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2016年7月26日 (火)

混迷する労働者階級(その2)

 今朝の朝日新聞の1面〜2面に「分断世界」というコラムがあり、そこで「<自国第一>が各国に拡散」という論説風の記事が載ってた。内容は最近いわゆる先進諸国で移民政策などを巡って「自国第一」という主張の政党が支持を集めており。これはそれらの国でいわゆる中間層が移民などに職を奪われ貧困化しつつある現状への「怒り」を政治的に利用して現状を打破しようとする動きであり、それがネット社会特有のスピードを持って拡散する結果と考えられる。そしてそこには代議制民主主義の限界も現れている、というものである。最近の朝日にしてはまともな記事だと思うが、私が同様の問題について述べた最近のブログで書いたような「階級社会の変貌」という視点はない。

 私がもっとも注視したいのは、こうした世界的動向が、一部ではテロという形で暴発し、他方では現状の政治への不満がある種の大衆運動として巻き起こるという状況の中で、互いに手を組むべき労働者階級がむしろ互いに傷つけ合い対立を深めているという事実だ。
 いまの世界は「東西冷戦」という形をとっていた「社会主義陣営(実は非マルクス的国家社会主義)」と「自由主義陣営(実はグローバル資本主義)」の対立が崩れるべくして崩れ、その後に「一人勝ち」した「自由主義陣営」がもたらした世界なのである。
 かつては「対共産主義」という形で「自由主義陣営」を名乗る資本主義諸国は互いに一致した立場にあり、自国の労働者階級への一定の配慮を必要とした。いわゆるクリ—ピング・インフレーション政策で、中央銀行が発行する貨幣の量を少しづつ増やし、それをテコにして労働者の賃金を少しづつ上げ、購買力の上昇による、消費財の販売増加という形で賃金として与えたカネを資本家側に環流・再蓄積させていくメカニズムが成り立っていたと考えられる。
そこでは労働者階級の「中間層化」という現象が発生し、モノが生活に溢れる中でなんとなく豊かになったと感じさせる生活があり、労働者は「自由な個人」あるいは「消費者」としてバラバラな存在にさせられ、階級意識を失わせていくことに成功していた。それが「リベラリズム」あるいは「市民意識」という中間層的政治意識を育んでいったと考えられる。
 しかし、資本主義陣営が「一人勝ち」してからは、「共通の敵」を失った資本家同士の熾烈な競争が始まり、それがグローバルな形で展開されるようになった。そこでは市場での価格競争に勝つための低賃金労働の獲得が必須となり、まず価値の源泉である「モノづくり労働」が低賃金労働者を大量に供給できる国々へと流出した。
  冷戦の生き残りである「非マルクス的国家社会主義国」である中国がまずその人口の多さと優れた労働者の質においてもっとも注目され、グローバル資本がそこに莫大な投資をした。そして急速に「成長」したのである。そこには新興の資本家や新興の富裕層が誕生し、やがて彼らはグローバル資本が生む商品の「消費市場」として注目されるようになっていった。
一方、いわゆる先進資本主義国では生活財の生産のほとんどが低賃金諸国に流出してしまい、流通・販売、住宅建設、金融、サービス産業を含む第3次産業そして高度な技術を必要とする軍需産業などが主流となっていき、かつて生活財モノづくりを支えていた労働力の多くはそうした業界に吸収されていった。しかしその中で、「高賃金社会の不採算性」という資本主義経済特有の問題が、移民など海外労働者の導入と依存によってそれを補う形へと進むことになり、自国内の労働者は職を失うことになっていった。こうした中でさらにかつて「経済成長」を支えていた労働者たちが高齢化し、社会保障への政府の負担も増大するという状況が重なり、政府は税収を上げねばならなくなり、そのために資本家の利益を優先してそこで利益をあげさせ、それを労働賃金へとトリックルダウンさせることで消費を拡大させ消費税も上乗せして「経済の好循環」を生みだそうと妄想することになる。
  ところがグローバル資本はそんな呑気なことは言っていられないからどんどん低賃金労働を導入しそれに依存する。そうしなければ競争に負けるからだ。もうここですでにいまの「先進資本主義国」は経済的に破綻しているのである。「経済の好循環」など生まれるはずもない。
  しかし、他方で労働者側は、とうの昔に階級意識を失ってしまったいま、自らが、資本家の賃金奴隷にすぎない労働力商品であるという実存を忘れ、労働力商品同士の「価格競争」に巻き込まれ、本来、同じ立場の労働者階級として手を結ぶべき低賃金諸国の労働者たちとはむしろ敵対競争関係となり、自国から彼らを排出しようとする。そしてそれと同時に明日のない自分たちの生活への不満をただ感情的にぶつける「敵」を見つけようとする。
 こうした現状認識から出発して、どうすればいま労働者階級が置かれている状況を本来の形に再生し、本来倒さねばならない相手が誰なのかをはっきりさせることが必要なのではないだろうか? そこにはマルクスがかつて行ったような冷静で客観的な資本主義社会への現状分析が必須であり、しかもそこからいかに現実的な形で世界中の労働綾階級が連帯して主導権を把握できる体制を生み出せるかが問題なのではないだろうか?
 世界の大多数の労働者階級が生み出した社会的富が社会の共有物になることなく、ほんの一握りの資本家階級に私物化され、彼らが牛耳る政府のもとに握られている。
マルクスが残した資本主義社会の本質的矛盾の分析成果である「資本論」に書かれた論理を例え難解であろうとも努力して自分の思想的武器として獲得し、それをさらに先に進めることなしには、本当に現実的な未来は決して拓けないであろうと思う。

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