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2018年3月19日 (月)

「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(1)

 先日「過剰資本の不生産的処理についての考察」というブログを4回に渡って連載しましたが、これについてY.Sさんからコメントを頂きました。メールでの個人的やりとりだったので、より広く多くの人にこの問題をディスカッションしてい頂く機会とするため、Y.Sさんの了承を得て、それをこのブログに載せることにしました 以下、少し長くなりますがメールでのやりとりの再現です。

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野口さん
長野のY.Sです。
野口さんのブログについては少し前に(野口さんのMLへの投稿を見て)読んだの
ですが感想をまとめるのが遅くなってしまいようやく少しまとめてみました。
あくまで感想ですので誤解もあるかもしれませんし体系だったものではありませんが
何かの参考にしていただければと思いお送りします(添付しました)。
もし誤解や失礼がありましたらご指摘・ご容赦下さい。
(以下添付書類)
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野口尚孝さんのブログ<過剰資本の「不生産的処理」についての考察>について
                             2018.3.18 Y.S
 一言で言って過剰資本のはけ口を労働者の賃金にm部分を含ませて循環させそのことによって拡大再生産も可能にさせるというのはちょっと無理な発想ではないかと感じます。大内力の本も読んでいないので大内がどのような趣旨で言っていたのかも分からないのですが。。。
 ほとんど資本家層に近い超高給労働者については多少そのようなこと(奢侈品消費による不生産的消費、等)も言えるかもしれませんし、過剰生産の圧力を減らすというよりはむしろ文字通り「資本の手代」として飼い馴らすために餌を投げ与えるという意味ではそういうこともあると思いますが(連合系等の労組役員等の「労働貴族」)。。。
 それに、例え、「労働者の賃金にm部分を含ませる」ことにより残りのm部分の投資効率が上がるとしても、それ以前に投資できるm部分が減っているわけですから今期の利潤率は下がることになるわけです。将来の利潤率を上げるために現在の利潤率を下げるなどということを資本はわざわざするでしょうか?
 一般的には労賃はやはり生活資料の価値によって決まるだろうし、それに高い・低いがあるのは基本的には教育費(労働力の養成費)の違いからきていると思います。現代資本主義は超巨大企業を出現させ、また技術も非常に高度化しています。そうしたことを反映してそれなりに高度の教育を受けた(直接の教育だけではなくある程度生活環境全般等も含まれてくると思いますが)管理的・技術的人材も多数必要としていると思います。だから彼らの”奢侈品”消費は一見してmの一部分の不生産的消費のように見えるかもしれませんが、彼らが労働者の一部である限りにおいては基本的には労賃=労働力の価値=生活資料の価値なのではないかと思います。
 また、「過剰生産」というのは現代資本主義では恒常的に存在するというものでもないと思います。現に戦後の(世界的な)高度成長の時代には自動車や電機、石油化学等々の新しい技術革新とその普及と結びついて投資すべき資本はむしろ不足し中央銀行等の”オーバーローン”によって拡大してきたのではないかと思います。70、80年代以降でもIT革命による新分野の開拓やMA化等はある面では似たような側面もあると思います。もちろん、金・ドル交換停止以後世界中にドルが氾濫し、また戦後循環が一応成熟して以降は各国とも金融緩和・財政出動等が恒常化してきてお金は有り余っているが投資先がないといった状況が強まってきていることは事実ですが。
 サービス産業の拡大は産業向けのサービスと消費者(労働者)向けのサービスとありますが、前者は今まで企業内で行われていた機能のアウトソーシング(それによる効率化)によるものだし、後者については私は「消費生活の社会化」(一面では、消費生活の内部にまで資本が入り込んできたということでもありますが)の進展(医療・教育・保育・介護等はもちろんですが、ファミレス、居酒屋等々も)と関連があると考えています。前者の場合には、むしろそれによって資本全体としての効率は上がり剰余価値も増えるであろうし、後者の場合には、ある意味では不生産的ですが、消費者がそれを求めている(必要としている)以上は(「生のモノ」を提供しても売れないのですし)無下に否定することはできないと思います。後者の場合においても、最初の物的投資そのものは生産的資本の剰余価値からの控除かもしれませんが一旦投資された後はそれ自身を維持するだけではなくサービス労働を搾取しつつ利潤も確保できると言ってもいいのではないでしょうか。
(続く)

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