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2017年10月1日 - 2017年10月7日

2017年10月 5日 (木)

もう一度問う、リベラルか保守か、なのか?

 世の中は総選挙のことで持ちきりである。小池都知事の「希望の党」に合流して政権交代のチャンスを狙おうとした前原「民進党」は、「小池フィルター」によって選別され、ふるい落とされた「リベラル派」は「立憲民主党」を結成した。マスコミではこれであたかも安部自公政権とその補完勢力の「維新の会」や「こころ」を最右翼としてそのやや左に「改革保守」を名乗る小池「希望の党」、そしてそのやや左に「リベラル」を名乗る「立憲民主党」や「社民党」そして一番左に「日本共産党」という図式が出来上がった様に扱っている。

 選挙民はこのうちどれかから選択せよということだ。しかし、この「保守」から「リベラル」へと政党をありもしない尺度の上に並べて論じるのはおかしい。「安部さんの右寄りで強引な政治姿勢はいやだけど、一度失敗したリベラル政権に経済を任せるわけにはいかないから、その中間あたりにしようかな」なんていうのはまったくもって危うい選択である。
 問題は、われわれが社会の真実をしっかり知り、それに対して的確な判断を下せるかどうかである。
 いま経済は好調だと思われている。「景気」を示すいくつかの指数は「好況」を示し、失業率は最低レベルまで下がり、株価は2万円台を超えている。しかし、国家財政の収支はもはや回復不可能な致命的な状況にまでに陥っている。日銀がばらまく円と、買い支える株価によって、証券市場は活気づき「この機に儲けよう」という投資家たちが巨額の投資を続け、大企業が上げる利益の上前を獲得している。この「好況」は実に危うい状況であり、投資家たちがそれを意識して一斉に手を引けばたちまち国の経済は破綻に追い込まれかねないのである。
 一方では、これまでの長期にわたる自民中心の政権が「経済成長」至上主義で行ってきた政策のもとで育ってきた子供達はやがて、「企業に役立つ人材」がふるい分けられ、ふるい落とされた若者達は「フリー」な労働者として放置されてきた。こうして若い労働者の生活は格差が増大し、学費のかかる高等教育から疎外され、単身で生きねばならない若者が増え、結婚して家族を持てる労働者はどんどん減少し、「少子化」が進む。
 そのため 「成長する」企業は人手不足となり、失業率が下がったように見えるが、実は労働者の生活や労働条件はどんどん悪化する。こうした現役労働者が将来は自分たちの老後を支えきれなくなるだろう。この生きづらい社会を生み出してきた政権は何一つそれを反省もせず、「働き方改革」「人作り革命」などという空文句のお題目を唱えて若者達の不満を逸らそうとする。
  他方でかっての「高度経済成長期」を支え、企業に莫大な利益をもたらしてきた世代はいま高齢化し、社会保障の対象となり、借金で切り回す国家財政にとって重荷となっていく。政府はこれを「消費税増税」によって乗り切ろうとする。
  しかしこれは本来、「高度成長」で莫大な利益をあげてきた企業の支払うべき費用なのである。企業は労働者達の生み出した富を独り占めし、それを世界市場での競争力強化のためなどに投資してきた。しかし本来は富の源泉であった労働者たちにその老後の生活を保障するために還元すべき費用なのである。政府は企業の競争力維持のためと称して法人税を下げ、代わりに労働者階級のなけなしの労働賃金からその生活に必要な費用に税金を掛けようというのである。数からいえば圧倒的に多数の労働者階級から「均等に」とる税収は巨額にのぼる。何のことはない労働者達は自分たちが企業の富を生み出すために捧げてきた人生を、働けなくなってからは自前でその生活を支えろというのである。
 この理不尽な「消費税」に対して「リベラル派」政党はこれを社会保障に必要な税として基本的に認めるのである。
 誰のための「経済成長」なのか?誰のための「人作り革命」なのか?それによって「豊か」になるのは誰なのか?そのために税金を払わされるのは誰なのか?「リベラルって何?」、そして「こんな社会」に誰がしてしまったのか?いまこそよーく考えてみようよ。

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2017年10月 3日 (火)

「中間層」といわれる人たちの本質を考える

 総選挙が近づくと、きまって「どの政党を支持するか?」というアンケートが行われるが、そのときいつも、もっとも多いのが「どの政党も指示しない」人々である。自公政権の強引で権力乱用的体質はいやだが、野党に任せても経済や政策運用が心配だ、というわけである。そして、こうした「どっちつかず」票を取り込もうとイメージ戦略に懸命になるのが各政党である。

 その中心がいわゆる「中間層」といわれるグループであるが、人数的には多数派である。
この「中間層」の本質は、じつは資本主義的労働者階級なのである。今日の労働者階級は、かってのような肉体的労働者から、一日中PCに張り付いて頭を働かす、頭脳労働者にいたるあらゆるタイプの資本主義的分業形態をとっており、それがトップの大資本の支配のもとでさまざまな下請けあるいは関連企業の形をとって国境を越えた巨大な生産・流通システムのネットワークを形作っているが、これらの現代的労働者階級のほとんどは自分たちを「労働者階級」として自覚していない。おそらくは「市民階級」という意識が強いであろう。
 この「中間層」の中身の分析はもっとキチンと行わねばならないが、それ自体さまざまな階層に分かれているといえる。最上層は大企業(製造業、建設業、商社、運送業など)や大銀行、証券投資会社など金融関係のサラリーマンなどという位置で、主として頭脳労働を行い、その労務内容は資本家の意志の一端を受け持ってそれを職務化した形の労働である。彼らは高給取りであるし、労働条件も悪くない。そして将来資本の意志の執行役(機能資本家)として育てるための人材として入社時に選び抜かれたエリートである。
 その下には、その資本家の意図をより具体的に細かく細分化して実行するグループがあり、ある部分は「分社化」して別の企業の形を採る。
 さらに下にいくほど「意志決定」内容が単純化されるので、労働力の安い国へ業務がつながる。そして最下層の現場労働者たちがもっとも過酷で低賃金の労働に晒される。外国で可能な労働は賃金の安い外国へ、建設業、物流関係など国内でないとダメな労働では非正規雇用やアルバイト、外国人研修生の利用が日常化されている。この下層部分は「中間層」というカテゴリーには入れられないが、本質的には「中間層」も「下層」もみな同じ資本家的労働者階級なのであり、資本家の頭と手足の延長としての役割を果たしているのである。
 ところで「市民意識」をもつ「中間層」は、実はこうして現実の社会的労働の場では、自らの意図や裁量にもとづく労働を行っているのではなく、資本の意図の「代行」をしているため、自分の労働であって自分の労働ではない、という矛盾した形で「疎外」されているのである。自分の労働力を労働賃金と引き替えに資本家に売り渡している以上それは仕方のないことである。
 そのため、そこでは決して得られない、自己充足感を、「消費」の場で得ようとする。この「消費」の場で労働賃金の一部を支払って何を買おうとそれは彼の自由である。しかしそこで買う商品は資本家的企業で労働者たちの「疎外労働」によって資本家の意図(売って利益をあげるためにつくる)のもとで生産された商品である。それはいかにも購買欲をそそるようにデザインされている。そして「消費者」はその商品を買うことに「生きる喜びと自由」を感じる。
 つまり「中間層」といわれる人たちを含めて労働者階級は、資本家的商品の購買者として、資本家のための疎外労働で得た労働賃金を、商品購入によって再び資本家階級の手に環流させることに「生きる喜びと自由」を感じているのである。
 資本家階級は彼らを「消費者」としてまつりあげ、どんどんあらたな商品を生み出しては買い換えさせ、そこから莫大な利益をあげているのである。その挙げ句に過剰に生産され、過剰に消費される商品が一方で地球資源を食い尽くし、他方で廃棄物の山によって自然環境を破壊している。
 資本家階級の総意を代表する政府や政党はこれを「消費拡大による経済の好循環」という。
「中間層」といわれる人々は、この誤った「市民意識」を捨てて、もう一度自分たちの置かれた惨めな立場を振り返ってみよう!
そこから世の中のすべてが違って見えてくるだろう。

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2017年10月 2日 (月)

世の中の変曲点で考えること

 沖縄から帰った翌々日から3日間、風邪で高熱と激しい咳に悩まされ、その後も心身ともにグッタリとなって何もする気が起きなかった。いつのまにか10月に入ってしまったので、そろそろ重い腰を上げねばならないだろう。

 世間は安部首相の「衆院冒頭解散」で一気に総選挙モードとなった。突然小池都知事のブチ上げた「希望の党」に政界には衝撃が走り。すでにガタガタだった民進党がそれまで存在した野党4党の連携という構想をうち捨てて小池新党にすべてを託し、前原党首の「新しい器で民進党の理念を実現させよう」というかけ声のもと、事実上の解党が始まった。しかし小池氏は民進党からの「合流」希望者を「ふるいに掛ける」と言い出した。この「小池主導の選別」宣言で民主党は大混乱。
 裏切られた共産、社民、自由などの野党はただ呆然自失状態に見えた。そして当然これまでもくすぶり続けていた民進党内の政治思想の異なるグループが小池氏の動きに反発し、「リベラル新党」を模索し始めた。もし共産、社民などがこれに合流すれば、総選挙では「3極構造」の形が生まれそうだ。
 何としても安部一極支配政治にブレーキを掛けようという戦略的意味ではおもしろい形になってきたが、問題は中身のある政策論争がほとんど望めないことであろう。
 世の中を見れば、日銀短観はプラス続きで、求人率は高く、失業率は低い状態が続いているため、まれに見る長期に渡る好況が続いていると判断されているようである。しかし国家財政は借金を増し続け、いまやこれが返せる見込みはなくなっている。まさにギリギリの自転車操業なのである。
 自動車関連産業の輸出好調、建設関連産業の需要拡大、物流産業の増大などがこの「好況」を支えているようだが、これらの産業は下請け、孫請け、そのまた下請け...、と続くピラミッド構造の産業であって下に行くほどその雇用体制や給与体制は酷くなっていく。人手不足を理由の、非正規雇用は増えるばかり、労働条件は過酷になるばかり、過労死や過労自殺は増えるばかり、一方ピラミッド上部の大企業ではほとんどの労働を下請けに丸投げしながら、高給を取り、トップは「何とかホールディングス」などの持ち株会社だったりする。
 つまり投資家からカネを集めてこれをさまざまな労働分野に投資し、そこから上がる利益を獲得し、投資家にはその配当を分配するのである。かくしてずっと下の方の見えない現場で働く労働者達の過酷な労働や悲惨な生活状態は表面に現れず、世の中の莫大な量のカネが、もっぱら株価の上下によって動き回るのである。このいまの世の中の矛盾に充ちた仕組みはいずれ何かをきっかけに破綻し、そこから世界経済そのものが土台から崩壊する日がくるかもしれない。そのときにもっとも犠牲になるのは人口的に絶対多数の労働者たちである。
 だからこそ、安倍内閣の些末なミスや暴言などにかかずらったり、総選挙での「中間補完勢力」の台頭に振り回されたりしないで、こうした社会経済状況をリアルにそして的確に把握し、「好況」の底流にある危機や矛盾を洗い出し、それにどう対処すべきかを考えることこそがいまの「野党」の政策として求められていることなのではないだろうか?

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