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2017年1月22日 - 2017年1月28日

2017年1月28日 (土)

帽子をかぶった少女像(続き)

 ある公園の孤独で寂しげな少女像について2度ばかり書いてきたが、その後、またその公園に行ってみると、今度は少女の膝の上に松かさがたくさん置いてあった。多分リスのエサのつもりなのだろう。彼女は相変わらずうつろな目でどこかを見つめてうつむいている。

この小さな背中に、この少女がこれから過ごすであろう人生の重さと孤独を感じるのは私だけではなさそうだ。
 ところで韓国の慰安婦少女の像が竹島にも設置されるという。あの悲しげな慰安婦の少女はさんざん政治の道具にされて、挙げ句の果てに日本海の孤島にまで連れて行かれるらしい。寒風にさらされ、彼女の孤独と悲しみはますます深くなるだろう。ほんとうに可哀想だ。
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2017年1月27日 (金)

1970年代から始まったアメリカ社会の変質を考える

 前回、オリバー・ストーン氏のトランプ観について書いたとき、トランプが「偉大なアメリカを取り戻す」と叫ぶときの「偉大なアメリカ」とは1950-60年代のアメリカをイメージしていると私は書いた。

 ちょうど今朝のNHK BS1で「映像の世紀ーベトナムの衝撃」という記録映像をやっていたのでその内容と関連させて考えて見ようと思う。
 1960年代は一方で東西冷戦が深刻化し、核戦争の危機が現実となっていた時代であり、他方ではアメリカの労働者達の生活が消費文明化していた時代であった。当時のアメリカ大統領ケネディーは、一方でキューバ危機を何とか回避すると同時に、「アメリカはアメリカ市民の平和と自由を護るだけでなく、世界中の人々の自由と平和を望んでいる」と演説していた。
しかし、国内では黒人の公民権運動が盛んになり、キング牧師が脚光を浴び、それに理解を示したケネディーは暗殺された。
 その後を継いだジョンソン大統領はしかし、「社会主義の拡大を防ぐため」と称して、ベトナムに軍事介入し、以来泥沼のベトナム戦争の当事者となっていった。しかし無差別的に殺される農民や破壊される村々を見て、ベトナムの人々はアメリカのこのような行為に対して、決して「自由と平和のための闘い」とは見ず、むしろ解放戦線側に与していった。そしてアメリカでもこれを「正義なき闘い」と感じる学生達が国内で反戦運動を盛り上げていった。
 一方で国内の反戦運動の高まりでベトナム戦での立場が不利な状況になってきたことに危機感を持ったジョンソンは「サイレント・マジョリティー」に訴えかけ、このような反戦運動に歯止めを掛けようとした。「サイレント・マジョリティー」の中身は大半がブルーカラーの労働者達であった。彼らは反戦運動を行う学生達は「豊かな家で育ったわがままな連中で、本当にアメリカを支えてきたのは自分たち労働者だというプライドを持ち、「星条旗を汚すのは許せない」として彼らを批判した。その後、アメリカの官憲は徹底的にこの反戦運動を取り締まるようになって行っていったが、結局、ニクソン大統領の時代に膨大な戦費や若者達の厭戦観の拡大でベトナムからの撤退を余儀なくされ、1975年にはベトナム解放戦線が全土を掌握し、戦争は終結した。
 ここからアメリカは徐々に変質しだした様に思える。ここで以下の様なことが問題となる。
(1)1960年代まで莫大な軍事費を計上してもやって行けたアメリカの国家予算がなぜこの頃からやっていけなくなって行ったのか?
(2)なぜ当時「サイレント・マジョリティー」だったアメリカのブルーカラー労働者たちが「社会主義」を悪魔の様な敵と感じ、「星条旗」を神聖なものと見たのか?そしてその後惨めな状況に突き落とされながらいまなお「偉大なアメリカ」の再現を信じるのか?
(3)なぜ反戦運動を盛り上げ、ベトナム戦争を終結に導いたアメリカの若者達の多くが、その後、ヒッピーや麻薬のとりこになってドロップアウトしてしまい、その一方で彼らの一部が当時勃興しつつあったコンピュータ関連などの新興資本家になって行くことで新たな「エスタブリッシュメント」になって行き「中間層」の格差が拡がって行ったのか?
など。
 こうした問題を考えることが、今日のアメリカでの状況、例えばトランプの様な排外主義的大統領がなぜアメリカの労働者階級に支持され、なぜいわゆる「中産階級」の分断と格差拡大が生じたのか。そして「世界の警察官」アメリカがなぜ中東での紛争解決に失敗し、それを投げ出したのか、などの疑問により深い回答を求めることにつながるかも知れない。

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2017年1月24日 (火)

オリバー・ストーン監督の「トランプ支持?」発言を巡って

 今朝(1月24日)の朝日新聞朝刊にアメリカの映画監督オリバー・ストーン氏へのインタビュー記事が載っていた。

 その中で最も意外だったのは鋭い政権批判を繰り返していた彼がトランプをある意味で支持しているという発言だった。もちろん全面的な支持ではなく、政権と情報機関(CIAなど)との癒着による他国への介入主義とその反面としての国内の状態への軽視と国民への監視の強化などという状況が「リベラル」を標榜する民主党にもはびこっていることへの「変化」を期待してのことであろう。
 確かにいまの日本の民進党などにも見られ、マスコミの一部などにも見られる「リベラル」の中身がいかにインチキで本当の意味で資本主義社会の病根をとらえていないかは、私も同感である。彼らが多くの見捨てられ希望を見失っている人々の期待をつねに裏切り、結局は資本主義権力の「左からの」補完役しか果たしてこなかったことへの失望がいまの日本に横溢していると思う。
 しかしアメリカと日本の違いは、アメリカが世界資本主義を経済的にも軍事的にもリードする存在であったということ、そして日本はその忠実な「しもべ」に過ぎなかったということである。
 この違いを前提にしてこれからの社会を考えねばいけないが、それにしてもオリバー・ストーン氏のトランプへのとらえ方は疑問を感じさせる。彼はトランプが辣腕のビジネスマンだったから、他国との関係もビジネスで損をするようなことはしないだろうと考えている。そして、だから戦争は避けるだろうとも言っている。またこれまでの政権と違って情報機関の堕落への視線を持つことができ、国内問題にも目を向けるだろうという。政治的に未経験であるトランプをそういう方向に導いて行ければアメリカはいまより良くなるだろうという期待を持っているのである。
 確かにトランプは有能な資本家であろうし、「損」を敢えて取るようなことはしないだろう。しかし、誰にとって「損」になるのかが問題だ。アメリカの資本家たちにとって「損」にならなくてもアメリカの労働者階級にとっては大きな「損」になることも彼は敢えてやるかもしれないしその可能性は高い。トランプの言う「アメリカ・ファースト」の「アメリカ」とはアメリカの経済的支配者である資本家階級のことであることは確実だ。彼がもしアメリカ労働者階級の立場に立っているのなら「万国の労働者、団結せよ!」と叫んだはずである。
 トランプが目指すのは1950-60年代のアメリカであり、当時のアメリカ政権がソ連圏に対抗する強大な軍事ネットワークを築き上げ、そこから世界中の富をアメリカの資本家階級に集中させその「おこぼれ」を労働者階級に流すことができた時代である。もうそんな時代はやってくるはずもないし、その時代にアメリカの労働者階級は「豊かな生活」といわれた生活資料商品大量消費時代の中で自らを「中産階級」という意識に染め上げられ、骨抜きにされていってしまったために、結局その資本主義経済体制の崩壊過程で今日のような惨めな状態に甘んじなければならなくなったのだ。
 そのことへの労働者側の反省がなければ再び日本の安倍政権のように「成長戦略がもたらす経済の好循環」などというマヤカシの言葉に振り回されることになるのだ。
 ストーンさん、そのことも考えて下さいよ!

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2017年1月23日 (月)

「ザ・リアル・ボイス」続編で観るアメリカの「自由・平等」の実情

 昨年3月にNHK-BSで放映された「ザ・リアル・ボイス」(このブログでも取り上げた)という番組の続編を昨日やっていた。今回もアメリカ各地にある大衆食堂「ダイナーズ」にあつまる客の声からアメリカ社会のリアルな本音を聞き出そうという番組である。

 今回はアメリカの新大統領に決まったトランプをめぐってアメリカの一般大衆の生の声を聞こうというもので、トランプ支持派が多いとされる「ラストベルト」のダイナー、メキシコからの不法移民が多いとされるアリゾナ州フェニックスのダイナーそして反トランプ派が多いとされるロサンジェルスやニューヨークのダイナーなどでの取材だった。
 まず、ロスやニューヨークでは学生達や女性達が「トランプは我々の大統領ではない」というプラカードを持って大規模なデモを行っている様子があった。そこではトランプ支持派のグループとの激しいやりとりの場面もあった。ダイナーでの本音の中にはこうした抗議の仕方そのものに疑問を持ち、こういう抗議の仕方が対立を深めることになるんだという客もいた。またトランプが大統領に選ばれてしまったのだから見守るしかないと半ばあきらめている人もいた。
 フェニックスでは食うために職を求めてアメリカにやってきた「不法移民」たちと、すでにアメリカの市民権を得ているヒスパニック系移民との間で意見が異なっていた。メキシコとの国境添いに壁を作ることに賛成しているヒスパニックもいるのである。
 そしてデトロイトなどの「ラストベルト」では、かつて「偉大なアメリカ」のシンボルだった「豊かな中産階級」の主役であった白人労働者達が、会社が労働力の安い国へ生産拠点を求めて国内の工場を閉鎖していくため、失業したり転職したりしなければならなくなった状況がある。
こうした人々がトランプを大統領に推す大きな力になってきたのであるが、いまその実情は少し予想とは違ってきていた。
 トランプがメキシコに工場を新設するといっていたGMにクレームを付けたため、GMがそれを撤回してアメリカでの雇用を増やすといったためトランプはそれを「オレの成果だ」と自慢したのだが、実はGMの多くの非正規雇用労働者がその後解雇されている。護られたのは正規雇用の労働者だけであった。そしてダイナーではそれまで親しくつきあってきた労働者達の間で、正規雇用と非正規雇用の溝が深まっていく様子が窺えた。
 こうしたアメリカの現状を見るにつけ、アメリカではこれまで何とか外面を取り繕ってきた「自由・平等」の原則がその内部では実は一度もちゃんと実現したことがなく、しかも徐々にその「たてまえ」と「本音」の間のきしみが大きくなっていっていたことが分かる。「分断」はいまに始まったことではないのだ。ただそれが覆い隠されてきたに過ぎないのだと思う。
 オバマ大統領が就任したときには、本当に「自由・平等」が実現されるかもしれないという期待から"Yes we can, yes I can"が合い言葉になったが、それは結局実現されず、内部でますますきしみが大きくなっていたのだろう。そしてその不満がトランプの「暴言」によって代弁されたため、一気に彼に期待が集まったのだろう。
 こう考えると、アメリカの「自由と平等」がいかに幻想に過ぎないものであったが分かると同時に、その根源に、多民族国家アメリカでのグローバル資本の支配の拡大とそのもとで分断され団結力を削がれてきた労働者階級の現実の複雑さが見えてくる。
 東西冷戦中は社会主義圏に対抗するための国策が戦争で過剰資本から解放され巨額の富を蓄積したたアメリカ資本と結びつき、労働者の生活資料(家電製品・クルマなどを含む)生産をもその資本の成長の一環に組み込むことができたため、労働者階級は「豊かな生活」を謳歌することができたが、その後東西冷戦は終わり、「アメリカ一極世界」となってからは資本が急速にグローバル化し他の資本主義諸国との世界市場での競争を激化させていった。
 そこでアメリカ資本主義は「自由・平等」の看板のもと「世界の警察官」として振る舞おうとする国家指導部と資本の論理のもとで労働者への搾取体制を深めざるを得なくなっていったグローバル資本との間での齟齬が生じていったのだろう。これまでの政権は何とかそれを取り繕って行こうとしたがうまく行かず、いまやその内部矛盾は覆い隠すことができなくなったのだと思う。
 トランプ政権のもとでこうした複雑な問題がうまく解決されるはずがないことは明らかだ。そしてアメリカ社会はいよいよその資本主義社会末期の混乱と苦悶の時代を迎えることになるだろう。

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