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2017年4月25日 (火)

なぜ労働者はトランプとルペンを支持するのだろうか?

 フランスの大統領選でマクロンがトップとなり、2位のルペンと決選投票に進むことになった。マクロンはEU擁護派であるが、既成政党のやり方には批判的であり、ルペンは反EU派であり、「フランス第一」をスローガンにしている。決選投票の行方はまだ分からないが、労働者の35%位がルペンを支持しているという調査結果も出されている。

 アメリカ大統領選でもラストベルトの労働者を初めとした労働者の多くが「アメリカ第一」のトランプを支持した。
 こうした状況はどこから来ているのだろうか?非常におおざっぱに言えば、労働者たちはEUやアメリカ民主党などに代表される「リベラリズム」が自分たちの立場を代表してくれなくなったと感じているからであろう。この傾向は日本でも民主党政権に期待した労働者たちが見事にその政策に裏切られ、その反作用で自民党安倍政権を支持する側に回ったことに現れている。
 アメリカ、フランス、日本それぞれのケースにあるこの現象の背景の違いは重要であるが、これらに共通するのは、真の意味で労働者の代表となる政党がなくなった、あるいは最初からないということだろう。そしてこれらの国々に共通することは、労働者が社会階層の中で大きな部分を占める、いわゆる「中間層」を形成していたことである。
 これらの国ではこの「中間層」の支持を得ることが国政にとって重要であったため、極端な国粋主義や民族主義は嫌われると同時に「社会主義」や共産主義というイメージも嫌われた。
 ところが、そうした国政運営で資本主義社会の成り立ちに内在する本質的な矛盾を問題にすることなく、基本的に資本主義経済を是認し、その発展を前提とした政策が採られ、その前提と範囲内での「左右」「中立」の違いが政党間の主張の区別になっていった。
 結果、アメリカでは民主党と共和党の主張の違いはだんだんはっきりしなくなり、結局、必然的に資本主義経済体制の様々な矛盾が表面化し、そのもっとも深刻な影響を労働者階級が受けることになったのだと思う。
そのことはフランスでも同様であり、安い賃金でも働く移民の流入や農業・製造業などのEU内で労働賃金が低い東欧の国々への依存度の増大などの結果、国内労働者の失業率の高止まりが常態となり、労働者の間でそれに何の手も打てない既成政党への不信感が高まった。
  しかし日本では、表面上失業率が低く、株価に象徴される経済状態も悪くないことや、野党のあまりにひどい状況や政権側の巧みな世論操作の効果もあって、安倍政権の支持率が維持されてきたといえるだろう。
 しかし、いまこれらの国々の「中間層」は明らかに分裂し、いわゆる「社会格差」が増大しており、下層化した労働者と上層部の富裕層化した労働者との間の、単なる収入の差だけではない階級的立場の分裂がはっきり現れてきていると思う。
 上層部の労働者たちは、資本主義経済体制の中に安住の場を見いだし、その立場から「リベラル」な主張を維持し続けている。彼らはもはや自分たちが労働者階級であることなど思っても見ない立場になっている。
 一方下層労働者たちは、そうした「リベラル」な雰囲気が嘘であることを知っており、「国際協調」や自由貿易主義が自分たちの犠牲の上に成り立っていることを直感的に感じている。
 こうした状況がいま「先進資本主義」諸国の労働者に自分たちの本当の味方を欲する切実な気持ちとなって現れており、その心情がトランプやルペンの主張に幻影を見いだしているのだと思う。
 しかしもちろん「自国第一」を叫ぶトランプやルペンは労働者階級の味方のフリをした右からの支配階級支援者に過ぎず、資本主義経済体制の矛盾を根本から克服しようとする立場では決してないし、結果として戦争の危機を招き、そうなればまたまた世界中の労働者が「自国のため」に互いに憎み合い殺し合わねばならなくなる。本来なら互いに連帯して戦争を防がねばならない同士なのに。

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