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2018年5月11日 (金)

佐伯啓思氏による1968年学生運動批判の持つ欺瞞

 今朝の朝日新聞「異論のススメ」でレギュラーの佐伯啓思氏が「欺瞞を直視する気風こそ」という論説を書いている。

 佐伯氏は1968年当時フランスのパリ・カルチエラタンを中心にあった学生反乱から世界的に拡がった学生運動を批判している。日本では全共闘運動と同時に起きた様々な新左翼運動が盛り上がった。そして当時の私もまだ助手として就職したばかりの大学で学生達の意見に賛同して教授陣と対決したのである。そしてその後11年に渡って大学で「干された」状態に置かれることになってしまった。
 佐伯氏はこうした学生運動には共感を持たず、そこから離れた立場にいたそうである。そしていまこの運動を振り返ってこう言う。「これは「革命」などといえるものではなく、フランスでは学生の反乱を押さえつけたドゴールが総選挙で大勝し、日本でも大阪万博を前にした高度成長の頂点の時代であり、人々はアポロ宇宙船による月面着陸に歓声を上げていた。政治的には佐藤政権による沖縄返還の方がはるかに重要な出来事だった。(中略)マルクスや毛沢東から借用したあまりに粗雑な「理論」を疑うこともなく生真面目に信奉しつつも、まるでピクニックにでも出かけるようにデモに参加する連中をずいぶん見ていたでせいで」全共闘運動には共感を持てなかったのだそうだ。そして佐伯氏は、「しかし、それでも私は、あるひとつの点において「全共闘的なもの」に共感するところがあった。それはこの運動が、どこか、戦後日本が抱える欺瞞、たとえば、日米安保体制に守られた平和国家という欺瞞、合法的・平和的に弱者を支配する資本主義や民主主義の欺瞞、こうした欺瞞や偽善に対する反発を根底にもっていたからだ。(中略)これらの欺瞞と闘うには暴力闘争しかありえないことになる。私が共感したのはこの暴力闘争への傾斜であったが、そんなものはうまくいくはずもない。そしてその結果はその通りになった。」と言う。佐伯氏はさらに言う。「むしろ私が衝撃を受けたのは、当時生じた三島由紀夫の自衛隊乱入、割腹自殺事件であった。(中略)あの戦争を侵略戦争と断じたあげくに、とてつもない経済成長のなかでカネの亡者と化した日本、こうした戦後の欺瞞を三島は攻撃し、一種の自爆テロを起こした。三島と全共闘の間には深い部分で共鳴するものがあったのだが、全共闘はそれを直視しようとはせず、三島はそれを演劇的な出し物へと変えてしまった。」と、そしてさらに言う。「江藤淳は学生運動は「革命ごっこ」であり、三島は「軍隊ごっこ」である。どちらも現実に直面していない。真の問題は日米関係であり、アメリカからの日本の自立である。というのである。(中略)沖縄返還問題にせよ、ベトナム戦争問題にせよ、その根本にあるものは、日米安保体制によって日本の平和も高度成長も可能になっているという事実であった。そのおかげで日本は「冷戦」から目を背けることができただけである。この欺瞞が、利己心や金銭的貪欲さ、責任感の喪失、道義心の欠如といった戦後日本人の精神的退廃をもたらしている、というのが三島の主張であった。三島は精神の道義を戦後日本が失ったのではないかと問うのである。フランスの68年は、ポストモダンという思想を生み出したが、日本(の新左翼運動)は何も生み出さなかった。そして日本の左翼主義は「平和憲法と民主主義を守れ」に回収されてしまった。(以下略)」これが佐伯氏の主張である。
 この佐伯氏の主張に私はある種の怒りを感じた。確かに当時の学生運動は「革命ごっこ」であったかもしれないし、三島の主張と両極にあって通底するものがあったかもしれない。しかし、肝心なことは、佐伯氏自身はそうした歴史の渦中にあって、何をしてきたのだろうか?ということだろう。学生運動や三島の自爆テロを「離れた少し高い場所」から見ていた傍観者だったのではないか?だからこそ、いま「欺瞞を直視する」などと偉そうなことがいえるし、「私は68年はさほど評価しないが、今日の大学や学生文化にはないものがあった。それは社会的な権威や商業主義からは距離をとり、既成のものをまずは疑い、自分の頭で考え、他人と議論をするという風潮である。その自由と批判の気風こそかけがえのない大学の文化なのである。」などと上から目線で言えるのだろう。
 佐伯さん、あなたは「全共闘の暴力への傾斜」に共感を持ちながら「うまく行くはずもない」と思ったそうですが、それでは自分たちの目指すことを信じて、苦闘し、一敗地にまみれて泥沼をさまよい歩いたことがあるのですか?
  真実とはそういう苦痛に充ちた試行錯誤の中からしか把握できないのではないですか?アメリカからの真の自立を目指すことが、戦後日本人が失った「道義の精神」を取り戻すことになるのですか?戦前の日本人が本当に「道義の精神」を持っていたのですか?「道義の精神」が「お国のために敵兵を一人でも多く殺せ!」と導くのですか?
  カネの亡者になっているのは日本人だけなのですか?アメリカも中国もロシアもみなそうではないのですか?それは何故だと思いますか?フランスの68年はポストモダンを生み出したが日本の左翼運動は何も生み出さなかったとはよく言いますね。あの運動で挫折した人たちの中には確かに「まるでピクニックに出かけるようにデモに参加していた」人たちも多く、そうした人たちはいまや社会の中間層や上層部に安住しています。しかし、あの運動に参加していた人たちの中にはいまでもその苦痛に充ちた経験と反省から真実は何かを学び、世の中を新たな方向に動かそうとしてもがいている人たちがいることなどご存じないのでしょうね。

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