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2018年3月19日 (月)

「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(2)

このY.Sさんからのメールへの野口からの返信です。

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Y.S さん
 ご指摘に対する私からの回答を以下の添付書類で送りました。
よろしくお願いします。
野口尚孝
(以下添付書類)
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Y.S 様
 私の「過剰資本の不生産的処理についての考察」へのコメントありがとうございました。
ご指摘の件ですが、まず問題になるのは「過剰資本」とは何か、ということですが、これを私は、資本家にとって追加資本を投資してもそれに見合う利潤が得られなくなった状態の資本を指すと考えています。蓄積される資本が利潤を生み出せなくなっていくことは、資本の回転がうまく行っていないということでもあるので、資本家は何とか回転を速めて利潤を取り戻そうとすると思います。放っておけば過剰資本は蓄積を無意味な存在と化し、やがて回転を止め「恐慌状態」となるからです。
 しかし現代の資本主義体制があの1930年代の大恐慌時代を経て、その後その生産力が高度化していくにも拘わらず、外見上この過剰状態を示さず、資本家に利潤を与え続けているのは何故か?という疑問が次の問題です。
 大内は「国家独占資本主義」の中でその疑問に対し、それが大量消費という状況を生み出し、そこで過剰資本を不生産的に消費させるシステムができあがってからだと言っているのですが、国家が中央銀行を媒介とした金融政策で貨幣を増刷し、流通貨幣量を増やすことで資本の回転を上げ、これを推進していることを指摘していますが、それ以上のことは言っていません。
 私はこの大内の把握は基本的には正しいと思っています。しかし、これをもう少し理論的に整理できないか考えていました。そこでとりあえず、マルクスの社会的総資本の再生産表式によって説明できるのではないかと考えたのが、前述のブログです。I(v+m)>IIc という拡大再生産表式が保たれなければ資本の蓄積は生産的に増加しないので(恐慌の場合はこれが保たれなくなる)、過剰生産状態であってもこの表式が成り立つ様な状態を維持しているのだと考えました。つまり過剰生産を過剰でなくするためにそれを不生産的に使わなければならない状態に陥っていると解釈しました。そうなるとI(v+m)>IIcにおいて生産的資本として用いられるcやv部分ではなくm 部分が増加するしかないと考えたのです。つまり資本家の利潤の一部として自分のために消費する部分を生産的資本として追加するためにはそれを不生産的に消費する分野に投じるしかないと考えました。
それがmの一部をvに忍び込ませて労働者階級の消費欲を掻き立ててII 部門の資本家による生活消費財商品の回転を速めることでそこに利潤を生み出し、それを生産手段部門の資本家にも分配することで全体としてI(v+m)>IIcを保たせる、のだろうと考えました。
 Y.S さんのご指摘のように、実際の労働賃金の高低の差は労働力の養成費の違いであるとともに、労働力市場での労働力の「価格」の違いでもあるのですが、いわゆる「最低賃金」という概念からすると労働者が生活を維持しながら資本家の求める労働力の再生産ができるための最低の水準がvに当たるのではないかと思います。それ以上の部分はむしろ本来資本家にとっては本来は無駄な出費であり、「不生産的要素」であると考えるでしょう。
 しかしそれが資本家にとって「無駄な出費」ではなく、間接的に利益をもたらすためには本来のm部分の一部をvに追加するという方法を考えたのだと思います。従ってまずこのとらえ方が基本的に間違っているかどうかが問題ですね。
 次に、ご指摘の「過剰生産が現代資本主義に恒常的に存在するものではないのでは?」という問題ですが、確かに投資すべき資本は中央銀行のオーバーローンで拡大し、資本家達はそれによって莫大な利益を獲得しているのですが、それが何に投資されているかが問題です。クルマや高額家電製品の生産に投資されてきた資本は確かに労働者階級の生活を一見豊にしてしてきたように見えますが、それは同時にそれらが生み出す廃棄物による環境汚染やエネルギー消費の爆発的増加による資源枯渇問題などを必然的に起こしてきました。これはいわばアンコントローラブルな社会的消費(私はこれを過剰な消費と呼んでいます)の拡大がもたらす必然的結果です。
「IT革命」にしてもこれがもたらすさまざまな社会的弊害の面をも見なければならないと思います。
 いまやそうしたアンコントローラブルな過剰消費が「先進資本主義国」では飽和状態になり、同時に地球的規模での環境問題・資源問題などが大きく立ちふさがってきたために資本は過剰資本を再び処理しきれなくなってきているのではないでしょうか?
 最後にサービス産業の拡大についてですが、企業のいわゆる「アウトソーシング」は私はサービス産業の拡大ではないと思います。それは現代資本主義に特有の分業形態の進展だと思いますし、それはもともと資本の生産性を高める目的で行われるものです。また医療、教育。保育、介護などはむしろ本来社会的に必須な労働分野であってそこには労働者自身が生み出した剰余価値部分が彼らのために当てられなければならないのだと思いますが、それを資本家階級が私的財産と化しているので、労働者が賃金の一部を税金として支払い、そこから政府がこうした事業に支出し、新たな資本家企業として成り立つ様支援しているのだと思います。結局この分野もあらたな労働の搾取を生み出しているのです。これは直接には生産的分野ではないにしても間接的には生産的労働を補助する部分といえるのではないでしょうか?
 ファミレス、や居酒屋などは、労働力のリフレッシュに必要な部門といえるでしょうが、これはあきらかに不生産的消費部門だと思います。たしかにこれらは一旦投資された後はサービス労働を搾取しながら利潤を確保しているわけですが、その投資は生産的資本に転化されるものではなく、いわば不生産的に消費されることによって生み出される利潤なのだと思います。
結局こうした形での過剰な資本の不生産的処理がなければ生産的資本そのものが成り立たなくなっているのが現代資本主義の特徴ではないでしょうか?
 以上、ご指摘の問題に対して私が考えていたことを繰り返すような形になってしまいましたが、その辺をどうお考えなのかについてまたさらに本質に突っ込んだご指摘を頂ければ幸いです。
 2018.03.19  野口尚孝
 

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