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2017年4月22日 (土)

1970年代デザイン運動の断片的記録といまの私の位置(その2)

 前回に引き続き、1971.11.2 T大学で行われたデザイン問題研究会主催のシンポジウム「デザイナー運動への展望」の記録からの抜粋の続きである。

<ここでフロアからの質問を交えて全体討論に入った>:
<司会>:デザイナー、建築家、デザイン学生などが共通に抱えている問題をどうとらえ、どう克服してゆけるかさしあたり次の3つの問題を軸にして討論を生み出していきたい。
1.過去の運動の結果としての現在、とりわけ全共闘運動の総括
2.現在直面している問題
3.その集約としての今後の運動への展望
<学生 I> : 安藤さんへ、68年当時、デザイナーの問題→一般的労働者の問題としてズラしてとらえてしまったことが限界だといいましたが、何が欠けていたのでしょうか?
<安藤氏>:「デザイン労働者」というのは決して飛躍ではない。本質的には他の労働者と同じでメシのための仕事だ。しかし職能的専門技術を通じて問題解決できると考えるのはおかしいということだ。デザインとは本来何もないところに何かを考え出す知恵だ。資本によって剥奪された全人性を回復するために自分の技術で労働者階級に寄与することが必要だ。そのためには専門技術を共有しなければならない。僕の持っている技術をいかに他人に与えられるかが問題だ。
(記録者注:安藤氏は自分の言っていることの矛盾を自覚していないようだ)
<学生N>:大学を出て、就職し、そこから職能としてのデザインを売って生きて行くことしかできない現実。そうした自分の立脚点を踏まえて何ができるのかが問題だと思う。
<安藤氏>:自分のやった仕事の加害者性はただちに大衆的にバクロすべきだ。メシを食うために表ずらは”有望”なデザイナーであってよいが、本当の自分としてやるべきことはやるべきだ。闘争のために食いっぱぐれたデザイナーを救済するための頼母子講的組織を作るべきではないか。
<学生N>: 自分の好きなことを経済的利益を求めないでやることができないかと考えるのは結局”生活のため”が少しずつその意識を崩していくのだと思う。
<司会>:もう少し全体としてこの問題をを考えよう>
<学生運動OBのO氏>:安藤さんが苦闘されてきたことはよく分かるが、問題がともするとどうどう巡りしているように思う。そのジレンマは”大衆のためのデザイン”というとらえ方、つまりデザインを機能面でとらえてしまっているからだと思う。学校を卒業して設計労働部門に入って働くときに、そこで直面する問題とどう取り組むべきかというように問題を立てるべきではないのか。
<安藤氏>:あなたの言う”機能面”というのが分からない。
<O氏>:つくることについてを考えるのに、つくられたものがどう加害者性を持つかと考えるのはつくられたものの機能面でそれを考えているのだと思う。だからどうどう巡りになってしまう。
<安藤氏>:僕の言うのは赤瀬川源平が朝日ジャーナルを使ったようなやりかた、IDの世界でもああいう”乗っ取り”ができるのでは、ということだ。
<O氏>:それが”機能的解決”と言ってるのだ。
<安藤氏>:あなたの言う”機能面”とは”運動面”ということか?
<O氏>:設計労働部門の労働者としてそこで直面している矛盾に対決していくということだ。
<安藤氏>:それはそれでいいが、僕にはできない。具体的に知恵をいかに出していくかだ。あなたの運動を具体的にどう展開するのか?
<O氏>..........。
<司会>:朝日ジャーナルでの赤瀬川のやり方をひとつのデザイン運動だと見る考え方と、それはデザインを機能面でしか見ていないため問題がどうどう巡りしてしまうという考え方の対立だと思う。これを中心に議論を進めよう>
<学生 I>:国鉄労働者の運動に見られるように、労働者として日々かけられてくる問題に対決しつつ自己の普遍的労働者階級としての意識を持つと言うこと、デザイナーとしてもそういう風に問題をとらえていくことが必要なのだと思う。あなたはそれでいいが、私はこうだ、ではなく共通の問題として。
<安藤氏>:そう思う。僕の言いたいことは日宣美粉砕共闘当時、デザイン労働者という規定をしていながら、その後さまざまな現場のデザイン労働者と共闘を組む機会を逃してしまったことだ。例えばデザイン事務所を持っている人だって労働者ですよ。
<O氏>:やはりそこでも独自の問題に突き当たっている訳だし、デザイナーと呼ばれない人たちでも設計労働部門の片隅を担っている労働者がいるだろう。そうしたこと全体で設計労働部門の労働者が直面する問題として共に闘う基盤を作り出していくべきなのだと思う。
<宮内氏s>:たしかに一匹狼でやるには問題があってどうどう巡りになってしまうが、例えばいま関西のあちこちで作られつつある設計労働者の運動ーそれらの人たちは70年建築家行動委は建築家としての自己否定であり、その限りではどうどう巡りだと言っているがーそうした新しい運動が具体的な行動の中でどうどう巡りを破るようになるかもしれない。そうした運動が単なる改良運動じゃなくて、あるプロジェクトを拒否できるようになったりしなければダメだと思うが。
<O氏>:さっき野口さんが言ったように、これまでのデザイナーの運動には、プロジェクト対置主義と自己否定に基づく政治闘争主義があると思うが、プロジェクト対置主義は機能的に問題を立ててしまうところが限界なのだと思う。
(この後、会場からのある学生の質問と安藤氏、O氏、私との間で「プロジェクト対置主義」を巡るディスカッションが続いたがいずれもすれ違いがあってあまり生産的な議論にならなかったのここでは省略する)
<司会>:ちょっと議論がかみ合わなくなったが、労働者階級の現実をとらえ、デザイン労働という場において運動をどうとらえていったらよいかという問題について討論を続けたい。
<安藤>:作りたくなくても作らざるを得なくなる。どうやって作らないようにするかが問題。作ってしまったらどうするか。できてしまったものに対する情報を流す。そうしたことが行えるような労組を作ることが問題だ。デザイナーという職能の問題ではなく、作っている工員も含めて全員の問題だ。一人のデザイナーが情報を流せばクビになる。クビにならないような組織を作らねばならない。
<野口>:なぜ、そういうものを作らなければならなくなるのかという問題を深めていくことにより、それがすぐさま何かをしなければならないということに直結しなくても、その問題に直面している労働者の運動自体がより深い問題意識に支えられたものにしていくことが必要だ。<院生K>: 安藤氏はバクロする情報を流すルートを確保するといったところで留まっているが、そこから先はそれぞれがやればいい、として問題を客観主義的にとらえてしまっている。情報をバクロすることにより何を獲得していくのかが問題だ。デザイナーだけが資本と対決しているわけではなくてそれを追求していくことを通じて政治闘争にも決起して行かなければならない。
<安藤氏>:実際にやってみなければダメだ、あなたを含めて。
(以下、次回に続く)

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