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2017年8月20日 - 2017年8月26日

2017年8月21日 (月)

Nスペ「東京・戦後ゼロ年」を観て

 このところNHKスペシャルの感想ばかり書いているので「あいつはNHKの回し者ではないか?」と疑われそうだが、決してそんなことはない。

 昨夜(20日)は「東京・戦後ゼロ年」というタイトルで俳優山田孝之が終戦直後の東京にタイムスリップし当時の映像や写真の中に溶け込んでいろいろな体験をするという設定だったのでちょっとドラマ仕立てで抵抗があったが、中身は私が5才の頃見た終戦直後の東京の景色や有様が映像として登場し、私の内部に眠っていた古い記憶を呼び覚ましてくれた。
 戦時中わが家は強制疎開のため全部取り壊され、父の診療所もその後の空襲で丸焼けになってしまったので、疎開先から帰ってきた私たち家族は杉並で貸間住まいをしていた。焼け跡生々しい町並みの通りにも当時、露店が並び、蒸かしたサツマイモを一山拾円で売っていた。焼けトタンで作った屋根だけの粗末な「バラック」住宅に住んでいた人が多く、夕方になると野外でドラム缶のフロに入っているのを見かけることもあった。 ときたま母と青梅街道を走っていた都電に乗って新宿まで出かけたが沿線の成子坂下あたりに空襲で焼けただれたクルマの残骸が山のように積まれていたのを思い出す。これが私にとっての「生まれ故郷・東京」の姿の原点であった。
 それはともかくとして、昨夜のNスペでは、終戦の年から翌年の8月までの1年間の東京が描かれており、ヤミ市の誕生と浮浪児たちの有様などが映像で描かれていた。
  上野の山に多くたむろしていた「浮浪児」たちはみな戦争で両親や兄弟を奪われ家を焼かれた戦災孤児である。食べ物もなく、何かあれば奪い合いとなるような中で何とか生き延びていた彼らはその孤独で苛烈な生活にも拘わらず大人達からはまるで「ゴミ」の様に扱われていたのである。
 当時のアメリカを中心とした占領軍は「進駐軍」と呼ばれていたが、飢えた子供達は進駐軍の兵士に群がって食べ物やチョコレートをねだっていた。そして女性達は生きて行くために自分の身体を兵士達に売った。当時はそういう女性達は「パンパンガール」と呼ばれていた。
 そして驚くべきことに、当時RAA(Recreations and Amusements Association)という進駐軍兵士のための慰安団体が組織され、日本版「慰安婦」が公募されたのである。そしてその高給に釣られて多くの女性たちがそれに応募したのである。
 その一方で、こうして食うに困っていた多くの人々を尻目に終戦間近に軍や政府が密かに蓄えた「財産」が進駐軍に流れていったという話は衝撃的だった。これらの資金は進駐軍関係の施設建設やサービスに注がれ、また進駐軍の特権につけ込んだ「政商」たちに流れていった。
  当時アメリカ軍がソ連などの共産主義運動への歯止めとして日本を位置づけ始めた中で、そうした闇のカネや特権に群がった旧軍部の上層部や政府要人はそれを自分たちの延命と利権獲得のチャンスとして利用し、罪に問われることもなくその後も何十年かに渡って戦後の政界や財界の仕掛け人として舞台裏で動き回っていたのである。ロッキード事件の児玉などもその一人である。
 こうした話を知るにつけ、あの戦後ゼロ・リセットを掛けられた日本がその後高度経済成長を遂げ、やがてバブル崩壊を境に下り坂を下り始め、いまや未来の姿すら描けなくなって行きつつある状態になっていった有様をすべて見届けてしまったわれわれの世代は、いったいどう考え何をすべきなのだろう?
 明治維新から始まった日本の「近代化」が坂の上の雲を目指して世界列強の一員にまで登りつめた後、戦争に向かってどんどん転がり落ち、ついにはあの悲惨な戦争の中ですべてを失ってしまった歴史を考えてみても、戦後、ふたたび坂の上を目指して登りつめたとき、そこに見えたのは何だったのだろうか?過去の幻影ではなかったのか?
  これは一口にいえば「反省なき戦後がもたらした現在の悲劇」といえるのではないだろうか?

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