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2017年3月5日 - 2017年3月11日

2017年3月 7日 (火)

網走「ラーゲリ」と流氷の日没

 遠い親戚の学芸員が責任者となって展示された北アメリカ北方先住民の展示を観に網走に出かけた。そのついでにオホーツク文化の遺跡や、旧網走監獄などを観てきた。

 北方先住民の解説・展示もなかなか面白かったが、旧網走監獄の遺構はなかなか見ごたえがあった。ここは元あった場所から移築再現され、放射状に造られ中央に監視所がある監獄の姿は市の観光の目玉となっている。
 「網走番外地」で有名なので名前だけはよく知っていたが、その現実の姿や歴史に関してはまったく知らなかったので良い勉強になった。
 解説によると北海道の監獄は明治初期の北海道開拓に囚人を労働力として用いるための政策的意味があったそうである。網走監獄には明治10年の西南戦争で敗れた薩摩の兵士等が、いわば「政治犯」としてここに連れて来られ、旭川、北見などと網走をつなぐ道路建設に労働力として使役されたそうである。
 その労働は過酷であり、食物も最低限のものしか与えられず、ただでさえ温暖な薩摩からやって来た元兵士たちは、重労働と寒さのため死者が続出したらしい。使役された労働者の6人に1人の割合で死者が出ている。そして死者はろくに埋葬もされず、建設中の道路の脇に土をかけられて放置された。しかし現場で監視に当たっていた監守たちもやはり過酷な任務をこなさねばならず、徐々に囚人達に同情的になり、ある種の仲間意識すら生まれていたようだ。
 こうして当時の道庁は、過酷な強制労働によりこの難工事をわずか8ヶ月でやり遂げたそうである。そしてその道路が完成した後、今度はそこに屯田兵が送り込まれ、北海道の中央部や北東部の開発がどんどん進められた。
 私はこの話しを聞いて、まずあの「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」に出てくるスターリン時代のシベリアの強制収容所を思い出した。スターリンは政治犯(この中には敗戦でシベリア送りとなった日本の兵士たちも含まれる)をラーゲリに送り、強制労働させることによりシベリアの開発を行い、当時の「社会主義経済」を何とか維持しようとした。まさに明治期の網走監獄はラーゲリそのものである。
 こうして兵士や政治犯などが「囚人」として監獄に送り込まれ原野の開拓に必要な労働力として用いるということが北海道「近代化」の基礎として必要だったのだ。そしてそれと平行してアイヌなど原住民の生活や文化がまたたくまに破壊され尽くされていったのだ。
 これらの史跡と同時に網走名物の流氷も観たかったが、残念ながらすでに流氷は知床半島方面に風で流されてしまっていたので、親戚のクルマで斜里、ウトロまで走ってもらい、なんとかその日の夕方には接岸している流氷を観ることができた。
 50年前、学生時代に夏の知床を訪れたことがあったが、冬は初めてであった。当時とは見違えるような大きなホテルがあちこちに建ち、すっかり観光地化されていた。しかし、小高い丘の上から見る、オロンコ岩や枯れ木の並ぶ斜面の向こうに見える流氷は夕陽に映えて美しかった。村は資本主義的市場経済による変貌を遂げたが、自然はやはり以前のままであった。
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