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2016年12月14日 (水)

デザインの基本問題をめぐってーその4(あるべきデザインとは?)

 これまで述べてきたように、いまの職能としてのデザインは資本主義社会の形成過程で生みだされた資本主義生産様式特有の分業形態の一つとして登場した職能であり、それゆえ、それ自体は「デザイン」というカテゴリーを生みだす基礎とはなっているが、同時に歴史的特殊性としての基本的な矛盾をはらんでいるのである。

 しかし、そのことによってはじめてその否定のもとに「本来あるべきデザイン行為」というものの姿が明らかになってくるのである。それはちょうどマルクスが資本主義社会の労働がもつ矛盾を否定的にとらえる中から、本来の労働過程とはどのようなものかを明らかにし得たのと同様である。
 マルクスは資本論第一巻の第5章「労働過程と価値増殖過程」の中で、資本主義的労働という歴史的形態の中に否定的に含まれている普遍的な労働過程について述べている。その中で次の一節は有名である。いうまでもなくここでの「労働過程」は普遍的な意味での労働者のそれである。
「クモは機織り職人に似た作業をし、蜜蜂はその蜜房の構造によって、多くの人間の建築家を顔色なからしめる。しかし、最悪の建築家でも、もとより最良の蜜蜂に優るわけは、建築家が蜜房を築く前に、すでに頭の中でそれを築いているということである。労働過程の終わりには、その初めにすでに労働者の表象としてあり、したがってすでに観念的には存在していた結果が、出てくるのである。彼は自然的なものの形態変化のみをひき起こすのではない。彼は自然的なもののうちに、同時に、彼の目的を実現するのである。彼が知っており、法則として彼の行動の仕方を規定し、彼がその意志を従属させねばならない目的を実現させるのである。」(向坂訳岩波版より引用し一部の表現は引用者が修正)
 この部分はかつて川添登が「デザインとは何か?」(角川新書版)マルクスが述べた労働過程のこの部分を引用している。しかし、川添は残念ながら「人間疎外」は人類が文明を生みだした時から存在したものであり、その疎外を取り除くのがデザインの役割であるとしてマルクスの意図を解しなかった。そして資本主義的分業の中でそれがどのように歪められ疎外された労働の一部となっていったかについては何も問題としなかったため、あたかもこの労働過程がそのままいまの職能としてのデザイナーの使命であるかのように受け止めてしまったのである。
 マルクスがこのように労働過程の本質を明らかにしたことにおいて、もっとも強調しているのが「労働者の目的の実現」であるといえるだろう。それは労働とは何なのかということと同時に社会という共同体における一人の人間の在り方と社会との本源的関わり方をも示唆することなのである。
  このシリーズの「その2−(デザイン論)」ですでに触れたが、いまのデザイン論および方法論研究では、デザイン主体の目的意識の形成過程はデザイン行為の外にある。それは誰かの意図としてデザイン過程にやってくるのである。デザイン行為の疎外がそのまま「普遍化」されているのである。しかし、私はそこで疎外された側面こそが重要であると考えている。
  デザイン主体がまず自分と外部の対象的世界(自然・社会など)との間で生じた問題状況を「問題」として主体的に受け止め、それがどのような「問題」であるかを認識する過程が重要である。それによって初めてその問題を解決するための方法や手段つまり目的が明らかにされ得るのである。その思考過程で初めて問題が解決された際のイメージが頭の中に生まれてくる。これがマルクスがいう、「労働者の表象」であり、「彼の頭の中に観念的に存在している結果」である。これが主体的に獲得された「解」の表象(イメージ)であれば、それが現実の解決として実現された結果は、達成された目的としてその過程の「表現」になるのである。私はここがもっとも重要な側面であると考えている。
そしてこのような労働過程の側面は生活者が行うどのような労働にも含まれているべきであり、「デザイナー」という分業種のみがその対象となるわけではない。私はそうしたあるべき労働の姿こそ、生活者が資本家階級から取り戻すべき能力であると考えている。これに関する昨年のデザイン学会での発表概要を下記にアップロードしておいたので参照されたい。
 いまの資本主義的分業としてのデザイナーの労働ではこのもっとも重要な側面が疎外されており、それは資本家企業の経営者の意図として外からやってくるのである。例えそれがデザイナー自身の意図のように見えても、彼が資本家企業に雇用された(あるいは下請け企業として行う)労働者である以上それは疎外された目的意識とならざるを得ないのである。したがって、どんなにデザイナーが環境問題や人間的倫理観にもとづいて仕事を行おうとも、それが資本主義経済体制を支える社会的分業の一環である以上、企業の利潤に結びつかなければ存在意義がなくなるのである。
 そこで、こうした「あるべきデザイン行為」の研究は資本主義的分業形態に特有なデザイナーという職能の登場によって初めて浮き彫りにされた「デザイン」という領域を対象としながらも、それとは一線を画し、その否定として、さらに高い次元で求められる、あるべき労働の側面として深められなければならないだろう。
(続く)

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