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2018年4月 7日 (土)

「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(6)

 このシリーズで最後にもう一つ重要な問題を書いておこう。それは現代の過剰資本時代の「貨幣」の姿とその役割についてである。経済学の素人である私がこんな難しい問題に口出しすべきではないかもしれないが、「過剰資本の不生産的処理」を問題とする以上はこの「貨幣」問題は避けられないように思う。

 資本主義経済が基本的にG-W-P-W'-G'という資本の形態変化による循環(G:貨幣資本、W:商品資本、P:生産手段と労働力による生産資本)のもとで資本の増殖を目指すことが経済発展のモチベーションになっていることは周知の通りであり、ここでは貨幣資本は商品の流通を媒介する支払い手段としての役割を果たしながら、同時にあらゆる富に変えられうる究極の力を持つ対象として私的所有の欲望の対象になっている。
 しかし、商売の必要上、商品と商品の交換は直接貨幣を支払うことのできない場合に一時的に資金を貸し出したり、手形のような形の信用証券を用いて支払うこともできるようになって行った。それは同時に、貨幣を蓄積した資本家の一部が、資金繰りに困る資本家のためにその蓄積貨幣の一部を利子を付けて貸し出し、私的蓄積によってストックされている資本を流動化させ、社会全体の資本の流通過程をスムースにしていくという役割を果たしながら、その「手間賃」を「利子」という形で受け取るという形で直接貨幣が貨幣を生む(G-G')資本の増殖形態(利子生み資本)を生み出した。
  また貨幣も最初は金や銀といったそれ自体が価値を持つ貴金属が用いられていたが、やがて、それを直接持ち歩かないでも済む紙幣のような代替貨幣あるいは形式的貨幣が登場し、例えば銀行や国家などによる信用を背景に発行されるようになった。
  さらには資本家企業が起業や運営に必要な資本を集めるために、資本を募集する際に発行する株はそれが借金の利子のような形の配当を株主にもたらし、その企業の運営が好調で多くの利潤をもたらすことによる配当の増大が見込まれればそれが高く売れるということから、それを売買する市場が登場し、そのほかの証券を含めてそれ自体の売り買いが儲けの手段にもなっていった。
 つまりここではG-G'という過程が「投機」という形で売買のうまさ加減で単に株を売り買いすることだけで莫大な富を増やしていくことになる。
  こうして貨幣はそれ自体の価値を離れて間接化された存在となり、いわば流通手段の表象となり、実際の貨幣でなく銀行や証券会社による単なる数字のやり取りだけで莫大な貨幣の私的所有権が動かされるようになった。しかも従来は金との交換を前提とした紙幣であったものがいまではそれが不可能な状態となり基軸通貨を中心に行われる為替レートの変動にいよって調整される「約束事」としての通貨になってしまった。
 そのためこのG-G'という取引の形は、現在の様な過剰資本がグローバルに流動化している時代には、実際の商品としての生産手段や生活手段の売買の量をはるかに超えて行われる様になっていると考えられる。
  つまりG-W-P-W'-G'による資本の増殖を超えてG-G'が暴走している「根無し草マネー」による過剰資本の処理と言えるのではないだろうか?
 それは例えば莫大な借金により国家財政を成り立たせている資本家政府の状況を見ても分かる。これらの借金はバックに国家や中央銀行が「保証人」として控えているから信用が成り立つという勝手な論理の上で行われているが、「根無し草」であることには変わりない。だから、この「思惑」だけで激しく回転する過剰流動資本は、何かがきっかけでつまずくとたちまち世界的な大恐慌が訪れることになるに違いない。
 過剰となった資本の不生産的処理のための生活消費財の過剰な大量消費を前提とし、それを促進させる商品流通資本や宣伝広告資本が、生産資本を牽引し、それによる過剰なエネルギーや資源の消費を加速させ、そしてその上に乗っかって「思惑」だけで過剰な流動資本がネット上を激しく動き回るいまの資本主義社会では、この馬鹿げた資本の空回りのために一人一人の生命力の発露である人間労働がとことん使い回され酷使されているのである。
 さてこの辺でこのシリーズを終わりにしよう。間違いがあれば遠慮なく指摘して欲しい。
以上

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