« 日本デザイン学会秋季大会2016に参加して | トップページ | シリアの子供たちを誰も救えない悔しさ »

2016年10月 3日 (月)

「経済成長」の行き詰まりの中でモノづくりの行き着く先は?

 いま、世界中の資本主義国(中国も含めて)では、ある意味で生産過剰状態となっているようだ。アメリカやヨーロッパではすでに「モノづくり」は自国ではなく賃金労働の安い国々で行われている。モノづくり工程の中でデザインや設計だけが本国に残っている場合も多い。 もちろんそうしたモノづくりのすべてを支配する経営は本国の資本家たちであり、海外生産拠点に投資するという立場である。日本でもいまや「モノづくり」は風前の灯火であり、大企業でのインフラ産業やハイテク産業そして特殊な技術を持った中小企業が生き残っているだけのようだ。また一方で「世界の工場」と化した中国では鉄鋼の過剰生産で多くの工場が閉鎖されていることにも見られるように基幹産業が低迷しており、家電製品などの生産もかつてのような低賃金では行えなくなりつつあるため、より労働賃金の安い国々(ミャンマーやアフリカなど)へと流出しつつあるようだ。中国では急速な経済成長を図るため外国からの投資に頼っていた面があり、こうした外国資本は中国労働者の賃金水準が上がってくればたちまちより賃金の安い国に流出してしまう傾向にある。

 モノ自体について見ても自動車は国別販売台数では中国、アメリカ、日本、ヨーロッパ諸国、が上位であるが、 アメリカ、ヨーロッパ、日本などではすでに飽和状態となっており、もっぱら買い換え需要に頼るしかない。それ以外の国々ではいわゆる富裕層や中間層がターゲットとされており、多くの人々はクルマのある生活などとは無縁である。要するに生活者の格差拡大がどんどん進んでいるということだ。

こうして耐久消費財需要はこの先伸び悩むだろう事が予測される。そのため「先進」資本主義諸国が頼みにしているのは軍需産業である。フランスしかり中国もしかりアメリカでは以前からそうであり当然のこと、そしてやがて日本も...である。

 兵器・軍需産業というモノづくりとしては最悪の形態(再生産に結びつかない破壊のためのモノづくり)が「経済成長」を支えるための主流になりかねない現状と、生活に直結するモノづくりがそれを購買できる人々の中では飽和状態となり、それを買えない人々には相変わらず手が届かないという状態を考えてもすでに生産過剰になっているといってよいだろう。
 そうした中でも安倍政権は相変わらず「経済成長」とそれに必要な「消費拡大」を目指しており「この道しかない!」などとほざいているのである。
もう「経済成長」は無理である。そもそも「経済成長」とは資本の成長のことであり、人々の生活の成長ではないのであって、「経済成長」の中でモノをドンドン買ってがらくたを増やして行く生活に「先進」資本主義国の人々は疑問を感じだしているのである。そして自分たちの生活を自分たちの手でつくり出して行くのではなく、資本の成長のために必要な消費(実は購買)の対象としてしかモノが作られず、生活者はそれを買って生活することしかできず、デザイナーによって巧みに購買欲をかき立るようにデザインされたモノを「ユーザの望むモノ」と思い込まされ、必要でないモノまでドンドン買わされていく生活に嫌気がさしているのである。いうところの「消費の減退」はそのひとつの現れであって、これはむしろ生活者の健全な判断なのである。
そしてそれでもなお「経済成長」をゴリ押ししようとする結果、フツ—のモノに飽きた富裕層はより高価ななステータスシンボル的商品(いわゆるIot製品や人工知能を用いた製品など)を求めたり、豪華クルーズ船での世界観光などにオカネを使い、モノが必要だがオカネがない人々は高価な耐久消費財には手が届かず、100円ショップ商品や安い労働賃金の国でつくられた劣悪な生活用品を買うことしかできないという現実。これが「経済成長」の結果なのである。

|

« 日本デザイン学会秋季大会2016に参加して | トップページ | シリアの子供たちを誰も救えない悔しさ »

新デザイン論 および政治・経済・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/64292536

この記事へのトラックバック一覧です: 「経済成長」の行き詰まりの中でモノづくりの行き着く先は?:

« 日本デザイン学会秋季大会2016に参加して | トップページ | シリアの子供たちを誰も救えない悔しさ »