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2017年8月30日 (水)

「戦争はイヤだ」の中身が問題だ

 今朝のNHK-TV「あさイチ」で「戦争はイヤいまこそ考える」というテーマを放映していた。中東で戦乱の中で取材活動をしてきた柳沢さんの意見はなかなかリアルであった。その中でイスラエル人で日本に在住して家具職人をやっている人が日本の子供たちに彼の体験を話すという取材があった。彼は国民皆兵のイスラエルとその中での、彼自身がそうであった若い兵士の心情について語っていた。彼は小学校では「人を殺してはいけない」と教わっているのに、イスラエルの国状からパレスチナを空爆することになってしまうのは「仕方ない」と考えていた。しかし、あるとき、イスラエル空軍がパレスチナの病院や学校を空爆し、多くの子供達が死んでしまったことがあり、それをきっかけに「これが仕方ないといえるのだろうか?」という疑問を持つようになったというのだ。そこからおそらく彼の生き方は大きく変わっていったのだろう。

 戦争とは「人を殺してはいけない」という人間にとって基本的な倫理観を「こういう状況では戦争も仕方ない」として捨てさせることになるのだ。柳沢さんはこれを「思考停止状態」といっていた。たしかに「思考停止状態」になって、個人的には何の恨みも憎しみもない人たちを「敵」として「殺してもよい」という決定的な自己矛盾を「仕方ない」としてしまうことの恐ろしさが戦争なのだと思う。

  戦争が終わって戦勝国となった国の人々にはそれが正当化され、敗戦国になった国の人々はその矛盾に気づかされ罪の意識を負い続けることになる。
 その背後には、現代社会の人間が一個の個人であると同時に「○○国民」あるいは「○○民族」という「幻想共同体」の一員としての意識を持つ、いわば一個二重の実存を持たされているという現実がある。
  同じ言語を話し、同じ生活習慣をもつ人々が共同体意識をもつのは自然なことであるが、近代国家においては、現実に生活を支え合う具体的な共同体社会と、外側から政治的に「枠」を与えられた「国家」とが一致しなくなっていく。日本などはそれがほとんど一致している珍しい国なのだと思う。
  イスラエルはこれとはまったく対極的で、人為的に突然国家が作り出された。世界中に散らばってナチスなどから迫害を受けていたユダヤ人たちが、戦後連合国の支援を受けて、パレスチナ人の住む土地に事実上彼らを追い出して「ユダヤ人国家」を作ったのである。そもそもの最初から「戦争は仕方ない」という状況を生む必然性があったのだ。
 こうして自然発生的な共同体社会と人為的で政治的な「近代国家」との自己矛盾がその矛盾の爆発として戦争を生み出し、その中で凄惨で非人間的殺戮が「仕方ない」として正当化されるのである。
 あの惨めな敗戦を味わった日本人は、いま誰しも「戦争はイヤ、これだけは避けねば」と頭の中では理解しつつ、北朝鮮からミサイルが飛んでくると、「このままでいいのか?」「アメリカは頼りになるのか?」と思うようになり、やがて「日本もこれに対抗できる軍事力を持たねばならない」という国家上層部や政治家たちの意見に従っていくことになりそうである。これが「思考停止」の第一歩である。
 いまさら「非武装中立」などは非現実的だ、という意見はいま「戦争はイヤだ」という日本人の大半の意見であろう。安倍政権はその「空気」に乗っかって憲法改定を試みようとしている。やがては自衛隊を「国軍」に昇格させ、「合法的に」軍備をもつ。
  しかし、その先に待っているのは「自国を護るためには仕方ない」と戦争に突入するか、あるいは仮想敵国と競争で軍事力をエスカレートさせ、馬鹿げた巨大核戦力をもってその「抑止力」に頼るかであろう。
 はたして「非武装中立」は非現実的なのであろうか?私はそうは思わない。軍事力を持つことは相手に戦争を起こす口実を与えることになる。その意味で軍事力を持たない国の方がずっと侵略しにくいはずだ。何も軍事力を持たない国をもしある国が侵略したとしても、それはその国にとっても国際的にも「正当化」することはできないだろう。何も抵抗しない人々を理由もなく大量に殺戮することはその侵略国の兵士にとっても自己矛盾を直接突きつけられることになるだろうし、おそらくそれを遂行することを不可能にさせるだろう。
  侵略された国の人々はいったん屈辱を味わうことになるかもしれないが、これは「正当な屈辱」であり、これに耐え、やがてその侵略が不当な行為であることへの人類全体への正当なアピールにつながり、必ずや反戦への世界的な共感を得ることになるだろう。
 「国を護るために」戦争に突入することで、何の罪もない、しかも親しい隣人となり得たかもしれない人々の大量の命を不当にも奪いながら「お国に奉仕した」として祀られるよりははるかにずっとましな生き方なのではないだろうか?

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