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2017年8月6日 - 2017年8月12日

2017年8月12日 (土)

NHK戦争記録特集番組を観て

 例年8月になると、NHK-TVで戦争記録特集番組が組まれる。今日(12日)は太平洋戦争当時の日本本土空襲の記録を放映していた。

 私は終戦当時まだ5才の子供で東京の杉並に住んでいたが、昭和20年1月に新潟に疎開していたので、3月10日の東京大空襲は知らないが、疎開する直前、近くの中島航空機が空襲された時の記憶がある。空襲警報が鳴ったので庭につくった防空壕に家族と身を潜めていたが、高井戸にあった高射砲からのズンズンという射撃音とB29から投下される爆弾のものすごい爆音と地響きで壕の入り口の隙間から見えた青空に、木っ端のように建物の残骸が飛び散り、遙か上空にときどきキラリと光る日本の迎撃戦闘機が見えたのを覚えている。防空壕の上には戸板が乗せてあり、空襲警報が鳴ると母がその上に布団を乗せていたのも覚えている。今考えるとこんなものではとても攻撃を防げるものではないが、母は機銃掃射で銃弾が壕の中まで飛んでこないようにと考えていたようだ。
 今日のTV番組を観ていて知ったことは、こうして日本の迎撃機が出動していた頃はまだよかったのだが、やがて硫黄島が陥落しそこからアメリカのP51戦闘機がB29とともにやってくるようになって日本の軍事施設や航空機はほとんど壊滅的な打撃を受け、挙げ句にはB29護衛の必要がなくなったP51が民間人を狙って機銃掃射をしまくるという状況になっていったようだ。杉並で医師を開業していた父は一人東京に残ったが5月に杉並が空襲を受けて診療所は全焼した。そして命からがら逃げ回ったという手紙が疎開先に届いた。
 番組では当時アメリカ空軍の戦闘機を操縦していた人が「日本人ならだれでも殺すことが使命と思っていた」と語っていた。しかし彼も戦後しばらくして日本に来たときに子供に「ピース」サインをされて、思わず心が動揺し、当時の攻撃される側の人たちの状況が思い浮かび胸を痛めたということだ。
 あの戦争で日本本土全体で空襲で亡くなった人は46万人にもなったそうである。 しかし、私はこの番組を観て思ったことは、あの戦争の引き金を引いたのは日本の政府と軍だったという事実が後景に退いている。日本本土がアメリカから受けた空襲の被害状況をいうならば、日本軍が行った中国の重慶などへの無差別空襲やオーストラリアのダーウィンへの空襲なども同様に取り上げるべきではなかっただろうか?
 番組でも若干触れられてはいたが、アメリカから見れば、こうした無差別空襲は日本が先に行ったのであり、アメリカは日本が引き起こした戦争を終わらせるためにそれを行っても当然であると思ったであろう。
 以前ある別の番組で、戦争中に軍の上層部にいた人たちが、戦後しばらく経ってから、戦争の「反省会」を行っていたときの録音テープが流されていた。そこではあの戦争がなぜ起きてしまいなぜ防げなかったのかが主要なテーマにはなっていなかった。もっぱら、どこそこの戦いで日本側が負けたのはなぜか、どこが間違った戦術だったのか、というような話であったと記憶している。こうした人たちは、彼らが引いた引き金で、あの戦争の大惨事が起きてしまったことへの反省はなかったのであろうか?
 一方で考えさせられることは、多くの戦争回顧番組で「当時の軍部がいけなかった」ということのみが強調されていることが多いことだ。しかし、私の知る限りでは当時「日本国民として一丸となって鬼畜米英と闘おう」「一億総火の玉!」(いずれも安倍首相の最近のスローガンと似ているが)と胸をはって声高に叫んでいたのは一般市民であった。まるで今の北朝鮮とそっくりな状況であった。
 つまり、戦争の引き金を直接引いたのは当時の軍であり政府であったのだが、それを可能にさせる「空気」を生み出していたのは当時の「国民」であったといえるだろう。そしてこうした上からの浸透による「国民感情」にほとんどすべての人々が何も反論も抵抗もできず、その「空気」に呑み込まれていったという事実こそ最も恐ろしいことではないのか?
 いったんこうした戦争への「空気」が出来上がってしまえば、それは容易に引き金を引かせることになり、いったんそうなれば憎しみが憎しみを呼んで互いに殺し合うことが「使命」となってしまうのである。いまの世界情勢はそういう「空気」を生み出しつつあるのではないだろうか?

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