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2017年4月30日 - 2017年5月6日

2017年5月 6日 (土)

アベノミクス崩壊の予兆と「安部プライベート憲法」への道

 安倍首相は憲法改正促進派の集会向けにビデオメッセージを送り、その中で、2020年までに改訂実施を目指し、9条には自衛隊の存在をキチンと位置づける、と宣言した。

 それに先立つNHKなどの世論調査では改訂の必要ありがやや多く、必要なしがやや少ないという結果が出たが、それと同時に9条の改訂は必要ないとする意見は過半数を超えていた。
 安倍首相はこれをどう見たのか分からないが、2020年までという根拠もはっきりせず、9条にわざわざ入れなくとも自衛隊は現に存在しているではないか。このビデオメッセージはまるで憲法が「改正」を主張する自分の都合のためにある「プライベート憲法」であるかのような扱いであった。何という驕りだろう!
 このような驕りの背景には安倍政権の支持率が高いということがあるわけで、これに絶対的自信を深め、自分の意のままに「決められる政治」を実行しようというのであろう。
 この支持率の高さはいまのところ何とか維持されている株価や「景気」そしてその裏付けとなる大企業の高収益とそれに支えられる低失業率の維持から来るのであろう。
 しかし、このアベノミクスの現実はまさに崩壊の危機に瀕しているとしか言い様がない。
何度もこのブログでも書いて来てきたが、日銀黒田総裁の「異次元の金融緩和」でばらまくカネが経済を刺激して物価を上昇させ、企業利益を増やし、「うまくいけば」労働者の賃金も上がり、消費が拡大する、という「好循環図式」そのものが地獄への道なのである。
 5月6日の朝日新聞朝刊4面「経済」欄に載っていた、「積極財政 首相に進言次々」という記事でも書かれていたが、例の大投資家ジョージ・ソロスやFSA長官のアデア・ターナーなどから、景気刺激のために国の借金を気にせず財政出動をするように進言されてその気になっているらしい。
  その記事でも取り上げられていた「ヘリコプター・マネー」つまり空からおカネをどんどんばらまけば、景気は必ず良くなるという考え方は、まさに「カネこそわがすべて」の資本家的発想であって、行き詰まった資本主義経済体制への破れかぶれの幻想にすぎない。
 そもそもおカネとは何かと言えば、あるモノを生産する地域とそれを作っていない地域で作られる別のモノを交換して生産物の流通を行うために登場した流通の媒介物であり、本来流通する商品と同じ価値量の貨幣があれば済むものである(もちろん様々な理由で流通期間の長短が生じるのでそれを補完するためにストックされる貨幣も必要であるが)。
 それがその流通に必要な量をはるかに超えて発行されるのは、カネをどんどん使わせて流通を恣意的に速めることで資本(商品および貨幣)の回転を速め、それによる利潤の獲得量を増やそうとすることに動機があるといえるだろう。これはいわゆるインフレ政策の基本にある考え方であるが、この政策がある程度成功したかに見えるのは、その前提として過剰な生産と過剰な消費が意図的に作り出される必要があり、そのため、労働者の賃金を少しずつ上げながらその支出を促すことで、労働者も「豊かな生活」ができ、企業も儲かるという「ウインウイン」の関係が成立するかのように見えるからである。
 しかし、その背景には労働者の買う生活資料商品の販売によってその賃金として支払ったカネを資本家に環流させるという「たくらみ」があるのだ。だから「物価の上昇」が彼らにはキーワードとなっている。
 この考え方は一見、好循環のもとで経済が「成長」するかのように見えるが実は、どんどん虚妄の価値の上に成り立つ空中楼閣的な経済が築き上げられていき、それと同時に過剰な生産が進むことによる資源枯渇や過剰な消費が進むことによる地球環境破壊が進んでいくのである。やがてそれが限界に達したときに初めて現実経済からの手ひどいしっぺ返しを受けることになる。「根無し草」的貨幣の超過により貨幣価値が急落し「超インフレ」となり、同時に「大不況・大失業時代」が到来することになることは確実である。
 現に、その「限界」が見え始めてきた。いくら安部さんが「消費拡大」の旗振りをしてみても労働者階級がモノを買わなくなってきたのである。その理由は労働者達はすでにモノばかり買わされる人生に嫌気がさしてきており、それが決して自分たちの存在意義や自己表現を意味していないことに気づき始めているし、将来への不安が増大しているからなのだろう。つまり安倍首相のいうことが「虚言」に過ぎないという正当な直感があるからだと思う。
 その一方で、かつてのインフレ政策で生まれてきたいわゆる「中間層」の労働者は上層部の「勝ち組」が新世代の資本家として新富裕層となっていき、「負け組」はますます下層に落とされ、新貧困層を形成するようになっている。そしてその多くが新富裕層などの経営する企業、例えば流通販売業、情報通信企業、外食産業、あるいは不動産業やいわゆる奢侈品産業や観光娯楽産業、そしてギャンブル産業などの不生産的産業にぶら下がって生きねばならなくなっている人々が増えている。これが失業率を低く見せているのである。
 こうして下層に突き落とされていった人々の怒りは屈折した形で潜在し、いったん失業率が上がればこれが爆発し、世界的な規模でいわゆるポピュリズムの波を起こしつつある。これに対して一定の危機感を持つ安倍政権はもっぱら「ニッポンを愛する気持ちの大切さ」を宣伝し。「国を護る気概」を宣揚することで「国民的結束」を図ることに努めており、北朝鮮問題はこの安部首相の政策には大きな追い風となっているようだ。
 しかしその底流では世界的に資本主義経済体制の「大崩壊」がじわじわと始まりつつあるようだ。問題はいつこの大崩壊の予兆が現実のものになるかであろう。いずれにせよ本当に社会に必要な労働によって世の中を下支えしている人々同士が国境を挟んで争い殺し合う悲惨な戦争を避け、国境を越えたボトムアップ的社会改革を進めるための連帯と結束を生み出していくことが必要になっているのではないだろうか。

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2017年4月30日 (日)

ラストベルトの労働者 その後

 昨夜9時からのNHK-BSスペシャルでアメリカのラストベルトの労働者の今を放映していた。

 ラストベルト地域で生き残っていた企業の中で手堅いある航空機部品メーカーでは市場での競争が厳しくなり、メキシコに生産拠点を移すと発表した。それに反対する労働者たちは大統領選でトランプに期待を託し、トランプ当選に大きな役割を果たした。そこで労働者側は大統領に当選したトランプに直訴して現状を訴えたが、結局待てど暮らせどトランプ政権は彼らを救うための有効な手立てを何ら講じることはなかった。シリア内戦や北朝鮮問題で「力による平和」をスローガンに緊張関係を生み出していたため、そんな「些細なこと」にかかずらっていられなかったのだろう。
  仕方なく労働者たちはストを決行して雇用の維持を訴えたがこれも結局よい結果を生まず、会社側は解雇者リストを発表した。そして6月末までにほとんどの従業員が解雇されることになったが、一部の社員はメキシコに新設される工場で新たに雇用されるメキシコ人労働者の技術指導をやらされることになった。これにはその従業員も戸惑いを感じたし、解雇される労働者たちからは怒りの声が起きた。
  しかし、結局彼らはあきらめて解雇を認める方向に流れていった。彼らの一人は「オレは何十年もこの会社のために働き、他の会社に行かないようにとまで言われがんばってきたが、情勢が変化してこうなってしまった。あれだけ支持したトランプには結局裏切られ、悔しいが仕方のないこととあきらめるしかない。しかしオレはメキシコの労働者を憎んではいない。結局彼らもこの会社で安い賃金で働かされ、気の毒だと思う」
 私は彼に「そうだ!メキシコの労働者も君たちと結局同じ立場なんだ!」と気持ちを伝えたかった。
 そしてもう一つの例。同じくメキシコに工場を移す計画を持っていたある空調機器メーカーの話である。トランプが大統領になってから、自分を支持してくれた労働者たちのために直接その経営者に交渉して、工場のメキシコ移転をやめさせたのだ。これには労働者たちは、トランプが約束通りオレたちを護ってくれた、と大喜びだった。
 ところが、その工場ではその後、メキシコ移転しない代わりに大規模な「合理化」を行い、大幅な人員整理を決行すると発表があった。結局、ラストベルトの労働者はここでもトランプに裏切られたのである。
 以上がその放映の内容である。
 折しもニュースではトランプが就任100日目の演説で「私は多くの公約を実行に移し、そのほとんどは成功した。これはアメリカにとってすばらしいことだ!」と自慢げにしゃべっていた。そして多くの狂信的な支持者たちが星条旗を振って万雷の拍手喝采を送っていた。
 これが「アメリカ・ファースト」の現実である。ラストベルトの労働者達はやがて真実に目覚める時が来るに違いない。

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「グローバリぜーションかナショナリズムか」なのか?(修正版)

(2017.04.30大幅修正)

27日のNHK-BS国際ニュースの中でのフランス・ドゥーのニュースから。

 マクロン大統領候補が自身の出身地であり選挙地盤でもあったアミアンを訪れ、そこのワールプール社の工場を訪れた。ワールプール社はこの工場を閉鎖してポーランドに生産拠点を移すこととなり、労働者が解雇されることになったのである。労働者の代表者と会談を行っている最中に突然ルペン大統領候補がやってきた。会場の外にいた労働者達は驚いたが、ルペン氏はマクロンが擁護するEUとそれが掲げるグローバリズムが何をもたらすかがこれではっきりしただろうと労働者に訴え、拍手を受けた。一方マクロンは会談を終えて帰る際に大勢の労働者に囲まれて、彼らから「こうなったのは現政権の左派も右派も何もしてくれなかったからだ」と責め立てられるが、「私は左派でも右派でもない新たな政策を打ち出す。問題は企業の問題であってグローバリズムが間違っているのではない」と叫びながら退場した。
 このニュースは今の世界を象徴的に表している。つまり「グローバリズムかナショナリズムか」と言われる問題だ。
 しかし、この問題の核心は、これまでEUやアメリカ民主党政権などのいわゆる「リベラル派」が中心となって推し進めてきたグローバリゼーションがいまやその矛盾が明白になって、移民問題や企業の海外移転などによって職を失う労働者が急増しているという現状にあるといえる。これに対して、トランプやルペンのナショナリズム的「自国第一主義」が対置され、どちらを採るかという図式になってしまっていること自体が問題なのだと思う。
主要な問題点は次の二つに集約できるのではないか。
1.なぜ一方でグローバリズムといわれる状態が拡大し続けているのに他方で「国家間の格差」が縮まらないのはなぜか
2.そこで生じる「生活水準」の差とは何なのか

 まず1の問題であるが、一方で大量消費を経済的基盤とする「先進諸国」から生まれ育った資本主義的企業がその利益を拡大するために国境を越えて国際的に経済基盤を作りながら資本を循環・蓄積しながら互いに競争を激化しつつある(これが「グローバリゼーション」の真の中身である)が、それは一方で貧困な国々を必要としているからである。
 グローバル資本はその国際市場競争での勝利のために必然的に労働賃金が低くても暮らせる国々へと生産拠点を移さざるを得なくなる。なぜなら、「先進国」の労働賃金のまま、そこで作った商品を国際市場で売ろうとしてもそれはコスト高となり価格競争で負けるからだ。そしてその低賃金で生産した商品を国際市場でその市場での取引が成立する範囲で最も高い価格で売りまくる。「先進国」の労働者は彼らの賃金水準からすれば比較的安いそれらの商品を買って生活資料とする。そうした「先進諸国」 の大量消費から莫大な利益が資本のもとに環流するのである。だから「先進諸国」の生産企業はこぞって「開発途上国」に生産拠点を移さざるを得なくなる。
 当然「先進国」の労働者はこれによって職を失うことになる。だからトランプやルペンのような「自国第一主義」や「雇用の確保」を主張する大統領候補を支持する様になる。しかし彼らがいくら「自国の雇用を増やす!」と叫び、半ば強制的に国外への工場移転を阻止して雇用を確保させてみても、結局資本家は自国の労働者の賃金を「開発途上国」並みに引き下げねば市場競争に勝てなくなる。
  それはすでに「大量消費国」化した国の労働者達にとっては深刻な生活苦と貧困化を意味する。当然それに反対する労働者に対しては資本家側は生産拠点を自国内に留める代わりに国内の工場を徹底的に「合理化」し、人員削減を行うことになる。結局「先進国」の企業はどちらにせよ、自国の労働者のクビを切ることになるのである。
 そして、「途上国」から輸入された安い商品により「先進国」では国内市場に出回る生活必需品の価格は低く抑えられ、その分、生き残った労働者の平均賃金は実質的に切り下げられる。一方、「途上国」の労働者は、「先進国」の労働者に安い生活資料を売り込む資本家に雇用され、先進国より遙かに低い労働賃金で働かさせる。こうした国々ではまだ国内市場は大量消費国型になっておらず、生活資料が少なくても生活できるからだ。
 こうして「先進諸国」と「開発途上国」は互いに「持ちつ持たれつ」の関係となり、格差は意図的に保たれることになる。
 次に2の問題である。
  例えば敗戦で破壊し尽くされ「ゼロ・リセット」から再出発していまは「先進資本主義国」の一つになった日本の戦後の発展の歴史を見てみよう。労働者は初めはアパート暮らしで、何とか必要な家具や生活資料を買うだけの賃金(昭和30年代初めの平均賃金は1万7千円程度だったと思う)がもらえればやっていけたが、徐々に洗濯機や冷蔵庫、掃除機などがなければやっていけない生活となり、やがてはクルマやエアコン、パソコンがなくては成り立たない生活になり、持ち家を得ることが生涯の目的となっていき、それにつれて電気代もガス代もかかるようになり、子供の教育費やインターネットの通信料が大きな出費となっていった。そうなれば賃金水準も高くならなければ平均的な生活ができなくなる。「豊かな生活」と言われるが結局は「消費者」として資本の生み出す商品を買わされ続け、相対的に高騰した賃金のほとんどすべてを再び資本に環流しているだけなのである。これが「生活水準の高い国」の内実であって、要は資本の生み出す過剰な商品をどんどん買わされて過剰に消費することで、本来は過剰資本となるものを資本にとって利潤として環流させ蓄積させているに過ぎないのである。
 だから「生活水準」が高い国とは単に資本の生み出した商品を大量に消費させられている国であり、低い国とはそれらの国の大量消費を支えるために自らの国の労働者の賃金を低いままに据え置かねばならない国なのである。
 資本主義経済の不均等発展の過程でいま「開発途上国」と言われる国々は「先進国」の歴史をある意味で後追いしているように見えるが、現実にはつねに賃金格差が保持されながら実際には「先進諸国」の労働者と同じかそれ以上の価値を生み出す労働(そのほとんどをグローバル資本に搾取されている)をさせられているのである。
 さらにこうした流れに乗れない国々は「最貧国」化され、グローバル資本の利権がらみの紛争と貧困から来る過激な宗教への傾倒などによるテロリズムをはぐくみ、混沌とした状況を生み出すことになっている。
 そのためそうした紛争地域に住む人々が生活できなくなっているという状況があり、それが「先進諸国」への避難移民の流入を急増させている。そして「先進諸国」ではそれに対してますます排外的な思想がはびこりつつある。こうした矛盾が今の世界で渦巻いている。これは明らかにグローバル資本主義が大きな壁にぶつかっている証拠であり、いわばその崩壊過程であるともいえるだろう。
 だから「グローバリズム」と「ナショナリズムか」はこうした資本主義社会の同じ矛盾の表と裏を表しているに過ぎず、いまこそ再び馬鹿げた戦争と大量の殺し合いを避けるために歴史を一歩前進させ、資本主義社会以後の社会を考えねばならないときが来ているのだと思う。

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