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2016年12月 8日 (木)

カジノとオリンピックに見る腐朽段階の資本主義社会

 昨日「カジノ法案」が衆議院本会議を通過した。委員会で数時間の議論しか行わずに実質的な強行採決を行ったばかりである。野党や公明党の一部からは「ギャンブル依存症防止対策がない」などと批判されているが、問題はそんなことではなく、こういうギャンブル産業が日本経済を支える柱になってしまってきていること自体が問題なのである。

 同じことはオリンピックにもいえる。2020年オリンピック東京開催が決まるや、それを国家的事業として日本経済の大きな柱にしようと安倍政権は大宣伝した。そしてマスコミも一斉に両手を挙げて歓迎した。まるで日本国民が一丸となってオリンピックに向けて邁進しようといわんばかりだ。TVを観ても連日のようにこれでもかこれでもかといわんばかりにスポーツ優先の番組編成である。
 たしかにスポーツはだれでも楽しめる健康的なレジャーであるかもしれないが、TVでのスポーツ番組を観ても、次々登場するアスリートのスターたちを見ても、すべてがいわば企業の広告塔の役目を果たしているのが分かる。ユニフォームやスポーツ用具には企業のロゴがベタベタ貼ってある。その運営にはトップの広告企業が主導権を握り、そこに莫大なカネが動く。そしてオリンピック関連施設の建設を巡っては連日マスコミを賑わしている様に途方もないカネが動き、利権が渦巻き、政治家達がそれに群がっている。
 カジノはそれに輪をかけて、恒常的な形でギャンブルマネーを動かそうというのだ。資本主義経済には昔から株や投資でボロ儲けしたカネ持ちたちのカネを落とさせておこぼれを頂戴する職業が合法的に存在するが、そこにはつねに違法すれすれのウラ社会の暗部がつきまといお世辞にも健全ななりわいとはいえない。「総合的レジャー産業(IR)」などと言い換えてみても中身は同じことだ。
 こうしてカネ持ちがギャンブルを楽しむ一方で、他方ではどん底に落とされ、生きるか死ぬかの生活を送る人々が増え続けており、先の見えない世の中で増しつつあるどうしようにもない閉塞感を一瞬でも忘れたいためにギャンブルやゲームなどに走る人たちが増えている。
 すでに社会全体が停滞し、一方ではすでに社会で成功し蓄財して「既得権益」をもち政治的安定を望む人々が上層部を占め、他方でその底辺に追い落とされた多数の人々の底知れない不安と不満をはらみつつ崩壊に向かっていると思われる。まさに腐朽した資本主義社会の崩壊過程である。
 「トランプ景気」による株高と円安でどうにかいまのところ経済体制を維持させている安倍政権は、もはやこの先ギャンブルや第3次産業でしか生きのびることができなくなっているのだ。しかしこのトランプ政権も来年にはボロが続出し、混乱と崩壊に向かうことだろう。それが遅いか早いかだけの問題である。そしてそのときトランプとともに安倍政権は音を立てて崩れることになるだろう。
  しかしその時に現在の野党陣営はおそらく何もすることができず、却って事態を悪化されることになりそうだ。困ったものだ。

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