« トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その3) | トップページ | 「リベラル派」がはらむ根本的問題点(修正版) »

2017年11月15日 (水)

資本が太るほど社会は崩壊に向かう(「国難」の真実)

 安倍首相が先の衆院選挙で政権のキャッチフレーズとして「国難突破」を強調していたが、選挙で勝利した途端に、「国難突破」はどこかに吹っ飛んでしまったようだ。

 マスコミでは史上空前の株価上昇持続、GDPは今年もプラス、などと騒がれ、「人手不足」で失業率は最低に下がったと宣伝している。そして大企業の増収が続き、カネを右から左に動かすだけで何ら社会的有用労働を行わない投資家たちがぼろ儲けしている。これを支配層は「好景気」と呼ぶ。
  しかし大企業では儲けの大半を予測不能な将来の変化に備えて内部留保に回している。だから労働賃金は上がらず、正規雇用は増えない。人手が足りず儲けに支障が出れば即短期雇用契約の労働者を雇い、経済不況などで利益率が下がれば即労働者をクビにできるようにしているのだ。
 実質的に社会を支えている労働者階級の生活は「消費の低迷」にも現れているように、ただでさえ、子どもの教育費、住居費、介護・医療費、ガス電気通信費などに莫大な費用がかかり、両親は共稼ぎでないと生活を維持できなくなっている上に先行き不明な将来に備えて貯金など蓄財を増やさねばならなくなっている。
 これは結局、労働者の生活に必要な財やその子どもたちを次世代の労働者として育て教育する費用をすべて労働者自身の生活費から支出させようとする支配層の方針によるのである。しかもそうした労働者階級の生活費は商品購買を通じて生活資料を生産する資本家企業の儲けとなり、教育費は教育資本の儲けとなり、個人の貯金や蓄財は金融企業の儲けとなり、インフラ費用もすべてそれを経営する資本家企業の儲けとなるのである。だから「消費が拡大」しないと資本家達は儲けが減り、そこに雇用されている労働者の賃金も減らされるのである。
 このような仕組みの矛盾から、いま日本では「少子高齢化」が進み、これを安倍首相が「国難」と言っているが、実はその「国難」の真の原因を作っているのは「アベノミクス」に代表される戦後日本の資本主義経済体制なのである。
 戦後日本の資本主義社会は、戦争でゼロリセットを掛けられて、ほとんど壊滅状態から立ち上がり朝鮮戦争での「特需景気」などをテコとして急成長した。しかしこれは戦争で悲惨な経験をして家族を失い食うものもなくなった生活から何とかして立ち上がろうとした農民や労働者階級の必死の努力によるものであって決して資本家の経営手腕能力のせいではない。
 そして何とか将来の社会が明るいものとして見えてきた労働者階級は懸命にその「明るい未来」に希望を託して働いたのである。その結果が「高度成長社会」であった。だから本来ならばここで労働者階級によって生み出された社会的富はすべて社会全体のための共有財として労働者の子どもの教育費、医療費、その他の社会保障や老後に必要な諸費用などに用いられなければならないはずであったが、当然そうはならなかった。
  最初は年々少しずつ上がる賃金で子どもを大学まで進学させることができるようになり、国立や公立の比較的教育費の安い教育機関で優秀な若者が育っていった。そして実生活では次々と現れる家電製品やクルマ、エアコンなどの商品を分割払いで無理して買いながら徐々に「便利で清潔な」家庭生活を築いていった。
 しかし、その状態は1990年頃を境に変貌していった。資本主義経済固有の矛盾により必然的にバブルが崩壊した経済体制の中で賃金は相対的に低下し、失業者が増大し、「明るい未来」の夢はたちまち消えていった。
 やがて21世紀に入り「IT革命」などによって産業構造の一大変化が訪れ、企業の経営形態や労働者の雇用形態も変貌していった。しかし資本主義経済体制の基本は変化しなかったのである。そのため雇用は短期契約となり、経営者は「辣腕経営者」が何億円もの年収で国を問わずにスカウトされてくる様になった。彼らは、企業の収益を最優先し、「人員整理」や「合理化」などで労働者は犠牲となった。
 本来なら社会全体のための共有財として蓄積されなければならなかった富は、こうした資本家達のもとに占有され、激しさを増すグローバル資本間の競争に勝つために投資されていった。そしてそれを総資本の代表である政権が金融政策や経済・財政政策によって支えていったのである。
 いまや労働者階級は横のつながりを失った「個人消費者」としてバラバラな存在となり階級的な結束が失われ、一握りの巨大な資本の力の前に何もすることができなくなり、富裕層となった人々を除いて労働者階級の多くの人々は子どもを育てて未来の生活を築いて行ける展望も失いつつある。だから多くの若者は結婚もせず、独身生活を自分のためだけに楽しむという「閉じられた人生」に生きる意味を見いださざるを得なくなっているのだろう。この「深層のあきらめ心理」が若者達の保守化をもたらしているのだろう。
  やがて社会は家族同士の支え合い、世代間の交代などがスムースに行われなくなり、このままでは資本が太れば太るほど社会は普遍的な持続性を失い、崩壊に向かわざるを得なくなっている。安倍首相は歴代の自民党政権がその結果としてもたらした「国難」を「アベノミクス」によって再びそこへ回帰することで「突破」しようというのだからあきれたものである。
 いま社会はこうした社会の危機を忘れさせるための「麻薬的キャンペーン」が次々と生み出され、大はオリンピックや「観光ギャンブル産業立国構想」から小は「楽しい」スマホソフトの世界まで目先の興味や快楽で人々の心を捉え真実から目を逸らそうとするイデオロギーが充ち満ちている。
 安倍内閣の支持率が上がっているのはこうした「虚偽のイデオロギー」が社会を支配しているからなのであろう。騙されてはいけない!

|

« トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その3) | トップページ | 「リベラル派」がはらむ根本的問題点(修正版) »

哲学・思想および経済・社会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/210651/66046126

この記事へのトラックバック一覧です: 資本が太るほど社会は崩壊に向かう(「国難」の真実):

« トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その3) | トップページ | 「リベラル派」がはらむ根本的問題点(修正版) »