« 世の中の変曲点で考えること | トップページ | もう一度問う、リベラルか保守か、なのか? »

2017年10月 3日 (火)

「中間層」といわれる人たちの本質を考える

 総選挙が近づくと、きまって「どの政党を支持するか?」というアンケートが行われるが、そのときいつも、もっとも多いのが「どの政党も指示しない」人々である。自公政権の強引で権力乱用的体質はいやだが、野党に任せても経済や政策運用が心配だ、というわけである。そして、こうした「どっちつかず」票を取り込もうとイメージ戦略に懸命になるのが各政党である。

 その中心がいわゆる「中間層」といわれるグループであるが、人数的には多数派である。
この「中間層」の本質は、じつは資本主義的労働者階級なのである。今日の労働者階級は、かってのような肉体的労働者から、一日中PCに張り付いて頭を働かす、頭脳労働者にいたるあらゆるタイプの資本主義的分業形態をとっており、それがトップの大資本の支配のもとでさまざまな下請けあるいは関連企業の形をとって国境を越えた巨大な生産・流通システムのネットワークを形作っているが、これらの現代的労働者階級のほとんどは自分たちを「労働者階級」として自覚していない。おそらくは「市民階級」という意識が強いであろう。
 この「中間層」の中身の分析はもっとキチンと行わねばならないが、それ自体さまざまな階層に分かれているといえる。最上層は大企業(製造業、建設業、商社、運送業など)や大銀行、証券投資会社など金融関係のサラリーマンなどという位置で、主として頭脳労働を行い、その労務内容は資本家の意志の一端を受け持ってそれを職務化した形の労働である。彼らは高給取りであるし、労働条件も悪くない。そして将来資本の意志の執行役(機能資本家)として育てるための人材として入社時に選び抜かれたエリートである。
 その下には、その資本家の意図をより具体的に細かく細分化して実行するグループがあり、ある部分は「分社化」して別の企業の形を採る。
 さらに下にいくほど「意志決定」内容が単純化されるので、労働力の安い国へ業務がつながる。そして最下層の現場労働者たちがもっとも過酷で低賃金の労働に晒される。外国で可能な労働は賃金の安い外国へ、建設業、物流関係など国内でないとダメな労働では非正規雇用やアルバイト、外国人研修生の利用が日常化されている。この下層部分は「中間層」というカテゴリーには入れられないが、本質的には「中間層」も「下層」もみな同じ資本家的労働者階級なのであり、資本家の頭と手足の延長としての役割を果たしているのである。
 ところで「市民意識」をもつ「中間層」は、実はこうして現実の社会的労働の場では、自らの意図や裁量にもとづく労働を行っているのではなく、資本の意図の「代行」をしているため、自分の労働であって自分の労働ではない、という矛盾した形で「疎外」されているのである。自分の労働力を労働賃金と引き替えに資本家に売り渡している以上それは仕方のないことである。
 そのため、そこでは決して得られない、自己充足感を、「消費」の場で得ようとする。この「消費」の場で労働賃金の一部を支払って何を買おうとそれは彼の自由である。しかしそこで買う商品は資本家的企業で労働者たちの「疎外労働」によって資本家の意図(売って利益をあげるためにつくる)のもとで生産された商品である。それはいかにも購買欲をそそるようにデザインされている。そして「消費者」はその商品を買うことに「生きる喜びと自由」を感じる。
 つまり「中間層」といわれる人たちを含めて労働者階級は、資本家的商品の購買者として、資本家のための疎外労働で得た労働賃金を、商品購入によって再び資本家階級の手に環流させることに「生きる喜びと自由」を感じているのである。
 資本家階級は彼らを「消費者」としてまつりあげ、どんどんあらたな商品を生み出しては買い換えさせ、そこから莫大な利益をあげているのである。その挙げ句に過剰に生産され、過剰に消費される商品が一方で地球資源を食い尽くし、他方で廃棄物の山によって自然環境を破壊している。
 資本家階級の総意を代表する政府や政党はこれを「消費拡大による経済の好循環」という。
「中間層」といわれる人々は、この誤った「市民意識」を捨てて、もう一度自分たちの置かれた惨めな立場を振り返ってみよう!
そこから世の中のすべてが違って見えてくるだろう。

|

« 世の中の変曲点で考えること | トップページ | もう一度問う、リベラルか保守か、なのか? »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/65868661

この記事へのトラックバック一覧です: 「中間層」といわれる人たちの本質を考える:

« 世の中の変曲点で考えること | トップページ | もう一度問う、リベラルか保守か、なのか? »