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2018年6月 8日 (金)

映画「マルクス・エンゲルス」を観て

 マルクス生誕200年記念作品ラウル・ペック監督の表記の映画を観てきた。

若い頃のマルクスと妻イェンニーとの生活そしてエンゲルスの出会いから、さまざまな論客や活動家たちとの交流・対立の中から共産党宣言作成までの過程を描いた作品だが、なかなかリアルに描かれていると思った。
 青年ヘーゲル派の論客達との激しいやりとりなど、若い頃のマルクスはこんな感じの過激な青年ジャーナリストだったのだろうと思う。ドイツの名門ヴェストファーレン家のお嬢様であるイェンニーは一文無しのマルクスと引かれ合い、子どもができて貧乏のどん底でもなんとか共に生きていこうとしている姿は共感を覚えた。
 この映画はマルクスの思想や理論の形成過程を追いかけているわけではないので、その点は内容が浅いと思うが、産業革命まっただ中のイギリスでのエンゲルスの父が経営する工場の実状やその中で労働者達の生活の実状を知るフリードリッヒの苦悶、そして改宗ユダヤ人を父とした裕福なインテリ出身のマルクスも同様なある種の内的矛盾を感じつつ、互いにその考え方に惹かれて行く過程は見事に描かれていたと思う。
 そしてプルードンが、「正義者同盟」の労働者たちを前に「人類愛や平等思想」のアジテーション演説をブチ上げる場面で労働者たちが拍手と歓声でそれを称えているときに、エンゲルスが「本当に人類愛と平等なのか?」と問いかけ、「じゃ資本家と労働者はどうなんだ」とたたみかけると、労働者達は一瞬黙り込んでしまうが次の瞬間、「ちがう!」と叫び始める場面は印象的だった。そこからこの同盟は共産主義者同盟になっていくのであるが、1848年の革命は失敗に終わる。この辺の話は映画には出てこない。
 しかしこの場面は、170年後のいまの労働組合の幹部やいわゆる「リベラル派」の論客達が、労働者大衆を前にブチ上げる演説を彷彿とさせる。
  労働者の地位向上、生活保障云々は確かに重要だが、それによっていまだに続く資本主義社会が根底から覆るわけではない。あくまで修正資本主義という形で資本主義の「悪い部分」を直して「良い資本主義社会」にしていくことが現実的改革なのだ、という主張であってその先の展望がないのである。
  いかに世の資本家達が「世の中のために仕事を生み出してやっているのだ」と叫んでもそれは資本を獲得するという目的なしにはありえないし、その「仕事」とは資本主義生産様式特有の非人間的分割労働の変種でしかなく、それによって労働者の労働をいかに効率よくしかも労働者の不満を抑えながら搾取するかが目的であり、いかに資本家達やその代表政府が「より豊で便利な生活」や「充実した社会保障」と叫んでみても、所詮それは資本を維持拡大(彼らの言葉で言えば経済成長) させるために富の源泉である労働者の存在が必須の条件であること、そして彼らの不満を抑えまがらその体制を維持しつつ労働者を資本のための道具として使用し続けること以外にないからである。
 現代の労働者階級は現代のプルードンたちに間違った考え方を吹き込まれているのではないのか?ここで「現代のマルクス」が登場しなければならないのではないか?
 マルクスたちが目指した世界は彼らの死後、途中でトンデモナイ迷路に迷い込み、マルクス達の思想とは全く無縁な「社会主義」が登場し、それがあたかもマルクスの思想であったかのごとく受け止められる時代となってしまった。嘆かわしいことである。
 この映画がすでに遠い過去になってしまった産業資本主義隆盛期の労働者の世界を描いているとしてもその社会の基本的構造はいまだに存続している。20世紀になってグローバルな規模に拡大した資本は人類史上もっとも悲惨な戦争を2度も起こさせ、その後自滅した自称「社会主義圏」の廃墟の上で、あたかも「共産主義」に勝ったかの様に振る舞っている現代の資本主義社会に渦巻く矛盾の実状やその根拠を明らかにしながら、過去の運動の誤りを正していくことこそがいま必要なのではないだろうか?
 特にいま本当の意味での希望を見失い、目先の楽しさやおもしろさにのめり込むことで自分たちの未来を描くことが出来なくなってしまっている若い世代は、その生活が実は資本の賃金奴隷としての人生であることに気づくべきであり、そこから抜け出すために資本主義社会の実状とメカニズムを理解し、その根拠がどこからくるものであり、それとどう対決しあらたな社会を目指していくべきなのかを考えるきっかけにしてほしいと思った。そしてその中から「現代のマルクス」が登場して欲しいと思う。

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