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2017年6月23日 (金)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その2:支配的イデオロギーからの解放に向けて)

 現代においては前回に述べたように、いわゆる「リベラル派」の多くが実は新興資本家階級であったり、ゴリゴリの独裁的国家主義・民族主義者を支持している人の一部が労働者階級であったりするのである。

 このことは社会の実質的支配・被支配関係が多くの場合、虚偽のイデオロギーによって隠蔽されているといってもよいだろう。そして教養と社会常識に充ちた「プチブルジョア的」インテリ(いわゆる「有識者」などとして)の見解が労働者の実体を代弁することなく、むしろ支配階級のイデオロギーを代弁することにもなるのである。
だから被支配階級のそれに対する違和感や反感がときには極右・民族主義など過激なイデオロギーに代弁されたりすることにもなる。
 例えば、次の様な一般的には「社会常識」と言われる考え方が実は支配階級のイデオロギーであることはこうした「インテリ」の思想には決して表れない。
(1)社会の中で自分が努力して築き上げた財産を私有することは当然であり、これに高い税金をかけるのは間違っている。
(2)購買者が必要としているモノやサービスを商品として提供している企業で働く人たちは当然購買者の要求を最大限に重視してたとえ犠牲を払ってでもその要求に応えることで会社にも貢献しなければならない。
(3)企業の利益が増え、社会が豊になって労働者の所得が増えるような政治を行ってくれる政治家や政権は支持しよう。
*などなどこのほかにもいくらでもある。
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 (1)は、アメリカ共和党支持者に代表される思想であるが、日本でもこれを支持する人はもちろん多い。しかし、自分が努力して築き上げた財産と見えるものは実は自分一人で築き上げたのではなく、実際にはそれは他人の労働の成果の一部を「無償で横取りする」ことによって獲得されたものであり、 しかも社会全体の中で労働者達が互いに関係し合いながら全体の中の部分である自分が他者との共同作業で生み出した労働の成果なのであって、本来社会全体の共有財であるべきものが個人の占有する私有物になってしまっているのである。
  こうした社会システムが資本主義社会の本質的特徴でなのである。そこから例えば社会全体で負担すべき社会保障費などのために私的財産に高い税金をかけるのはおかしいという考え方が生まれるのである。オバマケアを廃止させたトランプはまさにこれである。
 (2)について言えば、社会を支えるために働く人々が、労働の場では生産手段を所有する資本家的企業に雇用されて働くために、「生産者」としてその企業を経営する機能資本家と一括りにされる。しかし、自宅に帰って日常生活の中で労働力の再生産を行うときは「生活者」あるいは「消費者(生活資料商品の消費者)」として別のカテゴリーに括られる。一個二重の矛盾的存在なのである。
  そして労働の場では、経営者は会社の利益を増やすためにがんばっているのだから従業員も一丸となって会社のためにけんめいに働かねばならないという意識を植え付けられ、長時間労働や過酷な労働にも歯を食いしばってがんばり、労働の場から解放されて自宅に戻って「消費者」になると自分の求める商品やサービスへの対応が悪いといってその商品を売る会社の労働者にクレームをつける立場になる。こうして知らず知らずに間接的に同じ立場にある他の労働者を責め自分たち労働者階級としての立場を悪化させてしまうのだ。
 (3)については、市場競争の中で企業の利益が増えてもそれがそのままそこで働く労働者に還元されるわけではなく、企業が厳しさを増す競争の中で少しでも利益を増やせる限りのみ、そのほんの一部を労働者の賃金に上積みし、しかもそれによって労働者の生活資料商品への購買力を増やし、そこで再び生活資料商品を販売する資本家企業が利益を上げるという仕組みが出来上がっているのである。
  これを資本主義経済学者は「経済成長」と言っているが、このいつわりの「成長」は資本の無政府的「自由」競争の中でいつか必ず、企業利益の減少という局面にぶち当たり、そこでその企業は「合理化」の名の下に従業員数の大幅削減を図るか、他の大企業に彼の会社を従業員ごと売り渡してしまうのである。
 結局、資本主義社会とはさまざまな形で個別に社会的分業を行っている企業がそれぞれの分野の機能資本家によって経営され、そこで労働者は例外なく、自分の労働力の再生産に必要な生活資料の価値を生み出すに必要な労働時間をはるかに超えて働き、そこでうみだされた剰余価値部分を自ら意識しないうちに無償で企業に提供させられることになり、企業はその剰余価値部分を含む商品を販売し利益を獲得することで成り立つ社会なのである。
  つまりここでは「搾取」とはムチで叩かれながら奴隷のように労働するというようなことではなく、普通の労働の中に「1日何時間で週何日働く」といった労働契約の中に必ず組み込まれている「搾取」なのである。そして資本家経営者にとっては「価値の源泉」である労働者が絶対に必要であるとともに、そこではつねに労働者は彼らに富を生む手段(つまり道具)として位置づけられ、社会的生産の場では表面的には資本家達と同じスーツにネクタイのサラリーマン姿であっても実質は「賃金奴隷」としてその仕組みに縛り付けられなければ生きてゆけないのである。
  だからその「消費者」としての生活は資本家的商品を消費する(この消費にはモノだけではなくコトやサービスも含まれる)ことにしか「人生の歓び」を見いだすことができないのである。
 こうして本質的に階級社会である資本主義社会は表面的には「自由・平等・民主」という形に見せかけ、経営者と労働者がその利益をともに分かち合う社会の様に見せかけようとするそのイデオロギーを「社会常識」とする者たちが支配階級としての「既得権」を保持していくのである。

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