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2017年6月18日 - 2017年6月24日

2017年6月23日 (金)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その2:支配的イデオロギーからの解放に向けて)

 現代においては前回に述べたように、いわゆる「リベラル派」の多くが実は新興資本家階級であったり、ゴリゴリの独裁的国家主義・民族主義者を支持している人の一部が労働者階級であったりするのである。

 このことは社会の実質的支配・被支配関係が多くの場合、虚偽のイデオロギーによって隠蔽されているといってもよいだろう。そして教養と社会常識に充ちた「プチブルジョア的」インテリ(いわゆる「有識者」などとして)の見解が労働者の実体を代弁することなく、むしろ支配階級のイデオロギーを代弁することにもなるのである。
だから被支配階級のそれに対する違和感や反感がときには極右・民族主義など過激なイデオロギーに代弁されたりすることにもなる。
 例えば、次の様な一般的には「社会常識」と言われる考え方が実は支配階級のイデオロギーであることはこうした「インテリ」の思想には決して表れない。
(1)社会の中で自分が努力して築き上げた財産を私有することは当然であり、これに高い税金をかけるのは間違っている。
(2)購買者が必要としているモノやサービスを商品として提供している企業で働く人たちは当然購買者の要求を最大限に重視してたとえ犠牲を払ってでもその要求に応えることで会社にも貢献しなければならない。
(3)企業の利益が増え、社会が豊になって労働者の所得が増えるような政治を行ってくれる政治家や政権は支持しよう。
*などなどこのほかにもいくらでもある。
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 (1)は、アメリカ共和党支持者に代表される思想であるが、日本でもこれを支持する人はもちろん多い。しかし、自分が努力して築き上げた財産と見えるものは実は自分一人で築き上げたのではなく、実際にはそれは他人の労働の成果の一部を「無償で横取りする」ことによって獲得されたものであり、 しかも社会全体の中で労働者達が互いに関係し合いながら全体の中の部分である自分が他者との共同作業で生み出した労働の成果なのであって、本来社会全体の共有財であるべきものが個人の占有する私有物になってしまっているのである。
  こうした社会システムが資本主義社会の本質的特徴でなのである。そこから例えば社会全体で負担すべき社会保障費などのために私的財産に高い税金をかけるのはおかしいという考え方が生まれるのである。オバマケアを廃止させたトランプはまさにこれである。
 (2)について言えば、社会を支えるために働く人々が、労働の場では生産手段を所有する資本家的企業に雇用されて働くために、「生産者」としてその企業を経営する機能資本家と一括りにされる。しかし、自宅に帰って日常生活の中で労働力の再生産を行うときは「生活者」あるいは「消費者(生活資料商品の消費者)」として別のカテゴリーに括られる。一個二重の矛盾的存在なのである。
  そして労働の場では、経営者は会社の利益を増やすためにがんばっているのだから従業員も一丸となって会社のためにけんめいに働かねばならないという意識を植え付けられ、長時間労働や過酷な労働にも歯を食いしばってがんばり、労働の場から解放されて自宅に戻って「消費者」になると自分の求める商品やサービスへの対応が悪いといってその商品を売る会社の労働者にクレームをつける立場になる。こうして知らず知らずに間接的に同じ立場にある他の労働者を責め自分たち労働者階級としての立場を悪化させてしまうのだ。
 (3)については、市場競争の中で企業の利益が増えてもそれがそのままそこで働く労働者に還元されるわけではなく、企業が厳しさを増す競争の中で少しでも利益を増やせる限りのみ、そのほんの一部を労働者の賃金に上積みし、しかもそれによって労働者の生活資料商品への購買力を増やし、そこで再び生活資料商品を販売する資本家企業が利益を上げるという仕組みが出来上がっているのである。
  これを資本主義経済学者は「経済成長」と言っているが、このいつわりの「成長」は資本の無政府的「自由」競争の中でいつか必ず、企業利益の減少という局面にぶち当たり、そこでその企業は「合理化」の名の下に従業員数の大幅削減を図るか、他の大企業に彼の会社を従業員ごと売り渡してしまうのである。
 結局、資本主義社会とはさまざまな形で個別に社会的分業を行っている企業がそれぞれの分野の機能資本家によって経営され、そこで労働者は例外なく、自分の労働力の再生産に必要な生活資料の価値を生み出すに必要な労働時間をはるかに超えて働き、そこでうみだされた剰余価値部分を自ら意識しないうちに無償で企業に提供させられることになり、企業はその剰余価値部分を含む商品を販売し利益を獲得することで成り立つ社会なのである。
  つまりここでは「搾取」とはムチで叩かれながら奴隷のように労働するというようなことではなく、普通の労働の中に「1日何時間で週何日働く」といった労働契約の中に必ず組み込まれている「搾取」なのである。そして資本家経営者にとっては「価値の源泉」である労働者が絶対に必要であるとともに、そこではつねに労働者は彼らに富を生む手段(つまり道具)として位置づけられ、社会的生産の場では表面的には資本家達と同じスーツにネクタイのサラリーマン姿であっても実質は「賃金奴隷」としてその仕組みに縛り付けられなければ生きてゆけないのである。
  だからその「消費者」としての生活は資本家的商品を消費する(この消費にはモノだけではなくコトやサービスも含まれる)ことにしか「人生の歓び」を見いだすことができないのである。
 こうして本質的に階級社会である資本主義社会は表面的には「自由・平等・民主」という形に見せかけ、経営者と労働者がその利益をともに分かち合う社会の様に見せかけようとするそのイデオロギーを「社会常識」とする者たちが支配階級としての「既得権」を保持していくのである。

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2017年6月21日 (水)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その1:トランプと安部のイデオロギー)

 トランプ大統領が過激な発言や政策で危険視されながらも多くの白人労働者階級に支持され、ヨーロッパでもフランスでのマクロンの勝利やイギリスでの国民投票の結果によりBREXITを推進しようとする保守党内閣が国選では敗北するなどの「揺り返し」が起きているにもかかわらず、相変わらず多くの国々で「極右」国家主義的政党が労働者階級の支持を得ている。なぜか?

 コトはそう単純ではなさそうだ。今朝(21日)の朝日朝刊「オピニオン」欄「ピケティーコラム」でのピケティのアメリカ政治情勢分析は興味深い。かつてルーズベルトが打ち出したニューディール政策では、19世紀ヨーロッパでの富裕層による貴族的寡頭政治での社会的不平等への反省から、所得税の累進課税制を取り入れ、相続税を取り入れ社会的不平等を縮小しようとした。それによりアメリカは戦後繁栄の時期を迎えたが、共和党などの根強い反発に乗って1980年にレーガンが大統領となって事態は一変した。所得税の最高税率を大幅に下げ、富裕層に有利な政策を採った。そしてその30年後、ブッシュJrが最初に相続税を廃止しようとしてからさらに10年後、トランプが相続税を完全に撤廃し、法人税を大幅に引き下げた。富裕層への大きなプレゼントである。
 それにもかかわらず、白人労働者階級は、「アメリカ・ファースト」による雇用の増大というトランプの公約に期待しトランプを支持する。その背景には、共和党が巧みな戦略で国家主義者のレトリックを操り、反知性主義をはぐくみ、民族・文化・宗教間の対立を煽り、労働者階級の分断を図ってきたことがある。さらに、公民権運動や社会福祉があまりに黒人層に偏りすぎているという不満を持った層が、共和党に流れていった。そして今年トランプがオバマケアの撤廃という措置でこれに応えた。そしてその間、民主党の支持者は高学歴者とマイノリティーにどんどん偏って行ったというのである。
 このピケティーの分析から窺えるのは、いまやアメリカの「既得権階級」とは共和党に代表される資本家など従来の富裕層を指すのではなく、いわゆる「リベラル中間層」やIT産業などで活躍できる高学歴労働者、そしてそれらの思想を代弁するリベラルインテリ層であり、その中に公民権運動などで台頭した黒人マイノリティー層なども含まれると考えられる。これらはおおむね民主党支持層である。
  これに対して公民権運動からも疎外され、資本のグローバル化に取り残されたラストベルトの白人労働者階級などは、民主党に代表される「リベラル派」と対決する富裕層を代弁する共和党トランプ派の支持者になっていったというわけだ。こうした反既得権意識を持つ人々をかき立てているのがマスコミが影響力を持ついわゆる「ポピュリズム」的流れであろう。
 そして日本の場合を考えてみよう。長く続いた自民党政権の金権体質の既得権政治にうんざりし、民主党政権に期待をかけたリベラル派支持層はその失政と無為無策によって完全に裏切られ、その多くが安部政権支持に回ったと思われるのだが、旧自民党政権でさえ成しえなかったほど右寄りの安保法制、共謀罪法案、などを強行に成立させ憲法改定に突き進むと同時に法人税の大幅減税を決行し、しかも権力を利用して自分のお友達を優遇する政策を進めたりする安倍政権にいまだ支持率40%近くを与えているのはなぜだろうか?
 その原因の一つとして考えられることは、高度成長期に「企業戦士」として過酷な労働に耐えて「経済成長」をもたらし日本の資本家階級を太らせてきた労働者階級がその内部で「格差」を増大させ、その上層部が「新富裕層」となっており、こうした階層が新たな「既得権階級」の一部を形成していると思われ、その階層の大半が 「リベラル・インテリ」の思想を支持していたことが考えられる。
 日本のマスコミで有力な位置をしめているのがこうした「リベラル中間層」のいわゆる「中立的視点」であり、こうした層の安倍政治への批判がきわめて脆弱であるばかりでなく、その層の思想を代弁する「リベラル・インテリ」の一部がいわゆる「有識者会議」のメンバーとして安倍政権の方針決定にまで参与しているのである。したがって当然多くのいわゆる中間層がそれに影響されているといえるのである。もちろんその背景には政権による巧みな世論操作という隠れた意図があるのはもちろんだが。
 致命的なのはこうした 「リベラル・インテリ」の視点が労働組合組織にまで浸透し、政権が打ち出す「働き方改革」とか「誰でもチャンスを得られる社会」とかいう偽りの宣伝文句に対して何ら批判ができず、「経済成長のためには企業活動を盛んにする必要があるから」という理由で法人税が引き下がられ、その一方で「社会保障を維持していくために消費税の引き上げが必要だ」などという根本的な誤りにも無批判で、「経済が不況になれば雇用が失われる」と脅され、 失業率が減ったとか株価が高騰したとかいう資本家的視点での社会観に振り回されているだけなのである。
 その一方で社会の格差や矛盾はどんどん進行しつつあり、それは決して表に出ることのない深層で社会の土台を崩壊させつつある。
 このままでは社会の深層にある「既得権階級」への不満や怒りがポピュリズム的流れに乗っておかしな方向に噴出し、日本でもより過激な「右翼国家主義」的政党や民族主義が台頭し、周辺諸国と軍事力を競い会うような時代が来るかもしれない。そうなれば大きな犠牲を払わされるのはいつも多くの労働者階級自身である。歴史を繰り返してはならない。

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