« 2017年7月9日 - 2017年7月15日 | トップページ | 2017年7月23日 - 2017年7月29日 »

2017年7月16日 - 2017年7月22日

2017年7月22日 (土)

人手不足なのになぜ労働賃金が上がらないのか?(その1)

 いま日本では輸出関連や建設業などの大企業が利益を増やし、観光関連産業などでも利益が増えているし、株価が2万円台を維持して「景気は悪くない」と見られている。そして日銀は相変わらず物価2%上昇基調を維持できるまで「異次元の金融緩和」を続けると宣言した。相変わらずアベノミクスをサポートし続けようというのだ。

 そしてマスコミは「消費者の消費意欲が低下している」「将来の不安があるので可処分所得を蓄財に振り向けている」などと書き立ている。まるで「消費者は消費するのが本分なのだからもっと消消費意欲を持たないと物価が上昇せず、労働賃金も上がらないのだ」と言わんばかりである。その一方では、金利が安くなっているので一般住宅やマンション新築など大手建設業が稼ぎまくっており、そこでは下請け企業などでの人手不足が常態化している。そのため災害復興などには「手が回らない」という状況も常態化している。また「IT革命」以後インターネットが急速に普及し、通信会社や通販業界が大もうけをしているし、それに伴い物流関係の企業では運転手や配送員の不足が深刻化している。
それなのに実質的労働賃金は大企業以外はほとんど上がっていない。なぜなのか?
 そこで、よく考えてみよう。
 第1に、こうした「人手不足」が「生産の合理化」によって補われつつあるということがある。ITやAIなどを用いた「合理化」を浸透させることで人手不足を補う方が長期的には新たな労働者を雇用するより「生産コスト」が安く済む。デリバリー要員を雇用する代わりにドローンで商品を宅配するなどということも現実化しつつある。マスコミなどはこれを「テクノロジーの進歩」と絶賛するが、その動機は「労働の合理化」であり、「人減らし」である。そこにこうした「合理化」を「ビジネスチャンス」とみて「イノベーション」と称して技術革新を武器に新会社を興す新興資本家も登場する。その結果「合理化」は一方で労働者の人減らしとその賃金の低下を生むと同時に他方でイノベーションをビジネスチャンスとする新興資本家を生み、この人達が新富裕層になっていく。
 第2に、ヨーロッパやアメリカでは賃金の安い国々からの移民を受け入れ、この人たちを低賃金で働かせることにより、「合理化」のための莫大な設備投資をしないで人手不足を補うのが常套手段になっているが、日本ではそれをやっていないという問題。
そこに、人手不足が「解消」されず少ない労働者でますます多くの仕事をこなさねばならなくなる(つまり長時間労働)という事情が発生する。この事態は深刻であり過労死や自殺者は増え続けている。そこで政府は「働き方改革」などを持ち出すが、これが実施できるのはごく一握りの大企業か公務員くらいである。大半の労働者は過酷な労働の現実から逃げられない。
 日本も移民を受け入れればいいではないか、という声も企業経営者に多いらしいが、コトはそう簡単にはいかない。それはヨーロッパやアメリカでも見られるように国内の労働者の職を奪い、労働賃金を下げることになるからだ。
 第3に、労働者の生活必需品の多くが輸入品となり、労働力の安い国々でつくられる商品が安い価格で小売市場に並ぶ。それと同時に従来の国内産商品は「高級品」化されてしまい、富裕層向けの商品になっていった。生活資料商品の2極化である。そして大多数の労働者は格安の生活資料で生活するようになり、それによって生じる幾ばくかの貯蓄を老後の備えに振り向ける。
  だから資本家は「労働力の再生産費」である労働賃金を上げないし、とてもじゃないが「新たな消費欲」など起こらない。一方IT革命に乗っかって一旗揚げようと登場した新興企業や株の投資などで儲けた新興富裕層はステータスとして「高級品」を購入する。だからこうしたひとたちは「消費欲」が旺盛だ。「オカネで買えないものはない」というわけだ。「金融緩和」でジャブジャブ流れ込んできたオカネはこうした人たちのために使われるが一般労働者にはさっぱり回ってこない。
 こうした状況の背景には「資本のグローバル化」という問題がある。21世紀になってから顕著となった資本のグローバル化はもともと資本主義圏では進行していたが、20世紀末に旧「社会主義圏」が資本主義経済のネットワークに組み込まれることによって急速に世界規模で進んだ。
 グローバル資本は一方で生産コストをできうる限り抑え利潤をあげるために「安い労働力」をもとめ、他方ではその安い労働力を用いてつくった商品をできるだけ多く売ることで利益をあげるために「大きな消費財市場」を求めて世界中を駆け巡り、自身を拡大蓄積しながらこれを世界市場での互いの競争に勝つために投資し続けると同時に、その過剰化された部分を不生産的に(資本の再生産に結びつかないように)処理するための「大量消費」を生み出していった。
  いうまでもなく資本の過剰化はすでに20世紀中葉には限界状態となり世界大恐慌を引き起こす引き金となったが、その後、その過剰化した資本を不生産的に処理する方法、簡単にいえば無駄な大量消費(ケインズ的にいえば「有効需要の創出」)のための無駄な大量生産により経済を見かけ上「成長」させる方法を定着させ、それが第2次世界大戦以後の西側世界の経済の基調となってきた。
 1980年代の末にバブルがはじけた日本を除いて「リーマンショック」前まではそのグローバル化が比較的に順調?に進んでいたように見えたが、その後その矛盾が当然あちこちで噴出し始めた。その顕著な例の一つが表記の問題であり、また最近のヨーロッパやアメリカでの大量の移民流入や「自国第一」主義の登場もそうである。
(次回につづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月18日 (火)

観光産業振興政策で覆い隠される現実

 今朝のNHK海外ニュースで、スペイン・マジョルカ島の現状が報道されていた。

 それによるとマジョルカ島は観光地として世界的にブランド化されているため、世界中からおそろしいほどの数の観光客が訪れ、つねにそこにもとから住んでいる人たちの何十倍もの観光客が溢れている。そのため、昔からそこに住んでいる人たちは、大変な迷惑を被っている。日常生活に必要なものは驚くほど価格が高騰し、道路は渋滞が日常化し、公共交通機関はつねに満員、部屋を借りようとしても途方もなく高い家賃でなければ借りられない。そしてそれをいいことに、マンションやアパートを買い占めて高く賃貸してボロ儲けをする外国の投資家も登場する。店の経営者やアパートの家主は儲かってホクホク顔だろうが、それ以外の普通の人たちや高齢者・年金生活者などにとっては、このままでは生きていけなくなるほどのとても厳しい状況だ。
 しかし、自治体や政府は莫大な観光収入から得られる税収が頼みなので住民の犠牲を黙認する。ヨーロッパの他の有名観光地でも同じような状況が日常化しているようだ。こうした状況は日本でも起きつつある。京都などもひどい状況らしい。
 いま世界ではいわゆる「先進資本主義諸国」の資本家達が単純労働を主体としたモノづくり産業では「低賃金労働諸国」の競争力に負けて利益を挙げられなくなり、 知識労働者の労働を主体としたITやAI産業に走る一方で、いわゆる「サービス産業」や金融業、そしてレジャー・エンタメ産業などの、不生産的産業で利益をあげる方向に傾きつつある。これらの不生産的産業は、モノ作りなどで莫大な利益をあげた新興資本主義国(中国、東南アジア、インドなど)の資本家やそのおこぼれで潤う「中間層」そして石油・天然ガスなど資源を切り売りして莫大な利益をあげているアラブ諸国やロシアなどの新興資本家たちやそのおこぼれで潤う「中間層」などがオカネの使い道として選ぶ観光やエンタメで落としていってくれるカネが目当てなのである。
 これはかつての「先進資本主義諸国」が「寄生国家」となりつつあることの証拠でもある。そして日本でも公的大型ギャンブル施設(IR)が借金でクビの回らなくなってきた国家財政を支えるために必要化されつつある。
 その一方で、日々の生活にも事欠く厳しい生活を余儀なくされている多くの人々の現状は形だけは「対策」を講じるようなフリをするが実際にはつねに解決されないまま放置される。これは新興資本主義諸国においても同様である。
 労働力市場が豊富に存在する大都会周辺には人口が集中するが、その一方で進む地方の過疎化の中で、地方再生の起爆剤として「観光」を目玉に打ち上げねばならなくなる。それはその派手な外観とは裏腹な地方住民の伝統的生活の破壊を伴うのである。
こうして「売るためにつくる」生産体制が必然的にもたらした「低賃金労働の輸出」によって自ら墓穴を掘った生産的産業での利益減少を「金持ちに媚びる」産業で補うという形でいまの資本主義社会は崩壊の一途をたどっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年7月9日 - 2017年7月15日 | トップページ | 2017年7月23日 - 2017年7月29日 »