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2017年4月30日 (日)

「グローバリぜーションかナショナリズムか」なのか?(修正版)

(2017.04.30大幅修正)

27日のNHK-BS国際ニュースの中でのフランス・ドゥーのニュースから。

 マクロン大統領候補が自身の出身地であり選挙地盤でもあったアミアンを訪れ、そこのワールプール社の工場を訪れた。ワールプール社はこの工場を閉鎖してポーランドに生産拠点を移すこととなり、労働者が解雇されることになったのである。労働者の代表者と会談を行っている最中に突然ルペン大統領候補がやってきた。会場の外にいた労働者達は驚いたが、ルペン氏はマクロンが擁護するEUとそれが掲げるグローバリズムが何をもたらすかがこれではっきりしただろうと労働者に訴え、拍手を受けた。一方マクロンは会談を終えて帰る際に大勢の労働者に囲まれて、彼らから「こうなったのは現政権の左派も右派も何もしてくれなかったからだ」と責め立てられるが、「私は左派でも右派でもない新たな政策を打ち出す。問題は企業の問題であってグローバリズムが間違っているのではない」と叫びながら退場した。
 このニュースは今の世界を象徴的に表している。つまり「グローバリズムかナショナリズムか」と言われる問題だ。
 しかし、この問題の核心は、これまでEUやアメリカ民主党政権などのいわゆる「リベラル派」が中心となって推し進めてきたグローバリゼーションがいまやその矛盾が明白になって、移民問題や企業の海外移転などによって職を失う労働者が急増しているという現状にあるといえる。これに対して、トランプやルペンのナショナリズム的「自国第一主義」が対置され、どちらを採るかという図式になってしまっていること自体が問題なのだと思う。
主要な問題点は次の二つに集約できるのではないか。
1.なぜ一方でグローバリズムといわれる状態が拡大し続けているのに他方で「国家間の格差」が縮まらないのはなぜか
2.そこで生じる「生活水準」の差とは何なのか

 まず1の問題であるが、一方で大量消費を経済的基盤とする「先進諸国」から生まれ育った資本主義的企業がその利益を拡大するために国境を越えて国際的に経済基盤を作りながら資本を循環・蓄積しながら互いに競争を激化しつつある(これが「グローバリゼーション」の真の中身である)が、それは一方で貧困な国々を必要としているからである。
 グローバル資本はその国際市場競争での勝利のために必然的に労働賃金が低くても暮らせる国々へと生産拠点を移さざるを得なくなる。なぜなら、「先進国」の労働賃金のまま、そこで作った商品を国際市場で売ろうとしてもそれはコスト高となり価格競争で負けるからだ。そしてその低賃金で生産した商品を国際市場でその市場での取引が成立する範囲で最も高い価格で売りまくる。「先進国」の労働者は彼らの賃金水準からすれば比較的安いそれらの商品を買って生活資料とする。そうした「先進諸国」 の大量消費から莫大な利益が資本のもとに環流するのである。だから「先進諸国」の生産企業はこぞって「開発途上国」に生産拠点を移さざるを得なくなる。
 当然「先進国」の労働者はこれによって職を失うことになる。だからトランプやルペンのような「自国第一主義」や「雇用の確保」を主張する大統領候補を支持する様になる。しかし彼らがいくら「自国の雇用を増やす!」と叫び、半ば強制的に国外への工場移転を阻止して雇用を確保させてみても、結局資本家は自国の労働者の賃金を「開発途上国」並みに引き下げねば市場競争に勝てなくなる。
  それはすでに「大量消費国」化した国の労働者達にとっては深刻な生活苦と貧困化を意味する。当然それに反対する労働者に対しては資本家側は生産拠点を自国内に留める代わりに国内の工場を徹底的に「合理化」し、人員削減を行うことになる。結局「先進国」の企業はどちらにせよ、自国の労働者のクビを切ることになるのである。
 そして、「途上国」から輸入された安い商品により「先進国」では国内市場に出回る生活必需品の価格は低く抑えられ、その分、生き残った労働者の平均賃金は実質的に切り下げられる。一方、「途上国」の労働者は、「先進国」の労働者に安い生活資料を売り込む資本家に雇用され、先進国より遙かに低い労働賃金で働かさせる。こうした国々ではまだ国内市場は大量消費国型になっておらず、生活資料が少なくても生活できるからだ。
 こうして「先進諸国」と「開発途上国」は互いに「持ちつ持たれつ」の関係となり、格差は意図的に保たれることになる。
 次に2の問題である。
  例えば敗戦で破壊し尽くされ「ゼロ・リセット」から再出発していまは「先進資本主義国」の一つになった日本の戦後の発展の歴史を見てみよう。労働者は初めはアパート暮らしで、何とか必要な家具や生活資料を買うだけの賃金(昭和30年代初めの平均賃金は1万7千円程度だったと思う)がもらえればやっていけたが、徐々に洗濯機や冷蔵庫、掃除機などがなければやっていけない生活となり、やがてはクルマやエアコン、パソコンがなくては成り立たない生活になり、持ち家を得ることが生涯の目的となっていき、それにつれて電気代もガス代もかかるようになり、子供の教育費やインターネットの通信料が大きな出費となっていった。そうなれば賃金水準も高くならなければ平均的な生活ができなくなる。「豊かな生活」と言われるが結局は「消費者」として資本の生み出す商品を買わされ続け、相対的に高騰した賃金のほとんどすべてを再び資本に環流しているだけなのである。これが「生活水準の高い国」の内実であって、要は資本の生み出す過剰な商品をどんどん買わされて過剰に消費することで、本来は過剰資本となるものを資本にとって利潤として環流させ蓄積させているに過ぎないのである。
 だから「生活水準」が高い国とは単に資本の生み出した商品を大量に消費させられている国であり、低い国とはそれらの国の大量消費を支えるために自らの国の労働者の賃金を低いままに据え置かねばならない国なのである。
 資本主義経済の不均等発展の過程でいま「開発途上国」と言われる国々は「先進国」の歴史をある意味で後追いしているように見えるが、現実にはつねに賃金格差が保持されながら実際には「先進諸国」の労働者と同じかそれ以上の価値を生み出す労働(そのほとんどをグローバル資本に搾取されている)をさせられているのである。
 さらにこうした流れに乗れない国々は「最貧国」化され、グローバル資本の利権がらみの紛争と貧困から来る過激な宗教への傾倒などによるテロリズムをはぐくみ、混沌とした状況を生み出すことになっている。
 そのためそうした紛争地域に住む人々が生活できなくなっているという状況があり、それが「先進諸国」への避難移民の流入を急増させている。そして「先進諸国」ではそれに対してますます排外的な思想がはびこりつつある。こうした矛盾が今の世界で渦巻いている。これは明らかにグローバル資本主義が大きな壁にぶつかっている証拠であり、いわばその崩壊過程であるともいえるだろう。
 だから「グローバリズム」と「ナショナリズムか」はこうした資本主義社会の同じ矛盾の表と裏を表しているに過ぎず、いまこそ再び馬鹿げた戦争と大量の殺し合いを避けるために歴史を一歩前進させ、資本主義社会以後の社会を考えねばならないときが来ているのだと思う。

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