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2016年12月15日 (木)

デザインの基本問題をめぐってーその5(デザインの矛盾と教育のはざま)

 私は何十年もかかって苦しい試行錯誤の結果、得てきたデザインに対するこのような自分の考え方は決して間違っていないと確信している。それでは、資本主義社会全体が変革されたあとでなければ、こうしたあるべき労働やデザイン的行為の研究は社会的に役立たないのか? それまでは資本主義的分業種であるデザイナー育成のための矛盾に充ちた教育や研究に従事しながらそれを否定する理論を世の片隅で「異端」として思索を続ける矛盾した(疎外された)存在でしかないのか? 言うまでもなくこれは私自身の問題であって、私が何のためにこの世界に生まれこの矛盾に充ちた人生を送ってきたのかに関わる疑問でもある。この疑問には未だ明確な答えは得られていない。しかし、いま言えることは次の様なことである。

 私が大学でデザインを学んでいた頃は、いわゆる高度成長期のただ中であった。世界中で盛り上がるデザインという領域への期待感や川添登の「デザインとは何か?」などに鼓舞されてワクワクしながらこの世界に飛び込んだのであった。しかしその後、さまざまな形で現れた「高度成長」の矛盾への反発は学生運動の嵐となって吹き荒れた。 しかし、その後、社会は新たなバブルの時代に入り、そこでは有名デザイナーの作品がとんでもない価格で買われる世の中になって行った。その意味でデザインは注目された。そしてそれは崩れるべくして崩れ、その後に長い「冬の時代」が訪れた。
やがてアメリカ発のIT革命が再び資本主義経済を活気づかせたが、その中で、デザインはソフト的世界やインターフェース・デザインへと活路を見いだしていった。また他方では大企業を中心にインフラ的部門の規模の大きな構想へのデザイン能力が要求されるようになっていった。しかしこの要求に従来の様なデザイン教育では応えられず、それに応えるべく、様々な科学技術や社会科学、人文科学を横断する領域として新たなレベルでの「デザイン」がトップレベルの大学や学会間で目指されるようになった。
 しかし他方では急速にグローバル化が進む資本家企業のもとで、その労働の国際分業化が「生活水準の差」をもとに国別に進み、各国での社会格差がどんどん進んでいっている。そこでは一方で一握りの富裕層が既得権を守るためにあらゆる権力を用い、そして他方では大多数の「余裕なき人々」がそのもとで労働を搾取され、資本家企業の生みだす商品のデザインは富裕層を対象とする驚くほど高価な高級商品のデザインと貧困層を対象とする安価な量産商品のデザインに二分されて行った。前者は有名デザイナーやドイツ、日本、イタリア、フランスなど付加価値的ブランドを持つ国々のデザイナーたちが手がけ、後者は多くの場合、中国や東南アジア諸国など労働賃金が安い国々のデザイナーが手がけている。
そして今世界は激動期の予兆に充ちている。再びおそろしい混乱と戦争の時代がくるかもしれない。大規模インフラ革命を目指す高級インテリデザイナーたちのトップダウン的「グランドデザイン」はこうしたボトムの現実を踏まえない限り砂上の楼閣に終わってしまうだろう。そしてやがて私たち生活者もまたスマホのゲームに没入できるような「平和な日々」に安穏としてはいられなくなるだろう。
 こうして世界は刻々と変化し、その中でデザインをめぐる問題の位置も刻々と変化している。
 しかし、この刻々と変化する歴史的現実の中で 私(たち)は日々生活し、生きねばならない。私は現役時代には、毎年、学生たちを就職させるための努力をしなければならなかった。労働力市場への売り込みである。事あるごとに私の持論を講義の中にちりばめたりしたが、これは学生たちにはおそらく理解ができなかったであろう。この苦渋に満ちた日々は私のリタイアとともに終わったが、もしかすると私と同じ思いをしているデザイン教育者が他にもいるかもしれない。そういう人たちのために言っておこう。
 取り敢えず、いまのデザイン教育者としての生活を護ろう。矛盾した理論や教育であってもそれを教える教育労働者としての自分の社会的存在は誇るべきである。資本主義社会の中で疎外された労働を行わざるを得ない労働者は、やがて必ずその矛盾に気付かざるを得なくなるだろう。そしてその矛盾との対決の中にこそ自分がこの時代に生きる存在意義があるのだということに気付くだろう。私たちの労働や生活の中から見えてくる様々な社会的矛盾を心にしっかりと留め置こう。それはやがて心の中に蓄積し、世の中の歴史的変化の中でひとつの理論として結晶化しいつか社会変革への巨大なエネルギーに結びつくに違いない。
 デザイン能力は決して資本家企業の「売るためにつくる」能力ではない、それはもともと生活者自身が持つ自身の生活を生み出す能力であった。そしてやがてすべての生活者がその能力を再び取り戻す日がきっと来るだろうと信じつつ。

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