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2018年4月15日 (日)

これもまた「民主主義」? E. トッドの民主主義論で考えさせられること

 安倍「一強」政権は、森友、加計問題で、次々国会での発言とは食い違う証拠が出てきたにもかかわらず、以前として「強気」で「カエルの顔にションベン」といった有様である。しかもこんなひどい政権なのに相変わらず支持率が30%を下らない。なんということか!しかしこんな嘆きごとを発するのは「一部」の者に過ぎないのだろうか?

 おそらく安倍政権は景気が維持される間、支持率が下がらないことをよく知っている。だから「強気」で「カエルの顔にションベン」なのだ。
 ところで先日読んだ「世界の未来」(朝日新書)であのエマニュエル・トッド先生が面白いことを言っている。
  「民主主義」は親族のつながりからできた「核家族」という共同体の発生から登場した人類史の中でもっとも古い統治政治形態だというのだ。それは「他者」がいることで「自分たち」を定義できるというシステムで、そういうグループのデモクラシーなのだ。かつてはヨーロッパのいたるところで見られたが、それがこうしたシステムの発展とともに絶対主義的体制の登場などで斥ぞけられて行った。そしてイギリスの代議員制度はその生き残りなのだ。というのである。
  古い昔にあった民主主義は、小さなグループが自分たちの間で組織した形でありそれはある程度排外的だった。グループが形成されるのは他のグループに対抗するためでありそこにグループ内での民主主義があり、常にある程度排外的なのだ。今のアメリカやヨロッパで起きていることはこうした民主主義の原型の再登場なのだ。しかし、次の段階があり、自分たちのグループ内での平等になじんでくると、やがて近隣のグループ同士が自分たちは似ていると気づき始める。これが民主主義の普遍的段階への一歩なのだ。
 この観方に立つと、トランプ大統領もイギリスの「BREXIT」も民主的に投票された結果であり、投票したのは大衆層だ。それを普遍主義的で文明化された国の民主主義にとって後退だというのは間違っており、古い民主主義の再登場だと言える。
  そして民主主義にも、「リベラル型」「垂直型」「権威主義型」など様々なタイプがあるが、共通していることは、人々に選挙権があって、政府が人々の期待することを実行する体制であるということだ。そしてその結果が悪ければ投票した大衆自身が尻拭いをしなければならないということだ。
  戦後日本でも大衆の民主的代議員制投票によってずっと自民党が支持されてきた。日本ではアメリカのように政権が入れ替わるということを大衆が望まない(つまり「親方日の丸民主主義」と言うことだろう)。それに比べて今のEU体制は普遍的民主主義を自認するエリート政治体制であり、自信過剰なエリートたちが大衆の期待を必ずしも実現していない。
 これだけ見るとトッド氏はとんでもない保守主義だと思われそうだが、必ずしもそうでなく、次のように主張する。
  西欧的民主主義は絶対的で普遍的なものではなく、様々な地域での特有な歴史と形態を持っており、むしろその中にいる大衆自身がその欠陥に気づき、良い方向にそのシステムを軌道修正すべきものであることを示唆している。
 この見方はなかなか面白いが、それによれば今の安倍政権も民主的政治の結果であり、大衆の投票結果なのであり、それをとやかく言う筋合いではないが、しかしその後の結果を見て、この先どうなるかを少しでも真剣に考えれば、遠からずわれわれ大衆はとんでもない「尻拭い」をしなくてはならなくなるということに気づくべきだろう。目先の「景気」が良いからと言ってこんなひどい政権を「親方日の丸」と呑気に考えているととんでもない事になる。
  そろそろ「政権交代を好まない」日本の民主主義もボトムアップの力を発揮する時がきたのでないだろうか?
 

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