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2017年3月21日 (火)

グローバル資本形成の過程(その1:基本的な論理の形成)

 「自由貿易主義」と「保護貿易主義」、「リベラリズム」と排外主義的「ポピュリズム」などの形で揺れ動いている現代社会の対立をその経済的土台を形成している「グローバル資本」の矛盾としてとらえ返してみることが必要ではないかと考えた。なお、ここで「グローバル資本」とは少数の多国籍化した資本家的私企業が世界経済を支配した状態を指している。そこでまず今日的グローバル資本が形成されてきた歴史的過程を見てみようと思う。

 18世紀後半から19世紀初頭、成長期の資本主義社会は、イギリス産業資本主義を先頭としてそれが本来持つ商品市場のグローバル化が他のヨーロッパ諸国を同様な資本主義社会へと引きずり込んでいったのだが、それらは一方で国内産業の構成と国際的市場の急速な変貌を促していった。そして19世紀前半にはイギリスは「世界の工場」として資本主義的世界の頂点に立ったのであるが、その一方で資本主義化の不均等発展は、もともとその本質上グローバルな商品流通とグローバルな労働力市場による労働の搾取によって成り立っている資本主義経済体制はその全世界への拡大とともにヨーロッパ諸国間での植民地争奪戦を繰り広げさせることとなり、ヨーロッパでの国家間の利害対立を深めていったと考えられる。
 この段階ですでに資本のグローバル化はその反面である国家間の利害紛争という矛盾を爆発させたのである。 それは20世紀初頭にいたって第一次世界大戦という悲劇的な結果をもたらし、数千万の労働者・農民たちが互いに殺し合いに駆り出され犠牲になったのである。そしてその過程で、資本主義社会を全面否定し、共産主義社会を目指す運動が拡大し、ロシアで革命が成功した。
 ロシアでの内戦に勝った革命の指導者たちは、ソビエト(労働者評議会)という生産拠点での労働者代表機関を設け、その代表たちによる会議で国の政策を決めるシステムを作り、それを共産党が指導してゆく形をとった。当時ソ連では農民の割合が高く、工業労働者は少数派であったため、労働者階級と自営農民という本質的に異なる階級間での軋轢を避けるために、共産党独裁という体制が過渡的な措置として採られたと考えられる。
  そしてこの体制の元で、かなり強引な政策が採られて行きソビエトという労働者機関は有名無実化されていったが、それはいずれ西ヨーロッパでも革命が連鎖的に起き、世界的レベルでこれが達成されれば解決できる問題と受け止められていた様だ。
  そのためそれを推進する組織「第3インターナショナル」が設けられ、国境を越えて各国労働者階級が手を結んで作る共産主義社会達成への過渡期としての「社会主義国家」という認識が持たれていたと考えられる。そしてかつての「第1インター」や「第2インター」での手痛い失敗を繰り返さないことが目指された。この段階では社会主義運動はまだ本来のインターナショナリズムであったといえる。
 しかし、ドイツや西ヨーロッパでは革命は成功せずソ連は孤立した。その後、ソ連の指導部ではレーニンが死に、後継者としてスターリンが躍り出た。スターリンは世界革命を目指すトロツキーを追放し、「一国社会主義」の方向に舵を切った。スターリンは一方で宗教を否定しながらも、ロシア聖教の信者であった労働者・農民たちに自分があらたな「救世主」であるかのように見せながら、カリスマ性を獲得し、次々に強権を発動しながら、それがあたかも社会主義国家を建設するための使命であるかのように振る舞った。第3インターは「コミンテルン」と名を変え、スターリン的一国社会主義を各国で達成させるための単なる援助機関に変貌していった。
 この社会主義運動の変質が、その後のヨーロッパでの労働運動をインターナショナリズムから一国内で完結する革命運動という形に変貌させ、やがて国粋主義の嵐に抵抗できなくさせていったと考えられる。
 第1次大戦の敗戦国ドイツでは戦勝国からの莫大な賠償金の重圧の元で、労働者階級は悲惨な状態に追い込まれたが、当時の社民政権が打ち立てた「ワイマール憲法」のリベラル的雰囲気の元で国家再建が行われ始めた。しかし様々な意味で屈辱的な立場にあった当時のドイツで、その「リベラル的国際主義」ともいえる風潮への反発と揺り返しとしてかつてのドイツ帝国の威信を取り戻そうとする動きが登場した。ヒトラーがその中心人物であったが、彼の主張する体制は「国家社会主義」であって、看板だけ見ると当時のスターリンの掲げる「一国社会主義」と似ているのである。
 ヒトラーはこのような紛らわしい看板で労働者階級の目をくらませ、彼らを国粋主義の中に巻き込んでいくことに成功した。「血と大地」というスローガンで民族意識と国家主義を結びつけ、ドイツ共産党を徹底的に弾圧しながら彼はあくまでドイツ労働者・農民の味方というタテマエで政権を奪取し、 一方で経済や文化面で主導権を持っていたユダヤ系の人々を追放抹殺しながら他方で国家主義思想に染め上げた労働者・農民を中心とした強力な軍隊を作り上げ、頭脳労働者を高度な軍事技術の開発に駆り立てた。
  ヒトラーは強大な軍事力を用いてイギリス・フランスなどを中心とした西ヨーロッパ資本主義経済圏に対峙する形で、かつてのドイツ帝国やハプスブルク帝国の支配した中央ヨーロッパに独自の経済圏を生み出し、ドイツ民族の国家を世界の中心として誇示しながら、イギリス・アメリカ型資本主義でもなく「社会主義」でもない、新たな形の国家を作ろうとしたのである。
 またイタリアで政権を奪取し「ローマ帝国の復興」を掲げるムッソリーニがその流れに従い、ヨーロッパは「枢軸国側」と米英仏を中心とした「連合国側」に分かれて戦争に突入することになる。
 一方その流れに乗じて日本でも東アジアに日本(ヤマト)民族を中心とした「東亜新秩序」を作ろうとする動きが政府にあり、枢軸諸国と手を結んだ。
 こうして「自由主義」を掲げるイギリス・フランスを中心とした従来型資本主義諸国とその発展系であるアメリカを含む陣営、資本主義の発展に遅れをとったドイツを中心とした枢軸諸国とそれに呼応する日本が、中央ヨーロッパと東アジアを中心とした軍事・経済圏を確立させようとする陣営、資本主義そのものを否定するソ連「社会主義圏」という形で対立し合いながら世界が経済的・政治的に3ブロックに分断され戦争に突入した。
 そして再び各国の労働者階級と農民は互いに殺し合いの場に送り込まれ、再びその最大の犠牲者となっていったのである。

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