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2017年1月14日 (土)

「働き方改革」を巡るいくつかの問題

 1月14日朝のNHK-TV「深読み」でいま安倍政権が進めている「働き方改革」をめぐる議論があった。視聴者を含めていろいろな立場の人たちが参加して行われたディスカッションを観ていて、以下に示すようないくつかの重要なポイントが論じられていなかった様に思う。

 電通社員の過労自殺問題などに見るような、働かせ過ぎが直接の問題であるが、これを、フツーの社員は他の国々の労働者と比較して日本的年功序列型労働のためもあって労働生産性が低く、残業が当たり前の様に長時間ダラダラと仕事をする傾向があるため、その反動で「できる社員」に仕事が集中する傾向がある、という見方がある。
 そこで労働時間ではなくその成果によって賃金を決めるべきだという主張が出てくる。しかしその「成果」の判断は生産ラインで働く労働者の様な目に見える形で現れる(マルクスは資本論の中でこの「成果主義」が必然的に労働強化をもたらすと指摘している) のではない種類の労働(デザイン、設計、ソフトウエア開発などの頭脳労働)においてはその判断基準がきわめてあいまいで恣意的なものになる。
 例えば、クルマのデザインをしている自動車メーカーのデザイン労働者は、1年かけて新しいクルマのデザインを考えたとしても、毎日数百台のクルマをラインから送り出している労働者よりも給料が高い。新しいデザインのクルマの売れ行きがその企業にもたらすであろう利益への貢献度が大きいという考えでそうなるのだろうが、実際にはデザイナーの労働はその車が販売された期間に生みだされたクルマの台数でその労働期間を割った値しか生産物の価値形成に寄与していないのである。1台のクルマにはその他生産ラインで毎日行われている労働や流通販売に必要な労働などを含めてクルマ全体の価値を形成しているのである。(もちろん実際にはデザイナーはその期間一つのクルマのデザインのみに携わっているわけではなく、さまざ まな別の種類のデザインワークを同時並行的に行っているのであるが)
 また「同一労働同一賃金」という」考え方がトップダウンで行われ、同じ仕事を行う非正規雇用労働者の賃金と正規雇用の労働賃金と同額にしようとすると、正規雇用労働者の賃金が減らされると危惧する人がいる。つまり会社として労働賃金分として用意できるカネが同じ額ならば、非正規雇用労働者の賃金が上がればその分正規雇用労働者の賃金が下がる、というわけである。
 この考え方は、経営陣が労働者に与える賃金分のカネを増やさないで「同一労働同一賃金」を実施することを前提としており、多くの企業で実際にもそうするだろう。経営陣が労働賃金として用意されたオカネを増やさないということを前提にする議論はそもそも間違いでなのであるが、さらにその背景には企業のあげた利益の分け前を経営陣と労働者がどう配分するかというとらえ方があることが問題だ。
  こうした「経営者と労働者による利益分配」というとらえ方は資本主義経済学では一般的であるが、実は根本的に間違っている。
 この場合、管理職などの資本運営責任の一端を担う経営陣がその下で雇用されて働く労働者に比べて同じ時間勤務していても桁外れに高級であるという事実をもって、会社が利益を挙げることができるのは経営陣の努力のおかげだから当然という考えが前提となっている。会社が利益をあげることができなければ労働者の賃金も増えないし、場合によっては会社がつぶれて労働者は失業するかもしれないというわけだ。
 しかし 経営陣が努力して獲得している企業利益(もうけているカネ)は元はといえば、あらゆる職場で労働者達の労働が生みだした成果である。労働者はその労働力を維持するに必要な生活資料を購入するための「賃金」を受け取り、職場での労働ではその賃金の価値を大きく上回る価値(剰余価値)を生みだしている。経営陣はその労働者が生みだした剰余価値を無償で企業の所有とするが、これがもたらす莫大な利潤の分け前としてその資本増殖のための企業経営にたいする努力への「報酬」を受け取るのである。だからここで同じように「俸給」として扱われる労働「賃金」と資本家的経営者の「報酬」とを同一視するのは致命的な誤りである。
 本来、労働者の生みだした価値はすべてそれを生みだした労働者たちに還元されなければならず、剰余価値部分は社会的に共通に必要な共通ファンドとして蓄積されるべきであり、それが「資本」という私的(企業)所有の形態をとり資本家間の競争のもとで資本家のために利潤を生みだす必要など全くないのである。
  ところが資本主義経済学では、あたかも世の中の価値はすべて賢い企業経営者の手腕と努力によって生みだされ、経営者の手足となって働いた労働者にはそれ相応の「報酬」を配分する、と考えるのである。
 本当に「同一労働同一賃金」を実施しようとするなら、正規雇用・非正規雇用という区別はおろか 「労働の中身」に関わらず企業経営者も労働者も同じ時間働けば同じ給料にするべきなのだ。
 そして労働賃金は怪しげな「成果」による配分ではなく、その労働が社会的に必要な特定の 労働結果を生みだすために要する平均的労働時間という基準において考えるのでなければおかしい。

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