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2016年7月11日 (月)

参院選の結果について考える(修正版)

 昨日行われた参院選で、自民・公明与党は、目標を達成し、他の「改憲グループ」と連携すれば2/3を獲得することができ、改憲の発議が可能となった。「改憲阻止」の一点で選挙に臨んだ民進。共産他の野党連合は完全に敗北したとみてよいだろう。

 しかし、世論調査では「改憲賛成派」は全体の半分に達せず、もし国民投票ということになっても憲法改定が決まるかどうかは分からない。だから安倍政権は選挙では「改憲」を表に出さず、アベノミクスの推進を強調した。「改憲阻止」のみを看板とし、経済問題に積極的ではなかった民共連合とは対照的である。これは自公連合の作戦勝ちといえそうだ。
 この選挙での問題は一言でいえば、野党側の無為無策であろう。アベノミクスの破綻を掲げながらその理論的分析とそれに対抗しうる経済政策が打ち出せず、改憲阻止を掲げながら、「国際情勢が緊迫する中で、軍隊がなくても大丈夫なのか?」という庶民の素朴な疑問に何も応えられなかったからだ。
 このままでは、たとえアベノミクスが破綻して経済危機がやってきても、改憲反対が過半数を超えるか疑問である。むしろそうなれば憲法を改定し国軍を持つべきだという世論が多くなるのではないかと思う。
 国軍がなくても平和が維持できるという素朴な主張は幻想であると思う。相手が攻撃してきても黙って侵略や殺戮に身を任せるのかという疑問にこうした素朴な平和主義は反論できないからである。本当に「9条死守」だけでよいのか?
 問題は憲法9条が1条の天皇条項とセットになった「ナショナリズム的戦争放棄」にあるのだと思う。つまり天皇を象徴とする「国民国家」が戦争で他国に侵略し自国も惨めな結果を及ぼしたことへの「反省」として天皇を象徴とした国家が「戦争止めた」と言っているにすぎないのである。つまり「国民国家」がその根本にある国家観を維持しながら単に「戦争への反省」を表明しているにすぎないのだ。
 だから「他国が攻めてきても自国を護るすべがない」という国軍保持論者が登場するのは必然の帰結であり、それに対して戦争反対を唱える素朴な雰囲気的平和主義はその土俵の上ではこれに勝てないのである。
 近代的国民国家の基本原理である「国家の一員」という観念の上に築かれる「国民意識」つまりナショナリズム的イデオロギーによる階級支配の隠蔽構造こそ真の意味での反戦を阻んでいるのだと思う。
 これは民進党のように保守支配層を「左」から補完する機能を果たすにすぎない「リベラル派」にはもちろんのこと、一見マルクスの思想を受け継ぐかのように見える日本共産党による「憲法9条絶対維持論」についてもいえる。共産党は「自衛隊解体」などと言ってるが、例の「他国が攻めてきても護る手立てがないじゃないか」という素朴な反論にはいつも曖昧なごましでしか応じられない。万が一、ある国の軍隊が攻撃してきたら、共産党は、たちまち国民国家の支配層が自国の労働者階級を「国軍」として相手国の労働者階級と戦わせることになっても反対できないのではないだろうか?
 それは、歴史を辿れば、第一次大戦中に高まった国際的な労働者階級の運動が、スターリン派に支配され、その誤ったイデオロギーである「一国社会主義論」によって支配され続けてきた結果でもあるともいえる。「一国社会主義論」は国際的な労働運動の中で、それぞれが直面する国家的支配と対決しながら、そこに社会主義的政権を打ち立てていくという意味での過渡的戦略として打ち出されたものを絶対化・普遍化してしまい、そのことによって近代的国家(ブルジョア国家)そのものを是認し、普遍化することになってしまったのである。そうした考え方のもとでは基本的に「国民国家」を普遍化し、その論理のもとでは必然的に「国軍」が要求されざるを得なくなるのである。
 だから民進も共産も結局は安倍保守支配層が打ち出すであろう改憲と国軍保持の主張には論理的に勝てないことは目に見えている。
 いま必要なことは、過激なテロや国家間の利害を巡って高まる国際的緊張の中でマスコミなどによって扇動されるナショナリズムや単なる「ガス抜き」的リベラリズムなどの支配的イデオロギーによって見えなくされてしまっている階級的な現実を、客観的かつ冷静に把握し、いかにして国境を超えた労働者階級間の国際的連帯と、それによる、「ナショナリズム」を武器としたグローバル資本主義支配体制への対決体制を生みだしていけるかなのではないだろうか?
そして「アベノミクス」が競争相手の国家的資本主義諸国に対して「国益」を護るというふれ込みで労働者階級を犠牲にして支配層の維持を図るグローバル資本の日本的支配体制以外の何物でもないという事実をあきらかにしていくことなのではないだろうか?
 国民国家の本質をあきらかにせず、その支配的イデオロギーの中に埋没している間は世界から戦争はなくならないだろう。資本主義国家群の支配層たちによる馬鹿化た「自由競争」のもとで。本質的には互いに同じ立場に置かれているにも拘わらず、各国支配階級によって「国を護る」というイデオロギーを植えつけられ戦場に駆り出され殺し合いをさせられる労働者階級が、その矛盾に気づき、互いに武器を捨てることこそが真の意味での反戦につながるのだと思う。
だが 残念ながらこうした歴史的視野をもつ政党や組織がかつて存在した時代もあったが、いまの日本では消滅してしまったのである。なぜそうなったのか?これもわれわれにとっては大問題であろう。

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