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2016年8月14日 (日)

SEALDsって何だったの?

 安倍政権の安保法制ゴリ押しに反対して声を上げたグループSEALDsはリーダーの奥田君がこの8月15日に解散すると宣言し消えることになった。グループのメンバーは解散後進学や就職に専念するらしい。

 朝日新聞などはこのグループの運動を新しい政治運動の形として取り上げ、1960~70年代の学生運動とは次元の異なる新たな市民運動の芽として持ち上げた。そして国会前のデモを繰り返したが結局安保法制はそのまま通り、その後の参院選で憲法改定議決に必要な2/3の勢力図が決まってしまった。完全な敗北である。そしてグループの解散。いったい何だったの?と言いたくなる。
 本気で学生や市民の運動を新たな次元に持って行くには、あの1960〜70年代の学生運動がなぜ失敗し、惨めな敗北に終わったのかをキチンと反省し、教訓化したのちに新たな段階を模索することがなければ、惨めと無力の上塗りにしかならないだろう。
 昨今は刺激的なタイトルの本が次々と出て、何か一見現代社会批判へと思想界が盛り上がっているように見えるが、その内容たるやお寒い限りである。刺激的なタイトルにしなければ本が売れないという出版業界の事情もあるのだろうが、内容のない議論をしてみても始まらない。むしろ戦後の一時期(1950〜70年頃)に盛り上がったさまざまな論争(政治論争、経済論争、哲学論争、技術論争など)をもう一度検討し直し、そこから学ぶべきことを学ぶ方が遙かに意義があるのではないか? あの当時は第2次世界大戦への深刻な反省と東西冷戦という危機的状況の中で、人々は真剣にものごとを考えていた。今のようなインターネットやスマホもない時代の方が遙かに人々はまじめで真剣だった。そこから得られるものの方が遙かに重要であるという気持ちがますます強くなってきた。
 SEALDsに加わっていた諸君もぜひそういう気持ちになってほしい。まちがっても十数年後、「あの頃はオレも若かったなあ」などと高級マンションでワインを飲みながら思い出に耽る保守支配層の一人になどになってほしくはない。

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