノづくりの主人公ではなく、むしろ彼らはこうして働く労働の「対価」(実は対価ではないのだが)としてもらう賃金によってそれらの商品を街の商店で求め、買うことによって生活する「消費者」としてしか位置づけられていない。これに対して生産の意図そのものを握っている「生産者」とは上述した生産手段を所有する企業家のことである。
 ここにおおきな錯誤が生じる。いまの社会でのモノづくりは、実際にモノをつくっている(つくらされている)人々が生産手段を持たず、他方、生産手段を所有するのは、それによってモノをつくるために必要な労働者を雇用することのできる企業家であり、直接にモノづくり労働を行っている人々はその企業家の生産手段により、企業家の意図のもとにおいてしかモノづくりができない。
 その企業家はモノを商品として市場で売り、そこから利潤を得ることを前提につくる。だからこそ自身が所有する資本を生産資本としてそこに投入するのだ。そしてその生産資本の中に生産手段ばかりでなく労働力も含まれる。だからその企業家に雇用されて働く労働者(たとえそれが設計技術者やデザイナーという形であろうとも)のモノづくりの意図はその企業家の意図の実現のための労働力としてしか意義を持たされていない。デザイナーは企業家の意志決定に必要な選択肢をあたえるために自分のアイデアを提供することしかできない。
 企業家は、「消費者が買ってくれるような商品を努力してつくっています」という。そしていかにも「消費者」が主人公であるかのように振る舞う。だが実際には「消費者」は企業家によって「売るためにつくられたモノ」を買うことによってしか自らの意図を実現させることはできない。すでに決定的にモノづくりの主体姓を奪われているのだが、それに気づかされていないのだ。だから「生産者」である企業家にさまざまな不満や要求をぶつけることしかできないのである。生活者は自由に自分たちに必要なモノを自分たちの手でつくれない。実際に企業に雇用されてモノをつくっているのは自分たちや同じ立場の労働者たちであるにもかかわらず。本来、それらのモノは、それがなぜ必要なのかを知っている人々によってつくられるべきではないのか?われわれが社会の中で生活するために必要なモノをわれわれ生活者自身の労働によって生みだし、それを使うということが基本なのであって、それが商品である必要など本来まったくないし、まして初めから売るためにつくられたモノへの宣伝広告によって購買欲をかきたてられ本来必要もないのに買わされたりする必要などまったくないはずだ。しかしいまの経済はこうしたいわば過剰な消費(本来なくてもいいものを「必要」と思わされて買うことで生じる消費)を拡大させることによってしか維持できなくなっているのである。
 いま世の中の経済はこうした企業家( 産業資本家)によるモノづくりを土台にしてそれをとりまくさまざまな業種によって成り立っているが、そのすべては、モノづくりから生まれる価値によって回っているのである。現実にはいまでは「モノづくり」に必要な労働がいかに安くて済むかによって、労働力を獲得する場所が国境を越えてグローバルになっている、したがってそこから得られる莫大な資本も国境を越えてグローバルな存在となっているため、一国のレベルでは資本主義経済の仕組みは成立し得なくなっている。
これについては別途説明が必要であるが、要するにモノづくりの資本主義的形態のもつ矛盾がさまざまな形でのこの仕組みに特有な業種や資本主義的経済のあらたな仕組みを生みだし、金融資本や商業資本などが複雑に絡み合った社会となっており、社会のために働く人々のほとんどはこうした資本主義社会特有の分業体制の中での労働によって得られる賃金によってその生活を支えている。
  こうした社会を「あるべき社会」として描くことがこの社会を支配している者たちのイデオロギーであり、これが労働者たちに「自由で平等な市民社会」という幻想を植え付けているのである。そしてそうしたイデオロギーと仕組み全体を支えるために「国家」があり、そこで政治的な統治が行われる。したがって、この支配的イデオロギーの虚偽性を知ることから、政治的な社会変革が始まらざるを得ないのだが、他方で同時に、それを基本的に支えるモノづくりの在り方における矛盾を変革していくことが必須の要件なのである。
 一口にいえば、モノづくりにおける変革なしに政治的変革はありえないのである。
(つぎに続く)

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