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2016年10月9日 - 2016年10月15日

2016年10月12日 (水)

1960-70年代のデザイン学生たちの運動

 最近、ある目的で、物置小屋の中で古い資料を探していて、昔、1960年〜70年前半頃の学生運動華やかなりし頃、私も関わっていたデザイン学生達の活動に関するパンフや冊子が出てきた。茶色く変色してボロボロになった紙も多く、一部読み取れないものも多いが、この頃、まだコピー機もなくガリ版刷りで作っていた資料や青焼きコピーでの会議や討論会の記録などがかなり沢山残っていた。

 この当時、全共闘運動などに刺激されてデザイン系学生の間でも様々な運動が立ち上がった。多摩美の学生を中心とした「日宣美粉砕共闘」などがその典型である。それ以前にも「デザイン学生連合」などがあったが、こちらはどちらかというと「闘う」集団ではなく、普通のデザイン系学生の大学間連携と意見交換のための団体だったように思う。
 私の所属していたT大学では工学部にデザイン系の学科があったため、やや毛色が違っていた。まず最初は大学に自衛官が自衛隊から派遣されて通学していることへの反対運動であった。当時は警察官も無断で大学内には立ち入れないほど「大学の自治」が重視されていたが、そこに自衛隊が堂々と学生として出入りしていることへの反発が起きたのだ(自衛隊と大学が共同研究をしようと言い出すような現在の状況では考えられないだろうが)。
 これをきっかけとして全学で学生達が集会やデモを開始し、私のいた学科は工学部でもっとも早くから学生がそれに加わった。これがやがて大学の授業内容への不満や管理体制への反発などへと拡大し、やがてバリケード封鎖による授業阻止などの実力行使が始まり、わが学科にも学生によるストライキ実行委員会なるものができた。
 当時私は大学院を修了してそのまま研究室に助手として採用されていたので、学生と接触する機会は多かった。そして何日も学生達とのディスカッションが続き、私は最初は違和感があったが、次第に彼らの主張に共感を持つようになった。
そしてやがて学生達と教員達との「大衆団交」の場が設定され、教員が学生からの鋭い質問に応えねばならない様な状況がやってきた。私は教員側の席にありながら、学生達の主張に全面的に支持の表明をしたのだ。これが私のその後の運命を決めることとなった。
そして、集会やデモにも参加するようになったが、やはり学生とは違って助手という身分であり国家公務員のはしくれだったので、なかなか難しい立場に立たされた。まず研究室では他の教員たちから疎外され、私自らも彼らと離れようとした。そのため当然仕事は与えられなくなり、その後11年に渡る「窓際干され」状態が続くことになったのだ(もっともそのお陰でマルクスの研究をする時間ができたのだが)。何度か学科主任からの「肩たたき」があり、退職を勧められたが頑張って、なんとか首をつなげることができたのは奇跡に近かったといえるだろう。
当初は学生達と「デザイン問題研究会」という自主ゼミ的なミーティングの場を設け、学生側はこれを「文化運動の一環」と位置づけた。この「デザイン問題研究会」でのテーマや討論内容の記録が今回沢山でてきたのである。
 この「デザイン問題研究会」はやがて学生運動が挫折し終焉してしまった後、自然消滅してしまったが、この間に行われた討論の資料を振り返ってみると、決してそれらの問題がいまでも解決されていないことに気付く。もちろん中には、やや空想的で非現実的な意見もあったが、当時真剣に討論された問題を「もう過去の忘れ去られたこと」とか「若気の至り」などと片付けられない気がした。いまや世界的レベルで「デザインの在り方」を根底から考え直さねばならない時期にきており、これを機会に何らかの形で「デザイン問題研究会」が提起した問題を現在の視点からもう一度考え直してみたいと思う。

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