« 2016年4月17日 - 2016年4月23日 | トップページ | 2016年5月8日 - 2016年5月14日 »

2016年5月1日 - 2016年5月7日

2016年5月 3日 (火)

憲法改定不要派が必要派を上回ったというが?

今朝の朝日新聞のトップに「改憲不要55% 必要37%という見出しが載った。一時期不要と必要がかなり拮抗していたこともあったが、再び不要が必要を大きく上回るようになったということだ。ただ、これを手放しで喜ぶのはまだ早い。

というのも、同じ朝日朝刊の「声」欄に、「駄々っ子のような護憲思想」という投稿が74歳の男性からあった。これを朝日がどういう立場で掲載したのかは明らかでないが、最近の朝日は佐伯啓思氏のような改憲派論客の意見を度々掲載しており、安倍さんのいう「中立公平」というスタンスに軌道修正しようというのかもしれない。
それはとこかくとして、この男性は次のように言っている。
「私は改憲を主張する。{中略)世界の成熟した民主主義国家は軍隊を持っており、そのこと自体で自由や人権が侵されることはないからだ。{中略)憲法学者の7割が、自衛隊の存在自体が憲法違反のおそれがあると判断しているという。だからこそ憲法に「自衛隊の保持」を明記し、合憲にすべきだと私は考える。しかし、護憲派は「反対、いまのままでよい」というだろう。駄々っ子のような主張が護憲思想だ。改憲を言えば「タカ派」と見られる空気が言論界にあり、それをはばかって改憲を言う勇気がない人々がマスコミの主流を成していると思う。 護憲派は「戦争は怖い、戦争反対」という。それで済めば誰も悩まずに済むが、彼らに万が一の備えの考えはないのか。憲法9条の下で軍事を否定しさえすれば「平和主義者のかがみ」と評されることが戦後平和主義を混迷させた。独立国家は「領土、領空、領海及び国民の生命と財産」を守る責任がある。武力放棄で責任を果たせるわけがない。知識人の皆さんが軍隊を恐れるのは的外れだ。」
 さあ、朝日新聞はこの意見にどう応えるのだろうか?聞いてみたいものだ。改憲不要論や護憲派と言われる人たちの中もいろいろな見解に分かれていると思う。しかし、前述のアンケートの結果のみで憲法改定が遠のいたと考えるのは甘すぎるだろう。この74歳の男性の考えを完全に乗り越えるような改憲不要論はいまのマスコミに本当にあるのだろうか?ただ雰囲気だけで「戦争はいやだ!」「憲法守れ」と叫んでいる人たちが多いのではないだろうか?
 ここでこの護憲論者に対抗しうるかどうか分からないが、一応私自身の考えを書いておこうと思う。
  憲法を「権力を縛る基本法である」と考え、それを基礎に社会の法的秩序を築こうという「立憲主義」は、それがもし本当に社会を支えている労働者や農民などのボトムアップ的考え方をそのまま反映しているならば、それと対抗する(国家)権力を縛る、という考えは正しいと思う。しかし、いまの社会では社会をすでに実効支配している権力自身が憲法を制定することがほとんどである。形の上では「民主的な手続き」で憲法を制定(改定)するメンバーを選び、その選ばれた者たちが中心となって憲法草案を作り、それを最後は国民投票か何かで決めるということになるだろう。
しかし、そこに盛られている思想は、近代国家というものを絶対化・普遍化している。いまの国民国家はあくまで近代になって登場した資本主義社会特有の統治形態なのであって、その中に厳然として存在する階級対立が覆い隠され、「民主的国民(市民)国家」という形の支配構造を形成しているのである。そしてそれを普遍化する立場で生みだされている法秩序が社会を支配しており、その法制度は、さまざまな資本家たちが社会のために働く労働者から不当に吸い上げた利潤をその私的動力源として市場で競争する「自由」を保障し 、そこでの利害対立関係を互いに調整する「総資本」の立場から社会を支配し続けるために、労働者階級と資本家階級とをあたかも「対等で平等な市民(あるいは国民)」という形で演出したものなのである。
 近代に起きた国家間の戦争はすべてこうした資本主義的近代国家が生みだした利害対立戦争である。その特徴は、資本家階級の国際的市場競争の対立が基本的な原因となって資本家の利害を代表する「国家」の官僚や軍が戦争を引き起こす。そして労働者・農民たちは「国民」として「お国のために」敵対する国家の労働者・農民と闘わされるのであって、彼らには相手国の労働者や農民を殺す理由など何一つないし、殺される理由も何一つないのである。なのに、互いに「国家」という看板を背負わされて憎しみを植え付けられ、国家の力で残虐な殺戮をけしかけられるのである。
だからいまの国家はつねにそうした戦争へのリスクを潜在させており、そこには互いに憎しみ合う理由など何一つない労働者や農民達が殺し合いをさせられるリスクがつねに潜在する。だからこそ「民主国家にも軍隊が必要だ」という主張になるのである。
究極の反戦はこの「近代国家」の利害の対立のもとで戦場に送り込まれる労働者・農民達が国境を越えて互いに手を握り合い、団結して共通の敵である資本家階級の支配を終わらせることでしか実現できないのだと思う。
朝日に投稿した「改憲派」の 74歳の男性は、国家や軍が決して「国民やその財産」を守ってくれなかった戦争の歴史をあらためて直視すべきではないのか。そして他方でこの男性が「駄々っ子」と揶揄するいまの「護憲派」の多くの人たちは、おそらくこの男性の主張にまともには反論できないであろう。
安倍首相はこの74歳の男性にような意見を待っていたのではないだろうか?そして「護憲派」の人たちに対してきっとこう言うだろう「あなたたちは憲法9条にいつまでもこだわり、軍隊を持ってはいけないというが、じゃあ一体戦争になったら誰が国や皆さんを守るのですか?」と。この延長上に民主主義国家でも国民と国家を守るための軍隊を持つのは当然であるという帰結が待っており、改憲への道が簡単に開かれうる。
資本主義社会の根本的矛盾やその支配装置である近代国家というものの欺瞞性に気づかぬ(あるいは気づこうとしない)「リベラル派」の人たちは、この主張にまともに反論できず、戦争が起きればたちまち「国家を守るための戦争支持派」に豹変するだろう。
そのことはすでに第一次大戦で証明されている。労働者の国際的連帯組織であったはずの第2インタナショナルは、当時社民リベラル派に支配されていたため、各国の支配層が戦争の引き金を引くとこぞって「祖国のために」参戦支持に回りあっというまに組織は崩壊し、戦争が始まった。そして第2次大戦の際には、立て直された第3インタナショナルがスターリン指導部の「一国社会主義戦略」のもとでもはや労働者の国際的連帯組織として機能しなくなったため、ドイツなどの国々で労働者の反戦運動は弾圧され「民族と血の団結」を掲げる国家社会主義(ナチズム)が国民の支持を得てあっというまに戦争に突き進んだのである。
われわれは決して、決してその轍を踏んではならない!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年4月17日 - 2016年4月23日 | トップページ | 2016年5月8日 - 2016年5月14日 »