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2017年4月23日 (日)

1970年代デザイン運動の断片的記録といまの私の位置(その3)

前回、前々回に引き続き、1971.11.2 T大学で行われたデザイン問題研究会主催のシンポジウム「デザイナー運動への展望」の記録からの抜粋の続きである。

<司会>:この辺でまとめる方向に向かいたい。

<O氏>:まず、”デザイナー運動”というものが成り立つのかどうかということがある。デザイナーは、20世紀帝国主義時代になって初めて出てきた職能であり、教育労働などと同じようには考えられない。世間で言われる”デザイナー”をそのまま使って”デザイナー運動”と言ってみても即自的だ。普遍的人間労働の一部門としての設計労働として問題をとらえることが必要だ。そのとき、肉体労働の対極としての疎外された精神労働という形での「設計労働」を否定的にとらえなければならないと思う。
<宮内氏>:施工労働者に対するペーパーアーキテクト(設計者)という従来の建築家運動は、分業化された上での運動という限界があった。僕の考えていることをまとめると次の3つ位になる。
1.設計事務所の労働組合を作り出すことが必要。一つ一つ仕事のあり方をチェックする。危険なプロジェクトは拒否するところまで行くべき。何が危険かの線引きは難しいが。
2.どうやれば拒否できるか。そのための運動体を作り、具体的な中で矛盾が暴かれて行くべきだ。
3.市民運動と建築家との連帯。自分の専門を高めるといのでなく、専門の共有化、一大衆として建築の知識を使うことが必要。生活の安定、出世というものと縁を切れば、プロ意識を否定て何かがやって行けそうに思う。
<野口>:僕らの目指す設計労働者の運動は既成の労組とはアナロジーできないし、JIDA的な職能組合とももちろん違う。むしろ企業別、産別組合をも同時に担っていけるようなものであるべきだと思うが、具体的イメージはまだない。
<安藤氏>:徐々にこちらの意図を伝えていかねばダメだ。なかなかすぐにはいかないが。
<野口>:ミニコミ、市民運動などが、どのような階級情勢の中の全体的問題の一環として位置づけられるのかを考えなければいけないだろう。そのような大きな展望との関係で具体的な運動や組織作りを進めて行くべきなのだと思う。
<司会>:デザイナーの運動というのが成り立つかどうかということに対しては、そのようなものが展望されるべきだということで一応確認されたと思うが、まだ具体的なイメージはない。今日の討論をそのような状況の中での共通性を含んだ対立点としてとらえ、今後の運動を展望していこう。
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 以上が「デ問研」1971.1.2 シンポジウムの記録であるが、それからすでに46年が過ぎ、その間、世界は資本主義社会の一極支配となり、設計労働者運動はおろか、労働運津そのものものが見る影もなく衰退し、世間は企業に従順な労働者や孤立した非正規労働者たちであふれ、過重労働、長時間労働は日常となる一方で、世の中に「デザイン商品」や「ブランド商品}が溢れ、デザイナーたちはその商品を製造する海外生産拠点の工場で安い賃金で働かされている労働者のことなどまったくそしらぬ顔で、こうした商品を次々と生み出さされている。
 無駄な消費で成り立つ経済の中、莫大な過剰消費によるエネルギー資源枯渇や地球環境破壊がどんどん進んでいるにも拘わらず「消費拡大こそ経済を活性化させる」と叫んで資本家達の意のままに政治を牛耳る政治家たちに対して高い支持を与えるような世の中になってしまった。
 リタイアして10年、いま私は再び、この半世紀前のシンポの記録を読みながら、あの当時目指していた原点にいったん戻り、そこから別の形であらなに再出発せざるを得ないと感じている。その意味でこの1971年のデ問研シンポでの議論は私に良きにつけ悪きにつけ様々な問題を問いかけ続けて来るのである。

 そこでこのシンポにも現れていた当時の全共闘運動などを中心とした運動に特徴的に現れていた表現とその背後にある考え方の矛盾について記しておこう。
 まず、「自己否定」という言葉がしきりに出てくる。これは当時の東大紛争などでそれまでエリート候補生として教育されていた若者達が、自分たちが官僚や企業の経営者など、社会の支配層に属する人間になるため存在しており、結果として労働者大衆への抑圧者、加害者となっているという認識から、それをそのまま否定することに意味を見いだしたという背景があった。
 この「自己否定」は例えば東大全共闘が高倉健のやくざ映画の一場面をポスターに引用するなどという形でも表れたが、そのこと自体が当時は新鮮であり、若者の流行のスタイルとなっていった。つまり当時の全共闘運動は時代のファッションでもあったと言えるだろう。いうなれば「プチ・ブルジョア的市民意識」の運動と言えるだろう。
 したがって、それが含む思想的限界が例えば、運動の提案対置主義と政治闘争主義という両極化した矛盾としても表れていたと思われる。例えば「自己否定」のあり方として、デザイナー運動においては「デザイナーとしての能力を生かして資本家ににらまれても資本家のためではなく、大衆のためにやるべきことをやる」という形で具体的提案を対置する方法を選ぶか、さもなくば「加害者」としてのデザイナーであることからドロップアウトして、政治闘争に走る、という形の政治闘争主義に行ってしまうという両極ブレに陥る矛盾である。1971デ問研シンポでもこのことが議論になっていた。
 このことは、現に否応なしに資本主義経済体制を構成する分業種の一つに組み込まれ、その分業種特有の能力を身につけた労働者が、資本家的圧力や矛盾とどう闘うのかを考えるときには重要である。デ問研シンポではO氏が、「場所的な闘い」と言っていたことは注目すべきである。彼は、その分業種を担う労働者としてその「場所」で直面する特有の問題についてそれとどう闘うかを考えるべきだと主張していいる。そしてそのそれぞれの「場所」特有な矛盾の背後に存在し、それらを規定しているもっと大きな、本質的な矛盾を突き止め、その根拠を理解することで、それぞれの「場所」で闘う労働者達が本質的には共通の立場であることを認識し、団結した闘いを組むことができるということだと思う。
 例えばいま地球環境の破壊というグローバル資本による過剰生産過剰消費経済と無政府的市場競争が生み出した重大な危機に対して、過剰消費を促進させるために生み出された資本主義的分業種の一つであるデザイナーが「地球にやさしいエコ・デザイン」を売り文句にした商品を大量に生み出しても、結果として地球環境の悪化は少しも軽減されないという事実は、「提案達主義」の現代版ともいえるだろう。また、そんな「犯罪的」な仕事はやめて別の「人道的」仕事に”逃げる”といった場合も、その「人道的」仕事も結局は間接的に資本主義社会の大きな矛盾の中で、それを機能させていることに気づくことになるだろう。
 やはり、それぞれの持ち場でそれぞれの矛盾と対決し、それを克服していく中でその背後に共通する大きな矛盾は何であるかをまさに「科学的(偏狭なイデオロギーや宗教などではなくという意味で)」に理解し、そこに国境を越えた労働者間の深い連帯意識を生み出していくことこそが求められているのではないかと思う。

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