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2016年7月24日 - 2016年7月30日

2016年7月29日 (金)

障がい者は抹殺すべきという思想を巡って

 相模原の重度障がい者施設で起きた、元職員による大量殺人事件は衝撃的だった。犯人は確信犯である。あらかじめ長い時間をかけて計画し、自分の「障害者を抹殺すれば世の中は平和になる」という思想と犯罪の予告を公表しさえしている。事件後のマスコミの反応は当然ながら「障がい者を差別する思想は許せない」という論調がほとんどであった。

しかし、「障害者や著しく劣った者は世の中に必要がなく、民族の血を汚すものであり抹殺すべき存在だ」という思想は犯人自身も語っているようにかつてヒトラーが主張し実践した思想である。そしてヒトラーを支持する当時のドイツ国民の大多数はそれを当然とさえ受け止めていたのだ。一見、ダーウインの進化論における自然淘汰説に基づいているかのように見えるこの思想は、いまでもどこかで生き続けているように思える。だからこそ問題は深刻なのだと思う。

 たしかに生物の進化の過程で、障がいがあったり、生存競争について行けない個体は、そのまま置き去りにされ、やがて死んでいく。そして強者が生き残り子孫を残していく。しかしこの自然淘汰は、立場を変えて見れば、淘汰される個体の犠牲の上にはじめて強者が生き残って種を保存していくことができるのである。人間の社会においても障がいのある人が生まれてくる確率はつねにゼロではない。ある意味でこれは社会的必然でさえある。そして健常者も自分が障がい者として生まれてくる確率はゼロではなかったのだ。そのことを忘れてはならないだろう。
 もちろん人間の場合は、健常者に対する障がい者の比率が高くなっていかないような生物・生理学的予防措置をあらかじめ取ることもできるし、その必要はあるだろう。しかし、見方を変えれば、そうした障がいのある人々の犠牲の上に健常者の社会がはじめて成り立つのであって、障がい者のいない社会など現実にはありえないのである。健常者はそのことを忘れるべきではない。「気の毒な人、可哀想な人」という意識はこうした事実を忘れた健常者の優越意識であり、差別意識である。そしてその意識はともすれば、世の中の役にも立たず、人に迷惑をかけて生きる人たち」という意識につながりかねないのだ。
 そして何よりも、障がいのある人は自分がそのような状態で生まれてくることなど知るよしもなく、その人を生んだ両親も同じであったということである。障がい者当人は生まれたときから自分がそういう状態なので最初は分からないかも知れないが、それを生んだ両親の衝撃と精神的苦しみはいかばかりであったか。障がい者の人はやがて他者と接しなければ生きていけない世の中で、他者の大多数が「健常者」であり、自分がそれらの人々と違う立場に置かれていることに気付かざるを得なくなる。その段階で育ての親は再びさらなる苦しみを味わうことになる。しかし、そのような苦しみを経験すればするほど、両親の子への愛情は深くなるのではないだろうか? それは「抹殺すべき存在」などという考え方からはまったく想像もできないほど深い愛情であろう。
 いまの社会は「自由競争」が原則の社会であって、それに負けた者は「劣った人」あるいは「負け組」という烙印を押され、それを受け入れた生き方に変えざるを得なくなる。
そして社会全体が実はそうした「劣った人」たちによって支えられているという事実に誰も目を向けなくなっている。障がい者への蔑視もそうした社会的土壌の上にあるような気がする。
障がい者が共同社会成立のいわば必然的条件であり、社会全体でこれを包含し支えていかねばならないはずなのに。

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2016年7月26日 (火)

混迷する労働者階級(その2)

 今朝の朝日新聞の1面〜2面に「分断世界」というコラムがあり、そこで「<自国第一>が各国に拡散」という論説風の記事が載ってた。内容は最近いわゆる先進諸国で移民政策などを巡って「自国第一」という主張の政党が支持を集めており。これはそれらの国でいわゆる中間層が移民などに職を奪われ貧困化しつつある現状への「怒り」を政治的に利用して現状を打破しようとする動きであり、それがネット社会特有のスピードを持って拡散する結果と考えられる。そしてそこには代議制民主主義の限界も現れている、というものである。最近の朝日にしてはまともな記事だと思うが、私が同様の問題について述べた最近のブログで書いたような「階級社会の変貌」という視点はない。

 私がもっとも注視したいのは、こうした世界的動向が、一部ではテロという形で暴発し、他方では現状の政治への不満がある種の大衆運動として巻き起こるという状況の中で、互いに手を組むべき労働者階級がむしろ互いに傷つけ合い対立を深めているという事実だ。
 いまの世界は「東西冷戦」という形をとっていた「社会主義陣営(実は非マルクス的国家社会主義)」と「自由主義陣営(実はグローバル資本主義)」の対立が崩れるべくして崩れ、その後に「一人勝ち」した「自由主義陣営」がもたらした世界なのである。
 かつては「対共産主義」という形で「自由主義陣営」を名乗る資本主義諸国は互いに一致した立場にあり、自国の労働者階級への一定の配慮を必要とした。いわゆるクリ—ピング・インフレーション政策で、中央銀行が発行する貨幣の量を少しづつ増やし、それをテコにして労働者の賃金を少しづつ上げ、購買力の上昇による、消費財の販売増加という形で賃金として与えたカネを資本家側に環流・再蓄積させていくメカニズムが成り立っていたと考えられる。
そこでは労働者階級の「中間層化」という現象が発生し、モノが生活に溢れる中でなんとなく豊かになったと感じさせる生活があり、労働者は「自由な個人」あるいは「消費者」としてバラバラな存在にさせられ、階級意識を失わせていくことに成功していた。それが「リベラリズム」あるいは「市民意識」という中間層的政治意識を育んでいったと考えられる。
 しかし、資本主義陣営が「一人勝ち」してからは、「共通の敵」を失った資本家同士の熾烈な競争が始まり、それがグローバルな形で展開されるようになった。そこでは市場での価格競争に勝つための低賃金労働の獲得が必須となり、まず価値の源泉である「モノづくり労働」が低賃金労働者を大量に供給できる国々へと流出した。
  冷戦の生き残りである「非マルクス的国家社会主義国」である中国がまずその人口の多さと優れた労働者の質においてもっとも注目され、グローバル資本がそこに莫大な投資をした。そして急速に「成長」したのである。そこには新興の資本家や新興の富裕層が誕生し、やがて彼らはグローバル資本が生む商品の「消費市場」として注目されるようになっていった。
一方、いわゆる先進資本主義国では生活財の生産のほとんどが低賃金諸国に流出してしまい、流通・販売、住宅建設、金融、サービス産業を含む第3次産業そして高度な技術を必要とする軍需産業などが主流となっていき、かつて生活財モノづくりを支えていた労働力の多くはそうした業界に吸収されていった。しかしその中で、「高賃金社会の不採算性」という資本主義経済特有の問題が、移民など海外労働者の導入と依存によってそれを補う形へと進むことになり、自国内の労働者は職を失うことになっていった。こうした中でさらにかつて「経済成長」を支えていた労働者たちが高齢化し、社会保障への政府の負担も増大するという状況が重なり、政府は税収を上げねばならなくなり、そのために資本家の利益を優先してそこで利益をあげさせ、それを労働賃金へとトリックルダウンさせることで消費を拡大させ消費税も上乗せして「経済の好循環」を生みだそうと妄想することになる。
  ところがグローバル資本はそんな呑気なことは言っていられないからどんどん低賃金労働を導入しそれに依存する。そうしなければ競争に負けるからだ。もうここですでにいまの「先進資本主義国」は経済的に破綻しているのである。「経済の好循環」など生まれるはずもない。
  しかし、他方で労働者側は、とうの昔に階級意識を失ってしまったいま、自らが、資本家の賃金奴隷にすぎない労働力商品であるという実存を忘れ、労働力商品同士の「価格競争」に巻き込まれ、本来、同じ立場の労働者階級として手を結ぶべき低賃金諸国の労働者たちとはむしろ敵対競争関係となり、自国から彼らを排出しようとする。そしてそれと同時に明日のない自分たちの生活への不満をただ感情的にぶつける「敵」を見つけようとする。
 こうした現状認識から出発して、どうすればいま労働者階級が置かれている状況を本来の形に再生し、本来倒さねばならない相手が誰なのかをはっきりさせることが必要なのではないだろうか? そこにはマルクスがかつて行ったような冷静で客観的な資本主義社会への現状分析が必須であり、しかもそこからいかに現実的な形で世界中の労働綾階級が連帯して主導権を把握できる体制を生み出せるかが問題なのではないだろうか?
 世界の大多数の労働者階級が生み出した社会的富が社会の共有物になることなく、ほんの一握りの資本家階級に私物化され、彼らが牛耳る政府のもとに握られている。
マルクスが残した資本主義社会の本質的矛盾の分析成果である「資本論」に書かれた論理を例え難解であろうとも努力して自分の思想的武器として獲得し、それをさらに先に進めることなしには、本当に現実的な未来は決して拓けないであろうと思う。

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2016年7月24日 (日)

利尻・礼文紀行

7月中旬に、利尻島と礼文島に行く機会があった。「最果ての地」も今では羽田空港から新千歳乗り換えで4時間ほどで利尻空港に着いてしまう。飛行機から初めて見た利尻岳の姿には思わず釘付けになった。

利尻に降り立って島の周囲を一周することになり、姫沼などの湿地を訪ねた。静かな沼では水鳥が多く棲息していたが、所々に枯れた巨木が根こそぎ倒れて沼に浸かっていた。冬の猛烈なブリザードを思い起こさせる情景であった。
Rishiri_1_2
島は人口5000人ほどで、フェリーの行き来する沓形の町は、観光地として一定の賑わいがあったが、その他の村落はほとんど昆布などの零細な漁業をなりわいとする人々のようで、島全体でも耕作地がきわめて少ない印象を受けた。ここでは農業は成り立たないのだろう。高齢化が進み人口は年々減っており島民の生活を支える人手が足りなくなっているようだ。ここに一泊した後、
Rishiri_4_3 オタトマリ沼などを回り、古い戦前の店の構えを残すカフェ(ここのコーヒーは旨かった)に寄って、午後には隣の礼文島にフェリーで向かった。フェリーは稚内航路にも用いられるので意外と大きな船で、クルマ数十台と乗客数百人を運べるらしいが観光シーズン以外はガラガラらしい。
 到着した礼文島の港町はなんとカフカ(香深)という地名である。あの「変身」で有名な小説家フランツ・カフカと同じ発音である。しかしそのイメージとは裏腹にお土産屋さんやホテルなどで賑わう観光地である。しかし礼文島も観光地からちょっと離れると寂しい過疎の漁村が散らばる島である。 港町から少し離れた閑村の民宿に泊まって翌日そこから「お花畑トレッキング」コースを歩くことにした。
 翌日は幸い天気に恵まれ、ほとんど草地で大きなウドの一種が花をスックと空に向かって伸ばしている山道から海を越えて見る利尻島の眺めはすばらしかった。
Rebun_1_2
しかし急峻な崖が海岸までそのまま落込んでいる厳しい地形で、わずかな平地に小さな家がポツンとへばりついている様に建っているのを見るとやはりこの島の厳しさが思い知らされる。
戦前の鰊ブームのときには賑わいもあったのだろうが、いまでは観光と零細な昆布漁などに頼って生活をしている人がほとんど のようだ。そして高齢化とともの島の人口
Rebun_3_3は減りつつある。
かつてここに住んでいたであろう先住民のアイヌはおそらくこの厳しい大自然の下でそれに決して逆らわずに自分たちの生活をその一部と考えて護り続けていたであろうことが想像される。その後にやってきて彼らの大地を横取りしてしまった倭人も結局はこの厳しい大自然の下で息を潜めて生活せざるを得なくなっているようだ。そして
Rebun_4_2
何事もなかったかのように大自然は今年も美しい花々を咲かせてくれている。
 人間の欲望などはちっぽけなものだとつくづく感じさせられる風景であった。

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