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2016年5月8日 - 2016年5月14日

2016年5月13日 (金)

人工知能が人間を支配するという「妄想」について

最近になって将棋や碁の世界で、「名人」と目される人たちが相次いで人工知能に敗れるという事態があり、話題を呼んだ。そこで話題になったのが「深い知識の学習」と呼ばれる人工知能の新たな技術である。人工知能開発初期に有名だった「マイシン」という医療判断支援システムがあった。こうした人工知能は単にそれまでの治療のノウハウを集めて学習される技術であって、当時もてはやされたいわゆる「エキスパート・システム」はほとんどそうしたものであった。しかし、この知識学習システムは、なぜそれが「知識」として受け継がれてきたのかその理由に関しては無知だった。そのため、少し応用範囲が異なったりするとたちまちその支援システムが使えなくなりつねに新しい知識を次から次へと知識ベース化して行かねばならなかった。

そうした欠陥を補うために、ある思考や判断を支援する知識がなぜ、どのような理由でノウハウとして扱われるようになったのかといういわゆる「メタ知識」をも学習させることが研究された。これが深層学習と呼ばれる人工知能の新技術として開発され、その成果が、将棋や碁の名人の持つ深層知識をも学習させてそれに対抗できる人工知能をうみだしたのである。
 ところがこうなると、将来人類は人工知能に支配され、人間が機械に支配される世の中が来るのではないかというSF的な妄想を抱く人たちが現れる。しかしこれが「妄想」とはいえそれが現れるそれなりの理由がある。それは、現代社会が生みだした技術がそもそも人間の人間としての尊厳を失わしめる社会経済システムが生みだしたものだからである。そのことはいわゆる産業革命の歴史を見ればよく分かる。産業革命の歴史は産業資本主義社会という資本主義経済体制の発展段階への生産システムの成立過程なのであるが、それは一言でいえば「生産の合理化」という言葉で示される。
 もともと生産的労働は生産手段と不可分であったものを、商品経済で蓄財した資本家達が、思うように商品を作らせるために自立小生産者から生産手段を奪い取り、それと同時にそれによって生産手段から切り離された労働力をも「雇用された賃金労働者」というかたちで買い取り、両者を商品生産で利潤を挙げようとする私的所有にもとづく目的意識のもとで合体させ、生産活動をさせようとしたのが産業革命のモチベーションなのである。
資本家達は、商品市場では「自由競争」を旨として競争によって販売利益を競うため、市場での価格競争が最大の問題となり、いかに安い市場価格で売ってもそこから利潤を挙げられるかが技術的最重要課題となった。最初は労働賃金の抑制とその中で労働時間の極限までの延長や労働強化、つまり絶対的剰余価値の増大による利潤の増大を、そしてさらにその「生理的限界」を越えるために労働の生産性を上げることによる剰余価値部分の比率の増大、つまり「相対的剰余価値の増大」を目指したのである。
極言すればこの「相対的剰余価値の増大」こそが資本主義社会での技術革新の基本的モチベーションである。いかにそれが「人類の幸福と社会生活の進歩のため」といわれようともである。そのことを踏まえて人工知能の技術をみれば、それが人間労働の頭脳労働的側面の「合理化」であることが分かる。
 産業革命で人間労働の身体的労働の側面が局限にまで単純化され機械に従属する形に「合理化」されてきた結果、いまわれわれが目にするように資本家が所有する巨大な生産システムに「雇用され」過酷な身体的労働に従事させられたあげく、生産システムがさらに合理化されれば、労働者達は生産ラインから放逐されてきた。巨大な生産システムから資本家にとって莫大な富が生みだされてもそれが労働者にとっては自分の生活を維持するにもたりないほどの価値としてしか還元されず、もしそこから追放されれば生きていくことすらできない労働者の世界である。だから「人工知能が人間社会を支配するかもしれない」という恐怖感は生産手段に従属支配させられてきた過去の経験からそれなりの根拠があるのである。
 しかし、それが「妄想」であるというのは、次のような意味においてである。
人工知能はあくまで広い意味での労働手段であり、「道具」である。人間を支配するような「道具」を生みだそうとする意図は、労働そのもの、従って労働を行うことによって社会の中で自分自身の存在意義を表現する労働者の意図からは生まれ得ないからだ。
そうした意図を持つことができるのは、労働の意図や目的をそれが必要とする生産手段や労働手段から切り離し、生産手段や労働手段が資本家的な私的所有のもとに置かれ、その所有者の意図のもとで生産的労働が私的な欲望を充たす手段となってしまうような社会でだけありうる話である。
 したがって、「人工知能は価値を生みだすのか?」という疑問に対しても次のようにいえるだろう。
人工知能システムを生みだした技術に過去において少しでも人間労働が参与しているならば、過去の労働が移転した価値を維持しており、それ自体は「価値物」であるといえる。しかし、生産的労働のあらゆる側面が人間労働ではなく人工知能システムによって行われるようになれば、それは決して価値を新たに生みだすことはない。なぜならばどんなに完璧な人工知能システムであっても、それが「生きた労働」によって社会的目的を達成する手段として用いられることがなければ新しい価値を生みだすことはできないからである。もし資本家が生産過程から一切の人間労働を放逐し人工知能や自動機械システムに置き換えることができたとすれば、彼はそこから過去の労働による価値意外に何ら新しい価値を生みだすことができなくなり、したがってひとかけらの剰余価値も生みだすことができなくなる。結局それによって資本家自身もそれを継続させることに何の意味をも見いだせず、生産の継続が不可能となるのである。

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2016年5月10日 (火)

タックスヘイブンの意味するもの(続き)

前回に引き続き、この問題について考えよう。タックスヘイブンによって運用される資金の額は、なんと2570兆〜3750兆円にもなるそうだ。アメリカと日本のGDPの合計額を超える金額である。

 今朝の朝日新聞の「耕論」欄「パナマ文書が晒すもの」 では3人の識者が見解を述べている。一人はもと国税庁役人だった鳥羽衛氏、もう一人は作家で、もと大手金融機関や商社にいた黒木亮氏、そして3人目は今回のパナマ文書公開の主役である国際的ジャーナリスト機関ICIJの事務局長であるジェラード・ライル氏だ。
 鳥羽氏は、節税のためタックスヘイブンを利用すること自体は昔から行われており、必ずしも違法ではないとした上で、多国籍企業が税制の抜け穴を利用してペーパカンパニーなどを作り、過度の節税をしていたり、国家の指導者たちがこれを利用していることが問題だとし、さらに悪質な政治資金や暴力団などの資金の受け皿になっていたりすることが問題なのだと述べている。鳥羽氏は自分の役柄上からも、「税制の公平性」を強調し、それが損なわれる事態に対して懸念している。
 黒木氏は、自らタックスヘイブンを活用してきた経験から、国際金融の世界ではタックスヘイブンを活用することは普通に行われており、各国の当局も認めている一般的な金融手法だと断言する。そして問題なのは、情報を一切公開せず、脱税やマネーロンダリングにこれが利用される場合だとしている。そしてそれを幇助してきたバンカーや弁護士、会計士こそが悪の張本人だとする。そしてこうした行為を防ぐためにそれを監視する情報共有の輪こそ必要だと主張する。
 ライル氏は、ジャーナリズムの立場として、公益上公開されるべき情報を公開させるということを目的に仕事をしており、今回のパナマ文書問題の情報公開もその立場から各国の公職者に焦点を当てている。しかしジャーナリズムは公開された後には一歩引き下がりそれについてはタッチすべきではないという。
 こうした見解を取り上げるのはいかにも「公平中立」を旨とする朝日新聞の立場を表しているが、実はそこに肝心の問題の核心が覆い隠されているというのが大きな問題だ。それが前回のブログで述べたことである。
事実上、タックスヘイブンを黙認してきた各国政府の立場は、「自由経済」の原則に基づく企業活動や金融活動の立場からであろう。しかし、そもそも本来、社会のために働く人々がその労働から生みだした価値のうち社会的共有財として用いられるべき部分を不当に私有化(個人も法人も含めて)し、それを投資などによって私的財産の拡大に転用することが法的に認められていることが問題なのであって、このシステム自体本質的に「公平」でないのだ。そこに切り込まなければ、タックスヘイブン問題の核心は見えてこない。
当然金融機関や商社の立場からすれば違法でなければこれを活用して「節税する自由」が認められなければならないだろうし、国家の公職にある要人たちも一個人としてこの「自由」を享受すべきと考えるだろう。しかし彼らが考える「自由」こそ、いまの社会の不平等や不当な搾取を正当化する根拠であり、その体制が生みだしたイデオロギーなのである。
私たちはそれを「まやかしの自由」と呼びたい。そしてもう一つ言えば、いまのジャーナリズムの「中立公平性」とは、この「まやかしの自由」をまもるイデオロギーの一環でしかないということだ。情報を公開することだけが目的なのではなく、誰の立場でそれを追究するのかが問われなければならない。それはジャーナリズム自身に向けられた問いでもあるはずだ。
 いま私たちに必要なことは、この「まやかしの自由」の否定の上に立った、「本来の自由」を求める立場から、虚偽の思想の普遍化を担っているイデオロギーと闘い、事の真実を探り、それをあきらかにすることなのではないのか?

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2016年5月 8日 (日)

タックスヘイブンの意味するもの

 先日NHKの「深読み」でも放映していたが、パナマ文書漏洩問題により、再び脚光を浴びている「タックスヘイブン」問題について考えてみよう。

 いまの世の中お金持ちの企業や個人は税金をいかに逃れるかに腐心しているようだ。税制は建前上、個人、法人に拘わらず収益の額に応じて多くなり、多くの場合、累進課税となっている。
世の中の絶対多数である賃金労働者は「源泉徴収」として強制的に給与から税金を差っ引かれる。賃金だけを生活の糧にしている労働者にとっては逃れようがない法律である。しかし企業の経営者や蓄財した富裕層にとっては、いくらでも「節税」の手があるようだ。申告逃れで「脱税」することは法律違反となっているがやろうと思えばいくらでも奥の手があるらしい。また一応「合法」であるが、特に最近のグローバル化した資本主義経済(もともと金融資本にはその本質上国境がないのだが)の中では、国境を越えてお金を税金の安い国に移動して置くことが簡単にできる。というのも資本はいとも簡単に国境を越えるが、税制に関しては国によってまったく異なるからだ。だからお金持ちは当然これを活用する。
 今回のパナマ文書漏洩問題では中国やロシアを含む世界各国の首脳や支配層がタックスヘイブンを利用していた事実が明るみに出てしまった。賃金労働者には法律で厳しく課税しながら支配層である富裕層にはこうした奥の手を黙認していたのでは示しがつかない。この事件は、世の中を「法律」 で支配して何とか秩序を保とうとしている支配層にとっては、絶対多数の労働者階級から「不平等」の声が上がり治まりが突かなくなることにつながる。だから何とかこれを取り繕うことに懸命になる。 そこで彼らは国際的に通用する共通の税制をつくろうなどと言い出した。
 しかしよく考えてみよう。もともと労働者の給与から差っ引かれる税金は、労働者に与えられるその労働力の再生産費である給与からさらに引かれるものである。それだけ労働者は生活費を節約しなければならなくなる。一方、労働者を雇用する企業経営者は、労働者の労働が生みだした価値のうち、労働者の労働力を再生産するのに必要な価値部分を越えた労働によって生みだされた価値部分(つまり剰余価値)のすべてを不当に私的に取得しているのである。そしてそれを含む商品を市場価格で販売することにより莫大な利益を得ているのであって、これを彼らの企業の経営に要する分(いわゆる必要経費)と個人的消費に当てる分に「適当に」分けて獲得するのである。
  資本主義経済のもとでは企業の経営は私的利益の追求として行われることが法的に認められている。だからそれに必要な経費に関しては税制は大目に見る。しかし、もともとこの剰余価値部分はそれを生みだした労働者たちが社会生活を営む上で共通に必要とする「社会的共有ファンド」とすべき部分なのである。つまりいま「税金」として差っ引かれる分はすべてここに含まれているのである。
 それがただでさえ不当に剰余価値部分を取得している連中が、その代表政府を仲介として、ただでさえ乏しい労働者の賃金からさらに税金を搾り取ることによって、社会的共通経費を賄うということをしているのである。源泉徴収で差っ引かれる税金だけでは足りず、さらに消費税等によって社会保障制度を維持するための資金を得る必要があるという主張だ。さらに「経済の好循環」(資本家層が儲かれば労働者の雇用も増え、労働賃金も上がり税収も増えるというまやかしの論理)を生みだすために法人税を下げて企業活動の活性化を図るということもやってのけるのである。「タックスヘイブンをなくすためにわが国の法人税をさらに引き下げるべきだ」という支配層の意見がそれを後押しする。
何ということだ! この事実は、いかに表向きは「中立公平」を謳っていようともいまの社会の法律が支配階級のためにできており、「社会的共有ファンド」を私有化している彼らの立場を正当化するためのものでしかないことを明らかにさせる。
何が格差是正だ。怒れ、賃金労働者!!

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