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2017年9月24日 (日)

沖縄の幼稚園でのデザイン発想授業の報告

 先日沖縄の古くからの友人の誘いで、ある幼稚園で、お絵かき・造形の演習と父母への講演を行ってきた。私は大学生は扱いなれていたが、5歳児は初めてで、この年齢の児童がどのような表現行為をできるのか、またどのように振る舞うのかがまったく分からなかったのであらかじめいろいろな本や資料を集め、幼稚園で造形の担当をしている先生からもアドバイスを頂いた。

 二つの課題を考え、一つ目は5歳児になると発達すると言われている「見立て」能力を生かして、簡単な図形をプリントした用紙を与えて、それが「何に見える?」と聞き、そこで出てきた一人一人別々の言葉をキーにイメージを膨らませてお絵かきをしてもらった。
  二つ目はクラス全体を5人づつのグループに分け、大きなものから小さなものまでいろいろな形の段ボールやガムテープ、毛糸、サインペン、ハサミなどを持ってきて、さまざまな組み合わせで各グループに配布した。そこから「ここにあるものを使って何かおもしろーいものを作ってくれる?」と促した。
 最初の課題は比較的抵抗なくみなクレヨンを動かし始め、見ていると同じ図形からでもそれぞれまったく違うイメージを膨らませていった。最後に「これ何描いたの?」と聴いてその名前を言ってもらった。中には「ミサイル」をいっぱい描いた子もいた。
 次の段ボールなどを使った立体造形の課題は、メンバーどうし話をしながら作っていったグループと、てんでんバラバラにそれぞれが何かを作っていって、最後にそれらをテープでくっつけたり、隣のグループの作品に毛糸で繋げてしまったりする子もいた。最後に「これ何を作ったの?」と各グループの子に聞いたが、すぐ名前がでてきたものとなかなか名前が出てこなかったグループがあった。前者はグループで相談して意見が一致したグループで、後者は一人一人勝手に作り出し、最後にまとめ上げたグループである。しかしそれはそれでまたユニークな作品ができていた。
Okinawa_kid_d_project1
Okinawa_kid_d_project2
 その後は、父母達にこの課題の趣旨、コトバとイメージの結びつきから発想される新しいイメージが「見立て」を可能にさせること。この「見立て」は大人になると形は全く違う対象でもその構造や機能が似ているものを持ってきて「何かに喩える」という類推能力の原型であるといえること。
  「つくりながら考える」という試行錯誤がモノづくりの特徴であり決して最初からつくるモノが見えてはいないこと。児童の認知能力は失敗を繰り返す中で学びながら発達すること。
  人類が進化の過程で身につけてきた「モノづくり」の能力が人間の技術的発想力や表現力やそれを通しての自然の法則性の理解、さらに「モノづくり」で道具を作ることによって獲得した「目的・手段」関係という論理的思考やそれを共同体内で行うことから道具のもつ意味を共有するためのコミュニケーション手段としてコトバを発達させるなど、あらゆる人間特有の能力の源泉になっているという話をした。
 この授業は初めてにしては一応うまくいったと思っている。
  要は、「デザイン発想」の問題を職能の特殊技術としてではなく、誰でもが持っている人間の基本的かつ普遍的能力として捉え直し、それを伸ばすことが必要なのだと思う。この能力なくして「先端的技術イノベーション」などを付け焼き刃しても私たちの次世代社会は健全な姿ではありえないのだと思う。
 最後に私と井上勝雄氏の共著「モノづくりの創造性ー持続可能なコンパクト社会の実現に向けて」(海文堂、2014)の宣伝をほんの少しばかりさせてもらった。
 翌日遊びに行った比嘉浜の沖にきれいな虹がかかっていた。
Okinawa_1

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